第17話 ダンスしないか?

 二日後の秋分の日。山手の丘の中腹にあるダンスホールでは、学生主催のダンスパーティーが開かれることになっていた。先日の打ち合わせの通り、食堂で作った仕出しが運び込まれる。操は、レンと一緒にオードブルのセッティングをしていた。


「タダ働きさせちゃってゴメンね! ぎりぎりの予算で請け負ったから、余裕が全くないのよ」


 エプロン姿の操が、レンに向けて手を合わせる。それに対してレンは働く手を止めずに返事をする。


「大丈夫だよ」

「ありがとう。今度埋め合わせするから」

「そんなことしなくても、一緒に居られるだけで、俺は幸せだから」


 仕事に集中しているレンは振り向かずに飄々と答えた。それを聞いて頬を赤らめた操。


「私だって、そうだよ」と小さく呟いた。


『イチャイチャしてないで手を動かしてね』


 紫のドレスを着た照代がいつものクールな表情のまま声を掛けてきた。


「もう! 照代ったら!! ちゃんとやってますう!」

「でも、エビのカナッペのお皿に、イチゴジャムを盛り付けるのは違うんじゃない?」

「あ! やっちまったぁ! 新しいの取ってくるね!!」


 操はホールの外に出ると、そこにいた和子ともう一人の女子に引き留められた。


「あ! 和子に寿美子! 見かけないから、何処にいるかと思ったじゃない」

「あのね……。やっぱ、言えないよー!!」

「もう! 和子が言い出したんじゃない!」


 操の目には、ふたりとも落ち着かずにソワソワしている様に見えた。


「どうしたの?」

「土曜日に、馬車道で、レン君と、会ったのよ」和子一言一言区切りながら言った。

「あ、知ってるよ! さっき照代からも聞いたし。すごい偶然だよね」

「そうなんだよー! って、そうじゃなくて」

「なによ?」


 操は不思議そうに和子を見つめた。怖気づいたのか和子は顔を下に向けて黙り込む。見かねた寿美子が勇気を出して代わりに口を開く。


「レン君と別れた方が良いよ操!!」

「え? 何言ってんの?」


 にわかに信じられない言葉を聞いた操は、寿美子の目をジッと見つめた。その視線に耐えられず涙目になった寿美子に代わり和子が言葉を続ける。


「土曜にさ、フルーツパーラーでおごってもらったんだけど、そん時に、彼、すごい大金持ってるの見せびらかしてきて……。普通じゃないよ! あの人」

「そんなの、働いてるんだし。お金持ってるくらい普通じゃんか」

「常識じゃ考えられないくらいのお金だったの。たぶん数十万の札束だった。それにね。なんかツレでいた男の子が言ってたんだけど、表に出せない秘密の仕事をしてるって。たぶん犯罪で稼いでるんだと思うわ、彼ら」

「…………」

「ね。だから危険な男なのよ、あの人は。背も高くてハンサムだけど、別れた方が良いって絶対!」


 和子はそう言って、操の両肩に自らの手を置いた。


「知らない癖に……」

「知らないったって、それは、操も同じでしょ? 恋は盲目にさせてしまうものよ。 私たちが言ってるのは客観的事実だから! ただの不良じゃないとおもう」


 操はゆっくりと和子の手を払いのけた。そして、冷静に語り出す。


「和子たちは、レン君のこと知らないからそんなこと言えるんだよ。あんなに純粋で心がきれいな人は居ない。放浪生活してたから常識がなかったり、変な行動しちゃうときもあるけど、きっと何かの誤解だよ」


 話ながら涙が溢れそうになった操の上に、大きな影が掛かった。


「大丈夫、操?」

「あ、レン君。なんでもないよ」

「泣いてるの?」

「目にゴミが入っただけだよ。もう大丈夫」

「大丈夫に見えない」

「あ……」


 レンは涙目になった操をそっと胸に抱き寄せた。人前で抱きしめられ、最初はビックリしたものの、レンの心臓の鼓動が操に落ち着きを与え、やがてその安らぎに身を任せた。周りにどう思われようと関係ないと思ったのだった。

 何人なんぴとも邪魔することのできない二人の世界を見せつけられ、和子たちは掛ける言葉が見つからずに立ち尽くした。そこへ、照代がやってきて口を挟む。


「準備はあらかた終わったから、操、レン君帰っていいわよ」

「帰ろうレン君」

「ああ」


 二人は手を繋いで会場から外の暗闇の中へと去って行った。3人はそれぞれに、そこに存在した尊いモノを感じ羨望の眼差しで見送った。


「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえってね」

「本当に、あのままで良いと思ってるの照代?」と和子。

「操を信じてあげなよ。あの子の目は節穴じゃないさ。たとえ悪い奴でも、操が良い方に導いてくれる。そんな子だと、私は思ってる」

「そっかぁ。そうかもしれないですわね」

「えー! 寿美子まで納得しちゃうの? なんか私だけ意地悪おばさんみたいじゃないのよー!」


 日が沈んだ頃、山手のダンスホールから運河を挟んだ対岸にレンと操は居た。すぐに帰る気になれなかった二人は、ダンスホールの大きなガラス張りから漏れる光と微かに伝わる音楽の調べに耳を傾けながら、手すりに両腕を載せて寄りかかっていた。


