第三章

第19話 三度キガイ

 タバコの煙がもやのように天井を曇らせ、どのデスクも一様にうずたく書類が積み上げられている。午後8時を過ぎた伊勢佐木署捜査一課は人も疎らだ。

 そんな中、ヴァイス博士への取り調べを一旦中断した本庄刑事は、自分のデスクに戻ってきていた。

 

「で、どうなの本庄ちゃん?」


 爪楊枝を咥えた同僚が、顔をしかめたような笑顔で聞いてきた。本庄は椅子に背中をもたげ、伸びをしながら答える。

 

「うーん……。なんか、言ってることが訳わかんないのよ。軍の秘密研究がどうたらこうたら、ワシはCIAとKGBに狙われとるとかなんとか。もうさ、久しぶりに取り調べでウンザリしたわ」 

「でも、引き上げて来たってことは、何か掴んだんだろ?」

「話しぶりから、木島自動車の件や、中華街の闇カジノ襲撃に関わっていたんじゃないかと思うんだけどさ。証拠が無いだろ! って開き直られて。まぁ、その通りなんだけどさ。ありゃ、ヤクザ幹部くらい法律を熟知してる感じだね。自白を引き出すのは無理だな」


 そう言いながらも、本庄の口元が緩んだのを同僚は見逃さなかった。


「あれ? 口ぶりと表情が違うじゃんか!」

「まあね。あの爺さんの孫。梅洲廉って言うんだけど、そっちはゲロると思うんだよね」

「じゃあ、そいつ引っ張ってくれば良いじゃんか?」

「今、何処いるか分かんないんだわ。指名手配も今の状況じゃ検察を通らないだろ」

「課長に頼んでも、人廻してもらえなさそうだしなぁ」

「当ては有るんでね。なんとか、一人で頑張ってみるわ」

「そういや、あっちには伝えなくて良いのかい?」


 同僚のあっちという言葉に、急に真顔になる本庄。


「あっちには伝えない。今回は器物損壊で引っ張っただけだ。爺さんももうちょっと粘ったら釈放するさ」

「ふーん」

「なんだよ?」

「お前らしくないなって思ってさ」

「汚い手を使う奴には手を貸したくないだけさ」

「まぁ、頑張れよ」

「さてと、もう一回戦行ってきますかね!」


 本庄は手に持った湯吞みをデスクに置くと、立ち上がって取調室へと去って行った。


 同じ頃、取調室前のイスに座る制服警官の前に一人の男が現れた。


「容疑者はこちらかな?」

「はっ。蓮實警部補、そうであります」

「おや、鍵がかかっているようですが?」

「はっ。本庄刑事に誰も通すなと申しつけられております」

「鍵を出しなさい」

「あ、あの。無理です。本庄刑事とご一緒に来られては如何でしょうか?」

「どうしても、無理ですか」

「申し訳ございません。そのような命令なっ……あがっ、ぐげげげええ!!!」


 蓮實は警官の首を右手で掴み体を持ち上げた。警官の顔色が真っ赤になり、やがて青白くなった。白目をむいてぐったりとしたの確認してから、音をたてないように静かに警官を横たえ、カギを奪い、取調室の中へと入っていった。


