第18話 失望

 ベッドに腰かけ部屋の窓から外を見ると、日暮れ時の海に浮かぶ客船の灯りが、チラチラと瞬き始めていた。


「レン。ここに住まんか?」ヴァイス博士はレンの左腕を修理しながら問いかけた。


 ここは博士の宿泊する山下公園向かいの高級ホテル。


「いや。ここは食堂に遠いから」

「食堂? いつも唐揚げ買ってきた食堂か! そんなところ行かんでも、ホテルのレストランで食べればいいじゃろ?」

「食べ物じゃない」

「食べ物じゃない? どういう……、あ! まさか女子おなごか?!」

「うん」


 レンは恥ずかしそうにうなずいた。それを見た博士は、顔を強張らせ後ろに仰け反った。


「そういう事じゃったのか。横浜に残ると言ったのも、普通に暮らすなぞ減らず口叩いたのも、みんな女子を好いたのが原因じゃったとは! じゃがの、レン。いくらお前が惚れおっても、バケモノのお前を受け入れては来れんぞ。その鋼鉄の左腕を見れば、恐怖して去っていくじゃろうて」

「そんなことない」レンは言った。「そんなことは無いんだよオーパ。操はこんな白髪で鋼鉄のバケモノでも受け入れてくれる、優しい子なんだ」

「嘘じゃ、そ、そんなのデタラメに決まっとる!!」博士は立ち上がり興奮した顔で叫んだ。

「信じたくなければ、信じなければ良いよ。俺はオーパみたいに、誰にも愛されない悲しい老人じゃない」

「育ての親に向かってなんてことを……」

「本当の事じゃないかオーパ。いままで一度も結婚したことないんだろ? 女の人と楽しそうにおしゃべりしてるのだって見たことない」

「それは、本当のワシを知らないからじゃ。本当のワシを……」

「本当のオーパって何?」

「それは、それは……」博士は言葉が続かずに口ごもってしまった。

「ほら、言えないじゃないか!」

「人には、言葉に出来ない秘密が有るんじゃよレン」

「俺にとってはどうでもいいや。もう済んだだろ?帰るよオーパ」立ち上がったレンは右掌を上に催促する。「金を出せよ」


 博士は前金の入った袋をレンに渡した。レンは中身を入念に確かめてから、博士をさげすむように一瞥してから無言で部屋を出ていった。その姿を悲しい目で追う博士。


「ワシは罪の告白などせんのじゃレン。だからと言って、おまえを、ワシの宝を奪わせるわけにはいかんのじゃよ」そう呟くと、博士は立ち上がり、レンの後を追って部屋を後にした。


 時間は既に夕方となっていた。レンは博士の滞在するホテルを出た後、ある場所へ寄り道をしてからいつもの食堂へと歩いて向かった。

 その後を、見つからないように気を付けながら距離を置いて歩く博士。しかし、伊勢佐木町の裏手辺りを通りかかった所で、しゃがれた声で話し掛けられた。


「ちょっと、兄さん遊んでかない?」

「放せ! うわっバケモノ!」


 後ろから肩に手を置かれ振り返った博士。彼を立ちどまらせた人物は、煽情的な服装をした厚化粧でやせ細ったオカマだった。いつの間にか、ストリートガールやボーイが闊歩する裏通りに入っていたのだ。


「なにさ! いつもいやらしい目してさ! コソコソ歩き回ってるじゃないか! 親切で声かけてやったんじゃないの!」

「五月蠅い! 飲みすぎで頭がイカレてたんじゃ。それに酔っていてもお前みたいなバケモンは指名せんわ!!」


 博士は、レンを追って逃げ出すようにその場を後にした。駆けていく博士に向って男娼は言葉にならない罵詈雑言をまき散らすのだった。

 


 日が沈む直前、レンは食堂にたどり着いた。扉を開けた途端、待ち構えていたように操が目の前に現れた。


「あ、レン君! もう! 遅いよう」


 操は口を尖らせ彼の腕を取ると、強引に席に引っ張っていった。


「ちょっと寄り道してたから、あの……」


 レンが何か言おうとしていたところへ、タイミング悪くお客が入ってきた。操は振り返って声を掛ける。


「いらっしゃい! あ……」


 三つ揃いのスーツを着た客の男は帽子を取った。そこに居たのは頭はツルツルに禿げ上がり、耳の上辺りにU字型のモジャモジャの白髪の老人。


「何しに来たんだオーパ」レンが言った。

「あの人が、オーパさん?!」操はびっくりして口元に掌を寄せ固まった。


 ヴァイス博士はゆっくりと歩みを進め、レンの向かいに座った。


「あれがお前の言っとった女子か?」

「オーパには関係ないだろ」

「ふーん。おい、そこの嬢ちゃん!」

「は、はい!」


 操はピンと背筋を伸ばして博士の方へ向き直った。ヴァイス博士は舐めまわすように操を眺める。


「レンは何も知らない子ども同然の男じゃ。こやつと一緒になれば必ず不幸になるぞ、嬢ちゃん」

「そ、そんな。そんなこと、無いです」


 彫りの深い不気味な外人の言葉に、脚を震わせながら答えた操。


「大丈夫、操?」


 レンは心配にって、立ち上がろうとした所、操が手で留まるように合図を送ってきた。それを見て、レンは渋々といった感じで腰を下ろした。


「レン君のお爺さんですよね。レン君は、確かに何も知らない子どもみたいなところもあるし、正直危なっかしいところもいっぱいあるけど、でも、二人一緒なら乗り越えて行けると信じてます」