「信じてるから」


 操が小声で呟いた。


「え?」

「ううん、なんでもない」

「うらやましい?」

「どうかな? 学生でなくちゃ出来ないことはいっぱいあるけど、今の生活だから出来ることも有ると思うし」

「そうじゃなくて、ダンス」

「ああ、そっちかあ~。あの年頃はちょっと背伸びして、大人の真似事したいんだろうなあって、そんな感想かな」


 そう言って操は微笑んだ。


「何言ってるか良く分からない、操」

「もう、ヤダ!」


 操は真顔で答えたレンの肩を軽くパンチをした。


「ねぇ、操。ダンスしたくない?」

「まだ私には早い気がするなぁ。ダンスホールは大人の社交場って感じがするし」

「そうじゃなくて!」

「ん?」

「ここで、ダンスしないか?」

「え?! ちょちょ! 何言い出すのレン君!!」


 操は慌てて両腕をバタバタさせる。レンは落ち着き払ったまま微かな音楽に耳を傾けている。


「音楽は聞こえるし、光もある」

「は、恥ずかしいよう。誰かに見られたらどうするのよ」

「誰も居ないよ。それに、居たってかまわない」

「わたしは構うよ!」

「どうして?」

「ズルいよ! こういうときだけ子犬の目して見つめて来るの。断れなくなっちゃうじゃんか」

「ありがとう」


 レンは操に優しく微笑んだ。


 誰も居ない岸辺で、微かな音楽に合わせてワルツを踊るふたり。


「きゃっ! ゴメ。あ! また踏んじゃった!! あ、また踏んだ! ごめーん!!!」


 優雅な動きのレンに対して、つたない動きで相手の足を何度も踏んづけてしまう操。


「そうだ!」

「どうしたの?」

「俺の足の上に操の足載せて」

「え?! 汚いよ」

「大丈夫。小さいころ俺もオーパにそうやってダンス習った」

「へー! だからレン君ダンス上手いんだ?」


 操は恐る恐るレンの靴の上に自身の足を載せて爪先立った。


「行くよ? しっかり摑まって」

「うん」


 操がピッタリ寄り添ったところで、レンは動き出した。大きくステップを踏み、時折り旋回しながら、ワルツを展開する。月明かりが運河を照らし、淡い光の波がキラキラと舞う中、舞い踊る二人。最初は少しビクビクしていた操も、笑顔がこぼれ始める。


「そんな回ったら目が回っちゃうよ!」

「音楽が速いから、しょうがないよ」

「あ……」


 停止した音楽に合わせて、ピタッと止まったレン。操の体を大きく後ろに仰け反らせ、顔を近づけた。その距離5センチメートル。操の心臓は破裂しそうになる。


「疲れた? 操?」

「え? なんで」

「心臓が速くなってる」

「そ、そうかもね」

「じゃあ、休もう」

「あ、うっ……」


 レンがギュッと抱きしめて、操の頭の上にアゴを載せて来た。


「あれ? 全然心臓が遅くならない」

「ばかっ……。当たり前だよ」

「なんか言った?」

「しばらくこのままでいようよ」

「うん……。わかった」


 対岸では明るい光の中、喧騒と音楽が鳴り響く。乱反射する光に照らされた静かな夜は、何者も邪魔することのできない二人の世界をそっと包みこむのだった。


 帰り道の道すがら、とある宝飾店の前で操は立ちどまる。


「わぁ、きれい!」


 ショウウインドウに飾られた2連の真珠のネックレス、大きな一粒一粒が乳白色を帯び薄っすら銀色の光を放つ。上品で柔らかな輝きが操の心を捉えていた。


「こういうの好きなんだ操?」

「え? うん。でも、まだ私には早いかな」

「そんなことない。買ってあげるよ」

「何冗談言ってんの? レン君、値札をよーく見て」

「大丈夫! 今、金持ってるから俺」レンは視線を値札に落とした。「あ……」

「凄いよねぇ。このネックレス一本で、車買えちゃうんじゃないかしら」

「宝石ってこんなに高いんだ」

「縁日で売ってるバッタもんじゃないんだから当たり前だよ。って、あんまり寄り道してると叔母さんたちが心配しちゃうね。急ぎましょレン君」


 操は駆け出し、振り返って手を振った。レンは慌てて追いすがりネオン輝く街を二人して駆け抜けていった。

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