侮蔑のスラング「義務教育の敗北」~意味・対象と教育観の考察~

 「義務教育の敗北」は2010年代後半から使用が増えたスラングです。主に、小中学校で身につけるべきと話者が考える知識や価値観が欠如している他者を侮蔑する際に使われます。

 この語は一般に広く普及している語ではありません。筆者が学生に尋ねると、この語を知っていた人は1割程度でした。しかし、SNSや動画サイトで度々用いられ、使用者の教育に対する価値観を反映した語であることから、考察する意義があると考えました。


★本文は12月9日にバーチャル学会2023で発表した内容を含みます。


1.教育批判ではない「義務教育の敗北」

 この語は一見すると、学校教育を批判しているように見えます。筆者がこの語を聞いたことがない学生に「義務教育の敗北」という文字だけで意味を推測させてみると、海外の教育制度や、塾など民間教育、フリースクールなど日本の義務教育制度以外と比較して学校教育を批判する意味と推測する人が多かったです。

 しかし、SNSや動画サイトで本語の用例を見ると、学校教育を批判していないものも多いです。義務教育(諸学校)が知識等を身につけさせられなかったことを「敗北」と表現しつつ、主に教育する側ではなく受ける側を非難していることがこの語の特徴です。

 この語がどのような意味で・何に対して用いられているのか、ネット辞書・百科事典サイトでの定義とYoutubeでの用例を調査し、学会発表を行いました。


2.辞書・百科事典サイトの定義

 この語が近年インターネットで用いられだした語であり書籍に記されていないことから、ネット上の辞書・百科事典サイトの記述を分析します。

 そうしたサイトは当然出版される辞書とは大きく性質が異なり、書き手の恣意が強く反映されていますが、そこに含まれる恣意も、スラング使用者の価値観を捉える上では重要と考えました。


この語の価値観をよく反映しているのが、詳細不明ながら辞書一括検索サイトWeblioに掲載されている「実用日本語表現辞典」の記載です。こちら()含めて原文ママ引用しています。


一般常識や理解力が途方もなく欠如しているさまを、驚きや呆れを込めて表現した言い方。インターネットスラング。日本で一通り義務教育を受けて生きてきたのなら(どれほど馬鹿だとしても)当たり前に理解できているはずの事が、理解できていない、そのような非常識さを形容する表現。

(出典:実用日本語表現辞典「義務教育の敗北」)


 「非常識」や「馬鹿」の意味で非難や嘲笑する際に使われる表現として、本人ではなく他の対象を差して間接的に本人を侮蔑するものは、古くから「親の顔が見たい」「お里が知れる」といった表現が存在します。こうした表現も親や地域を育てる・人を形成する土台となる立場とみなし、育てる側が悪いから「当たり前」のことができないという認識で使われます。一方で、これらは本人とともに親や地域も低く見ている表現であるのに対して、「義務教育の敗北」は必ずしも義務教育制度や学校を低く見ている・原因として批判しているわけではありません。

 この語では、義務教育は「分かって当たり前」のことを与える場である、義務教育を受けた者はそれを身につけることが自明のこととされています。以下、wiki形式の百科事典サイトニコニコ大百科の記述からも同様の価値観が伺えます。


義務教育の敗北とは、小学校中学校の9年間をかけても一般的な知識を与えることに失敗した様の事である。

通常、義務教育は、帰国子女などの稀な例外を除き、日本国民全員が受けているはずである。しかしながら、このタグが付けられている動画では義務教育を受けているのかも怪しい言動が見られる。それらを指して「義務教育の敗北」と評される。

(出典:ニコニコ大百科「義務教育の敗北」)

 

 このように「義務教育の敗北」の語を用いる背景には、小中学校教育を全員が受けている、受けた者全員が常識という「分かって当たり前」の共通項を獲得するものだという教育観があると考えられます。


3.何を知らないことを指すか:Youtubeの用例

 Youtubeでの用例を収集しました。2023年10月に実施し、非ログイン状態で履歴等の無いブラウザを用い、トップページから「義務教育の敗北」で検索、表示された動画で何を「義務教育の敗北」と称しているか内容を投稿日時などとともに記録しました。全記録は私のnoteで公開しています。https://note.com/gakumarui/n/ne82c4d20c5c1

 なお、複数の内容を「義務教育の敗北」と称している場合は、再生時間の中で最も早く出てきた内容を記録しました。また、記録後その内容が小中学校の学習指導要領においてどの学年に該当するか、または該当無しか調査して、表に併記しました。


知識や計算能力の不足が大半

 結果、48本中46本、ほとんどの動画が知識や計算能力の不足を「義務教育の敗北」と称していました。X(旧Twitter)などSNSではまた違った傾向も出そうですが、今回Youtubeでの用例調査では、マナーなど態度面は2本しかありませんでした。