「ほう。見た目と違って、いっちょ前の事を言うのう。じゃが、こいつは怪物じゃ! 良いように捉えても、いずれ失望するときが来るぞ!!」

「そんなことないです。失望なんてしない。いつだって、彼の事を信じて支えて見せます!!」


 操は、勇気を振り絞って博士の目をしっかと見据えた。


「操……」

「ほう! その言葉。しっかと聞いたぞ」


 博士は操を見つめながらニヤリと笑った。操は認められたと思い、ホッとして博士に笑顔を返した。しかし、博士は真顔になりレンのを方に向き直る。


「おいレン。お前、この嬢ちゃんに渡すものがあるじゃろ?」

「何で知ってるのオーパ?」

「ワシには何でもお見通しじゃ!」


 博士は、ホテルを出た後のレンをずっと距離を置いて追いかけて来たのだった。

 すっかり安心しきった操は笑顔でレンに近る。


「なになに?」

「あのね。これ」レンは懐から隠し持っていたプレゼントの包みを取り出した。「受けとって」


 包みを手渡された操は、高級そうな包みを開き、中にあったスエード地の箱を恐る恐る開いた。


「あ……」

「この前、操が欲しそうにしてたから。プレゼント」


 レンは、恥ずかしそうに微笑みながら呟いた。

 しばしの沈黙の後、操が箱を突き返す。


「受けとれないよ……」


 レンは、予想外の言葉にびっくりして聞き返す。


「なんで?」

「こんな高価な、真珠のネックレス。どうしたの?」

「お金は大丈夫だよ」

「そうじゃなくて! そんな、大金どうしたの?」

「それは……」


 レンは言葉に詰まった。


「ほっほっほっほっほ! 失望なんてしない。彼の事を信じる! じゃったかのう?」


 博士は、予測された結末を見て大声であざ笑い、更に言葉を畳みかける。


「レン。あの目を見よ! 失望に囚われた娘の目を! 言葉ではどうだって言えるのじゃ。しかし、本心は! 隠しようが無いんじゃて!! ほっほっほ!! こりゃ傑作じゃわい!!」


 レンは立ち上がり、思いつめた表情で操の方へ一歩一歩近づいて行く。


「違うんだ。ただ、俺は操に喜んでもらいたかった。そんな目で見て欲しく無かった」

「レン君、怒らないから教えて。失望してるんじゃない。心配してるんだよ」

「ほら、教えてやれレン! どうやって金を稼いだか? 言えんのなら、代わりにワシが教えてやろうか? ワシとどんなことをして大金を稼いできたか?」


 レンはパニックに陥った。運動したわけでもないのに心臓がバクバクし、何も遮るものなどないのに視界がぼやけてくる。ついにはどうすれば良いか分からなくなり、オロオロ歩き回った挙句、彼女の悲しそうな瞳を視界に捉えた。それが彼には耐えがたかった。レンは箱を持って、逃げるように食堂から飛び出していった。


「待ってレン君!!」


 そう叫んでみたものの操は、追いかけることも出来ず呆然と立ち尽くすしかなかった。しかし、考えた末にキッと博士の方へ向き直った。


「どういうことなんですか? なんでレン君を苦しめるんですか? どうして?」

「あやつは理解されることのない怪物じゃ。レンが胸を張り生きられる世界を作るのがワシの望み。そのためには犠牲を払ってでも、金を稼がねばならんのじゃよ。そのためには、まだ足りんのじゃ。この国を変えるためには、もっと、もっと必要なんじゃ、金が」

「そのために、レン君に悪い事させるんですか? そんなことが、本当に彼の為になると本気で思ってるんですか?」

「悪い事か……。ワシらは悪事は働いておらん!」

「え? どういうことですか?」

「悪事はしてないが、悪い奴らから金を奪っておる。時には暴力を振るってな。あやつは、それを嬢ちゃんに知られたら失望されると分かっていたのじゃ。悪知恵だけは働くようになりおって」

「でも、それって犯罪には変わらないんじゃ……」

「犯罪というのはのう、嬢ちゃん。訴えられなきゃ犯罪じゃないのよ。だが、普通の人間にはそれを理解することは無理じゃろうて」

『なるほど、興味深い話ですね』

「誰じゃお前は?」


 奥の席で新聞を読んでいた男が、立ち上がり警察手帳を掲示した。


「私ですか? 本庄と申します。ちょっと署までご同行願えますか?」

「は? 任意か? 断る!!」

「そうですか。それでは……」


 本庄は、自分がビールを飲むのに使っていたコップを持ち上げると、博士の前までやってきて、床に叩きつけた。


「何をする!」


 足元でガラスのコップが割れて、博士は少し後退った。と同時に、博士の腕を掴んだ本庄は、博士の腕に手錠を掛けたのだった。


「器物損壊の現行犯で逮捕する」

「何を言う! 割ったのはお主じゃないか!!」

「おやっさん! 見ましたよね?」

「ああ」

「おかみさんも?」

「ええ」


 カウンターの奥に居た食堂の親父さんとおかみさんは気のない返事をした。


「操ちゃん……、には聞くのは止めておこう」

「本庄さん!」

「何か分かったら、後で教えるよ!」


 こうしてヴァイス博士は、伊勢佐木署に連行されていった。

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