「主体的に学習に取り組む態度」の付け方と問題点【内申点】

 通知表に記される「主体的に学習に取り組む態度」。「何が評価されるのか分からない」「先生の手伝いを進んでしたのに評価が低かった」等、疑問や不満が生じやすい項目です。

 2020年までは「関心・意欲・態度」でしたが、「主体的に学習に取り組む態度」になって変化した部分も、変わらない部分もあります。今回は分かりにくい「主体的に学習に取り組む態度」を丁寧に解説します。


1.なぜ「態度」を教科学習で評価するか


 そもそも教科の評定に、なぜ「態度」を含むのか理由を見ていきます。理由がなければ「態度は国語とも数学とも関係ない別側面だろう」となり、教科の評定に入るのはおかしな話となります。

 国(中教審)はこちらの通り、理由を「生涯学習の基盤として重要だから」としています。


「学びに向かう力、人間性等」は、知識及び技能、思考力、判断力、表現力等をどのような方向性で働かせていくかを決定付ける重要な要素であり、学習評価と学習指導を通じて「学びに向かう力、人間性等」の涵養を図ることは、生涯にわたり学習する基盤を形成する上でも極めて重要である。

したがって、「主体的に学習に取り組む態度」の評価とそれに基づく学習や指導の改善を考える際には、生涯にわたり学習する基盤を培う視点をもつことが重要である。

(中央教育審議会「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」p.10、2019)


 学校では法律や技術などを全て網羅は出来ません。人々は学校を卒業しても、必要な物事・新たに生まれた物事を自ら学ぶ必要があります。よって、国としては受け身ではなく主体的に学んでもらう必要があります。

 国は、「関心・意欲・態度」の時から評価の目的は変わらないとしています。評価するのは学習の要素だと強調する意味での変更ということです。

 この方針に問題があることは後で話しますが、とりあえず国の説明では、教科の評定に「態度」を入れているのは生涯学習のため、となります。


2.「主体的な態度」=「粘り強さ」+「学習の調整」??


 では「主体的に学習に取り組む態度」とは何でしょうか。指導要領外の事柄を自ら学ぶのも主体的と言えそうですが、その意味では使われていません。

 国(中教審)は以下の通り、①粘り強く学習に取り組む態度、②自ら学習を調整しようとする態度の2点としています。その説明として示されたこの図が、教育委員会の資料でやたらと引用されています。

 「自らの学習を調整」することは態度というより能力の側面が強いと思うのですが、国の説明はこの2点を「態度」としてます。

 「関心・意欲・態度」の時に比べて、関心よりも「学習の調整」が見える「反省・振り返り」が重要視されています。この点が今から説明する「何を・どう評価するか」に大きく関わります。


3.何を・どう評価するか

 国(中教審)は何を・どう評価するか具体的に指示はしていません。説明はこちらのような記述に留まります。


「主体的に学習に取り組む態度」の具体的な評価の方法としては、ノートやレポート等における記述、授業中の発言、教師による行動観察や、児童生徒による自己評価や相互評価等の状況を教師が評価を行う際に考慮する材料の一つとして用いることなどが考えられる。

(中央教育審議会「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」p.13、2019)


 もう少し具体性が増した文科省(国立教育政策研究所)の参考資料でも、「態度」の評価方法について指示はありません。こちらの通り、学習指導要領に該当部分がないので、自分たちで基準を作りなさいと記されています。


ただし、「主体的に学習に取り組む態度」に関しては、特に、児童生徒の学習への継続的な取組を通して現れる性質を有すること等から、「2 内容」に記載がない。そのため、各学年(又は分野)の「1 目標」を参考にしつつ、必要に応じて、改善等通知別紙4に示された学年(又は分野)別の評価の観点の趣旨のうち「主体的に学習に取り組む態度」に関わる部分を用いて「内容のまとまりごとの評価規準」を作成する必要がある。

(国立政策研究所(2019) p.15)