「何を聞いても無駄じゃぞ」


 取調室の中には、目を瞑り椅子にうんぞり返って頭の後ろで両手を組んだ博士が居た。


「お久しぶりです。ジグムント・ヴァイス博士」

「誰じゃ? お主は?」


 博士は聞きなれない声に目を開いた。


「お忘れですか? それとも、私が年を取り過ぎて分からなくなったのでしょうか?」

「ワシも年じゃて、昔の事はよう覚えておらん」

「これでも、思い出されませんか?」


 そう言うと、蓮實は両方の手袋を外して両腕も袖を撒くって前腕を露出した。その両腕はレンと同じような鋼鉄製。それを見た博士は目と口を大きく開き、驚愕の表情で固まる。


「お、お前……。生きとったんか?!」

「どうして死んだとお思いでしたか?」

「それは……。悪かった実験体53号! ワシは、ワシは……」

「その名前! 懐かしいなぁ。あなたのオモチャだったころの名だ。でもね、今は蓮實軌外という立派な名前が有るんですよ」

「なんで、お前を連れてきた特高の名前を騙るのじゃ?」

「昔のこと、よく覚えてるじゃないですか?」蓮實は机に手を突き身を乗り出してきた。「私も忘れなかった。だから、見つけだして代わって貰ったんですよ! 人生をね!!」

「復讐か? ワシに復讐に来たのか?」


 席を立ち後退る博士に対し、蓮實はサングラスをずらして、ギラギラした目で彼を見据え、口角をつり上げる。


「ヤダなぁ! 感謝こそすれ、恨んだりなんてしませんよ!」蓮實は堰を切ったように口から言葉が溢れ出す。「だって、生き永らえたのはあなたのお陰だ。あなたのお陰で、戦後、何食わぬ顔で普通に暮らしていた蓮實を見つけ出して、彼の見ている前で、彼の長男、次男、長女、妻、それに彼の弟。私にしたことをそのまま同じようにしてあげる姿を目に焼き付けてあげました。蓮實本人はどうしたかって? 私が生きてるのに殺すわけにはいきませんでしょう? それじゃあ道理にかなわない。でも、残念ながら3か月しか持ちませんでした。自殺しないように気をつけていたのに、ちゃんと食べさせても上げていたんですよ? 肉を! 何の肉かって?! そんなの言わぬが花じゃないですか。なのに、最後は衰弱死だ!」

「落ち着き給え53号」


 体を小刻みに震わせながら、感情に任せ早口で喋り倒す実験体53号に対し、博士は子供を諭すように言った。53号はハッとした表情を一瞬見せた後、サングラスを掛け直し、姿勢を正した。


「すみません、13年ぶりの再会に胸が熱くなってしまいました。本題に入ります。アレはどこですか?」

「アレとはなんじゃ?」

「最後の実験体ですよ」

「レンのことか、レンを手に入れてどうするつもりじゃ?」

「破壊します」

「なぜじゃ? 破壊して、どんな意味がある?」

「ふふっ」

「復讐か! やはりワシらへの復讐なんじゃな?」

「ヤダなぁ! 違いますよ」

「復讐ならワシを殺せ! お前たちの事はワシに責任のすべてがある」


 博士は、蓮實の胸ぐらに手をやり懇願した。蓮實は優しくその手を払い囁きかける。


「博士。それは危ない男らしさだ」

「な、何を言っとるんじゃ!」

「知ってるよ」


 その言葉の後、蓮實は両手で博士の頭を押え、耳元で何事か囁きつづけた。


「な、な、違う! 誤解じゃ! 誤解なんじゃ! そうじゃない!」

「博士。あなたに復讐しない意味を理解なさいましたか?」

「許してくれ、違うんじゃ! ワシは、ワシは」

「あなたは、生きながら自らの罪に苦しみ続ける人だって、分かってるから」

「止めてくれ! 責めは……、責めは我が身に!」

「さあ、居場所を吐くんだ」


『何やってんだ!』


 部屋に本庄が飛び込んで来た。


「蓮實さん。どういうことですか?」


 しかし、蓮實が答える前に、博士が口を開く。


「龍神会じゃ。龍神会の仕事を請け負ってやった。今日も仕事がある!」


 それを聞いた蓮實は、入り口に立つ本庄を突き飛ばして部屋から出ていった。尻もちを着いた本庄は、なんとか立ち上がって博士の下へ駆け寄る。


「痛てて……、大丈夫ですかヴァイスさん?」

「あいつは、危険じゃ! ワシが話さなければお主も死んでいたかもしれん」

「蓮實警部補と何が有ったんですか?」

「警部補? あいつが警察なわけが無い。ちゃんと確認したのか?」

「なんだって?!」


 本庄は部屋から走り出て、捜査一課へまずは駆け込んだ。


「おい! 警視庁に蓮實警部補の身元照会をしろ!」

「どういうことだよ? 本庄!」

「偽警官だよ! 手の空いてる奴は俺と一緒に龍神会へ行くぞ!」

『大変です!』


 部屋に飛び込んで来た制服警官が叫んだ。


「今度は何だよ?!」

『署のパトカーが全台パンクさせられてます!』

「クソッたれ野郎が! 課長! 取り合えず出ます! 確認取れたら蓮實の指名手配お願いします!」


 本庄はそう言い残すと、一目散に部屋から飛び出していった。 

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