 他者の配信の一場面を切り抜いた動画が主でしたが、自らの知識不足や失敗を自虐的に「義務教育の敗北」と称する動画もありました。


義務教育の範囲外も含め様々な内容

 知識・能力の不足を対象とする46本の内容を指導要領と照らすと、小学校の範囲が27本、中学校の範囲が12本、範囲外が7本でした。多くの対象が義務教育の範囲にあるものの、「うるう年」といった文化的な事項だがどの教科の範囲でもないもの、「四則演算」といった行動自体は学校で行っているが名称が扱われないもの、「月桂樹」といった常用漢字外のもの(桂)も対象となっていました。ただこれらを扱った動画では「義務教育の内容ではない」と指摘するコメントも多く、小中学校の内容か否かはとても重要視されていました。


多い内容:算数と地図

 教科では最も対象となったのは、算数・数学にあたる内容で15本でした。(奇数など数の概念に関わる知識が10本、簡単な計算を間違えることが5本)知識を知らないことだけでなく、計算という「できて当たり前の」処理ができないことも対象となっていました(あるいは知識の不足と同一視されていました)。

 具体的な内容でよく扱われたのは都道府県の位置・名称の5件で、世界地図関連の3件を含め、社会科に当たるものの多くが地理の中でも地名・地図の内容でした。特に都道府県の位置・名称は「誰も学んだ」「分かって当たり前」の共通項と思う人が多く、語の使用者にとって覚えていない・間違えた人をバカにしやすい内容と考えられます。他者を「義務教育の敗北」と嘲笑する際には、「多くの人がその内容を理解している」と多くの人が認識していることが必要です。「学校でやったけどみんな覚えてないよね」では成立しないからです。都道府県の位置・名称は、自分が覚えているか否かに関わらず「多くの人が覚えたこと」として広く知られていることが、共通項として使われやすい理由の1つと考えられます。他、漢字の読み方は4本、理科の内容が4本、英語の内容が4本などとなっていました。


4.00年代「おバカ」クイズ番組との共通項と相違点

 「義務教育の敗北」の対象や使われ方は、2000年代に流行した「常識」を知らない人を「おバカ」として中心に据えたクイズ番組と共通点があります。クイズ番組の歴史を整理した伊沢は、2000年代のクイズ番組ブームについて、「お茶の間が崩壊し、背景にあったカルチュラル・リテラシーもなくなった」時代の新たな「共通項」として「学校」が使われたと考察しています。「皆が受けてきたはずの義務教育こそ、共通の話題、そして『必要である』と社会的に認められた知のひとつ」として機能し、それを知らない「おバカ」という尺度が番組に存在することで「正解不正解やおバカタレントについて『会話する喜び』が生まれ」たとしています。

 その人にとって「常識」がない者を批判する、嘲笑することをエンタメとするところが共通しています。一方でクイズ番組発のユニット名にもなった「羞恥心」(2008年結成)が当時常用漢字でなかった(2010年追加)ことが象徴的ですが、こうしたクイズ番組で出される問題は必ずしも小中学校で扱う知識ではありませんでした。しかし、「義務教育の敗北」の語は多くが小中学校の内容を差すという違いがあり、より若年層でも使いやすい、他者を笑いやすいスラングになっていると思われます。


5.考察:教育観を広げる重要性

 「義務教育の敗北」の語の背景にある、全ての者が学校教育を十分に受けられているという前提は正しくなく、社会には小中学校相当の内容について学びのニーズを持つ人が多数います。例えば、現在公立の夜間中学の設置が増えています。夜間中学とは元々は戦後の混乱期に学校に行けなかった人向けの学校でしたが、近年小中学校で学びができなかった人が社会には沢山いることにようやく光が当てられ、学び直しの機会を作る取り組みが盛んになっています。

 もっとも、学校では学校や教育制度そのものについて学び考える機会はほとんどありません。小中学校で受けてきた指導などから「小中学校教育を全員が受け、受けた者全員が『分かって当たり前』の常識を獲得しなければおかしい」という教育観に至る者も多いでしょう。他者の知識能力不足に対する不寛容さを減らしていくためには、教育や学ぶことについて俯瞰して考える機会が設けられ、教育観を広げることが重要と考えます。

 もちろん、小中学校が多くの人にとって共通項となる知識を与えることは重要です。また、そうした知識が欠けている状態に対して何もすべきでないと考えているわけでもありません。むしろ、学びやすい社会であるために、「わからない」「知らない」ことを安易に罵倒や嘲笑することに対しては注意しなければなりません。学びや疑問を大切することこそ共通項として、学校教育の中で扱われるべきものと言えます。


6.おわりに:教育やその成果は難しい

 教育の成果には見えにくいものもあり、簡単に成功か失敗か(「義務教育の敗北」においては勝利か敗北か)断定できるものではありません。また、それぞれが受けてきた教育の質も学校・家庭・地域など環境によって大きく異なります。そして、その地点で習得できなくても学び直すこともできます。そういった広い視野での教育観を持って他者と接する方が、他者の知識等の欠如に対して呆れ嘲笑するよりも他者そして自己の学びに繋がるでしょう。


★参考文献・調査データはこちら:https://note.com/gakumarui/n/ne82c4d20c5c1

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