 具体的な方法は各学校や各教員に任され、これが評価の分かりにくさに繋がっています。とはいえ、多くの教員が使う代表的なパターンがあるので、これから3つ紹介していきます。


★代表例①「振り返り」「気づき」の記述


 「態度」の評価に使われやすいのがノート・レポートですが、中でも「振り返り」や「気づき」の記述がよく評価対象になります。先ほど出てきた「自ら学習を調整しようとする態度」の証拠に使いやすいからです。

 授業の最後に「学習を振り返って学んだことを書く」活動があれば、評価対象であることが多いです。一見意味のない感想の欄に思えても、油断はできません。

 例えば、文科省(国立教育政策研究所)の参考資料では、中2国語『枕草子』の単元で振り返りシートの記述が出てきます。(シートは文末URLのnote版に記載)

 例えば、第3時に書く「本単元で課題を解決するために試行錯誤したこと」では、

「共通点と相違点をいくつか書きだした」「友達に説明して意見を聞いた」「他グループの意見交流の内容を聞きに行った」などを書けば、「興味の広がり」や「応用・活用の意識」があると判断でき、A評価となると記されています。


 また、全教科で「態度」の評価をしなければならないので、例えば数学でも、こうした「振り返り」の記述をさせることがあります。(シートは文末URLのnote版に記載)小単元ごとに「わかったこと」や「知りたいこと」を書く必要があります。


 学習内容以上に難解なお題にも感じますし、後で話す通り色々な問題点のある評価法だと思います。しかし、国(中教審)は「挙手の回数」など単純な評価法を見直すという方針を示しており、基本的には今紹介した「振り返り」を用いた評価法が推奨されています。

 書かれていない・出されていないと評価をゼロにせざるを得なくなるので、まずは記して出すことが必要です。


「関心・意欲・態度」の観点について、挙手の回数や毎時間ノートを取っているかなど、性格や行動面の傾向が一時的に表出された場面を捉える評価であるような誤解が払拭し切れていない

(中央教育審議会「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」p.4、2019年)


★代表例② 態度を観察する(主観??)

 

 次の方法は、身も蓋もないようですが「観察」です。先ほど引用した『枕草子』の例でも、評価はシートと観察を併用しています。「授業でも、進んで原文を確認し、学習を進めている様子が観察できた」などと評価が記してあります。

 学習の態度が姿に現れるのか、たまたま見た場面が消極的なように見えただけという可能性は拭えるのか、40人をきちんと見て評価することは可能かなど、疑問を挙げればキリがありません。しかしこちらの通り、文科省(国立教育政策研究所)の資料でも、観察が評価法として記されています。

 なお、こうした資料では、グループワークを念頭に記述されています。しかし実際には、「挙手して発言したか」「ノートを取っているか」「授業と関係のないことをしていないか」を教員の感覚で判断するといった評価の仕方も可能です。


★代表例③ 提出物(ノート・宿題・自学等)


 ノートの取り方、宿題や自主学習の提出状況、忘れ物などが「態度」の評価となる場合も依然としてあります。例えば、ノートを以下のように評価するといった具合です。


A:板書を写した上で、口頭説明や関連事項の記述など工夫がある

B:板書をしっかりと写している。

C:一部を写していない。

D:半分以上写していない。

E:全く書いていないか、未提出。

(なお、工夫があるが不足もある場合は不明です)


他にも

・ドリルやプリントの達成枚数

・小テストの直しを全て提出したか

・自学ノートのページ数が多い

といったような回数や時間を明確にカウントできる行動を記録して評価している事例もあります。以前なら「意欲」、現在なら「粘り強い取組」の証拠とされます。


 「態度」の評価のためだけに特別なことはしたくない、でも観察という主観だけでなく客観的な指標が欲しい、という場合に楽な方法です。しかし、先ほど見たように「挙手の回数」など単純な評価は国から釘が指されており、国や各教育委員会の資料では基本非推奨です。


★まとめ:あえて攻略法をと言うなら「書けと言われたものは書く」


 以上が代表的な評価法です。最終的には各教員に任されますが、教科の評価なので「授業外でよく手伝いをした」といったものは基本「態度」の評価には入りません。


 攻略法という安っぽい言葉を使うなら、攻略法は「プリントも活動も含めて授業に真っ当に取り組む、書けと言われたものは書き、出せと言われたものは出す」という何ともお得感のない話になります。ただ、「振り返り」や「気づき」の欄が重要なことが多いというのは、一つポイントになるかなと思います。


 ここまで「態度」の評価法を解説してきました。教員はいくら面倒でも、個人的には意味がないと思っていても、何らかの評価をしなければなりません。

 しかし、個人的にはそもそも「態度」の評価が教科の評定に入ること自体、良くないと考えています。もちろん、毎単元・毎時間振り返りシートを見て全員を評価するのは教員の負担が大きすぎ、そんなことより目の前の生徒の疑問に答える方が大切だと思いますが、仮に教員に余裕があったとしても「態度」の評価には問題があります。

 考える問題点をこれから挙げていきます。


4.「態度」を評定に入れる問題点


(1)主体性・態度は教科の学力なのか

 1点目は、態度の評価は授業の目標から外れてしまうという点です。主体的に学習に取り組むことは大切ですが、それは国語や数学の能力とは言えません。

 評価は授業の目標に合わせるものです。例えば、中学とは性質が違いますが、私は大学のある授業(教養科目)を、コメントシート50%・テスト50%で成績評価しています。「知識」(テストで確認)に加えて、授業内容について自分の経験から「思考すること」(コメントシート)が授業のねらいだからです。主体的でも必修科目だから嫌々でも、ねらいである知識と思考力が身に付けば良いと考えています。もちろん一人でも多くの学生が関心を持てる授業を目指していますが、評価とは関係ありません。また、「受け身で渋々でもこなして力をつける」のもそれはそれで素晴らしいことだと思います。

 教員が生徒の「主体的に学習に取り組む態度」をしっかり肯定して伸ばすことは大切ですが、教科の能力とは別に考えるべきです。


(2)主体的な態度の評価が、独自の学習法という主体性を奪う懸念

 2点目は、「主体的に学習に取り組む態度」の評価が、逆に主体性を奪う懸念がある点です。

 例えば、ノートを評価する際、板書をきちんと写していることが求められがちです。教員によっては、書く順番・配置まで指定することもあります。しかし、ノートは他人に説明するための書類ではなく自分が学ぶためのもので、自分が考えやすい・学習しやすい書き方でよいものです。

 学習法の工夫が意欲につながることもあり、それを奪うような「主体性に学習に取り組む態度」は本末転倒です。評価するにしても、教員は自分が示したお手本にとらわれず、生徒それぞれの工夫も認める必要があります。


(3)学びより「学んでいるように見せる」ことが優先されてしまう


 3点目は、「態度」の評価を上げることが”学習より"優先される懸念がある点です。

 「振り返り」や「気づき」の記述は、学習を振り返っているかどうかというより、「振り返っている風」「気づきや学びがあった風」「課題を反省して徐々に成長している風」に書けるかどうかの勝負と言えます。その授業が全て前から知っていること・出来ることだったとしても、そのことを「振り返り」に記すことは(もちろん教員によりますが多くは)好まれません。「試行錯誤しながら周りと協力して少しずつ出来るようになる」といった教員の求めがちなストーリーが分かる子は上手く捌き、しっかり考えるゆえに「気づき…?」と引っかかるような子はあまり書けないということになりかねません。


 総じて、「態度」の評価は、かえって教科の学習を妨げる懸念があります。「主体的に学習に取り組む態度」を養うためには、「態度」を評定に組み込むより、各教科で学ぶ意味をしっかり伝えたり、わかる・できるようになった成功体験を積ませたりすることの方が大切だと思います。


(本文おわり。引用箇所など詳細は以下URLに記載)

https://note.com/gakumarui/n/n1595809abfa5

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