「運動会の目的」の歴史 ~体育奨励・地域の祭り・規律忍耐・民主的協同~

 運動会は何のためにするのか。その答えは先生や学校ごとに違い、ハッキリ答えられない人も多いです。

 運動会・体育祭は殆どの小中学校で実施されます。現在の学習指導要領では特別活動として体育的行事を行うと記され、目的は「集団行動の体得、運動に親しむ態度の育成、責任感や連帯感の涵養、体力の向上など」とされます。別に運動会である必要はなく、体育的行事なら球技大会やマラソン大会を行うだけでもよいのです。

 それでも運動会が全国の学校で行われている理由は、歴史から見えてきます。そして、歴史的に運動会の目的は大きくご覧のように整理できます。これからの解説で図の意味はわかってくると思います。

★図はこちらに記載:https://note.com/gakumarui/n/n50cc9e3d8df5


1.体力向上・体育奨励のため

 運動会は1870年代に始まりましたが、全国に広まったのは80-90年代です。85年に就任した初代文部大臣森有礼は、日本人は欧米と比較して身体能力が劣っていると捉え、体育を重視しました。運動会は日頃の鍛錬を示す場として設定されました。

 体育が奨励されたのは子どもだけではありません。運動会は、保護者・地域含めて広く国民一般に体育を広める場でもありました。

 運動会が各地に広まると、精神面など様々な意義も主張されるようになりますが、当時の第一の目的は体力向上・体育奨励でした。


児童に直接する目的(主目的)(一)運動会は体育を奨励す

(二)運動会は平素の体育状況及訓練の実際を示す

(三)平素に於ける各自体育場の成績を自覚し、他と比較するの機会を与ふ

(四)全校一致共同の興味を喚起す

(五)児童の心身を爽快にし、元気を鼓舞す

(六)公徳心を養成す

(出典:国民体育攻究会編『小学校運動会要訣』1908年)


2.地域のお祭り、保護者に見せるため

 しかし、国の思惑と実態は異なりました。運動会が広まった1880-90年代は多くの学校に運動場がなく校外で行っていましたが、子どもにとっては遠足であり、地域の大人たちは会場で宴をして競技を見ていました。1900年代から運動場が多くの学校に出来ると、学校に露店が出てきて町ぐるみの祭りと化す所も多くありました。行政から度々、風紀が乱れている、体育の本旨に反すると警告が出されていました。

 教育書ではあくまで第一義は体育面としながら、保護者や地域の人々と一緒に盛り上がることを、体育奨励以外にも、保護者や地域の学校教育への理解や協力を深めるという側面で意義づけました。 

 1927年(昭和2)に書かれた教員向けの本でも、運動会の目的に、(1)日常の体育の復習と試験、(2)保護者・地域の学校教育への理解を深める、(3)社会的な体育奨励を挙げ、広く公開する意味は「お祭り的なもの」ではなく(2)(3)のためだとして、保護者を教育への理解や熱を高める効果は行事の中でも運動会が最も高いとしています。


学校運動会は決してお祭り的なものではない。既に前述したやうに学校の重大なる事業即ち訓練と体育との状況を社会の公衆に紹介して、社会一般に正当なる理解を与へ、以て声援を求むることは学校教育上の必要なる条件であつて、やがて家庭との連絡を親密ならしむる機会を与へて、常に子女を厄介視し、学校を面倒視して居た保護者も勇み我が子に共鳴して学校に接近するに至ることは、他の法よりも最も有力なるは、幾多の事実が説明するところであつて、教育者の直ちに以て肯定するところでなければならぬ。(出典:真行寺朗生『運動会の計画と其遊戯』1927年 pp.2-3)


3.精神面を鍛えるため

 運動が精神面を鍛えるという考えは古くからありますが、運動会の意義としてもそうした主張はありました。ただし、第一の目的は体力であり、精神面はあくまで副次的なものとして挙げられることもあるくらいでした。

 1923年の文献では、運動会は己の体育の実力を自認自覚する機会でもあるが、単に身体技術を見るのではなく、鍛錬した精神面・「心の結果」を表す場でもあると記しています。以下の通り、様々な言葉で精神面の意義を強調しており、規律や団結なども示されています。


(1)勇敢さ、(2)規律的精神、(3)公共的精神、(4)自治自発心、(5)同情社交精神、(6)団結結合精神、(7)愛、(8)目的に向かう精神、(9)共同一致、(10)義勇奉公の精神の表現所である。

 其の他倫理上、道徳上、人道上、徳義上より見て、求めんとし、与へんとし教へんとする諸種項目の具体化を不知不識の内に体験し、体得するのである。

(出典:石丸節夫・得能正親『運動会用体育練習技の実際』1923年 pp.12-13より表現を一部整理した)


何でも育つかのような書きぶりは、現代の特別活動にも通ずるかもしれません。


 戦中になると、以前より精神面の意義が主張されるようになります。戦中、運動会は体育会や体錬大会などと呼ばれました。以下その改称の理由に、運動会の意義として、体力面とともに協同心・忍耐心・規律尊重といった精神面が記されています。


興亜大業達成に邁進する此の時、体育会そのものを本然の姿に転還せしめ真に皇国民として平素錬成してをります心身を遺憾なく発揮致しまして、児童の体位を向上し併せて協同心、忍耐心、規律尊重の精神勇敢敏活の気性を養成するに努力致したいと考へてゐます。(出典:神戸市東須磨尋常小学校『東須磨校史 : 開校六十周年』1940年 pp.297-298)


4.戦後:子ども自身が民主的に考えて行動するため


 戦後、教育全体の民主化の流れを受け、運動会も子ども自身が考えて民主的に行動する場と意義づけられました。ただし、体力向上という国の目標があった戦前と異なり、戦後は各学校で独自に発展していきました。

 体育奨励の意味は消失、体力向上はそれほど強調されなくなり体育試験の場ではなくなりました。保護者・地域の学校教育への理解を深める、協力などの精神面を鍛える意義は残り、新たに民主的に考えることが加わりました。また、戦後も地域のお祭り的な盛り上がりも続いていました。


社会人としての協力、親和、指導性、積極性の育成上重大な意義を有する。

(中略)単なるお祭り騒ぎや、児童生徒を度外視した大人の欲望のみを達成するような結果にならぬようせねばならぬ。民主的運動会は生々とした興味が中心であると共に、又教育の場の中に在る児童生徒を中心とした在り方を持たねばならない。

(出典:石本兼蔵・佐々三男『運動会種目集成』1949年 pp.15-16)


 基本的には、戦後の転換点以降、運動会の意義はそこまで変化していません。1958年に「体育的行事」が教科外活動として位置付けられたこともあり、体育の側面よりも学校教育全体として意義付けられるようになります。


現代教育における運動会の特質(教育的意義・価値)をあげるとすれば、その要点は、つぎのようにまとめられる。

(1)心身・人格の調和的な発達を総合的に図る。

(2)各教科、道徳、特別活動など、平素の学習を通して得られた成果を総合的に発展させうる機会となる。

(3)今後の学習の積極的なモチベーションになる。

(4)教師と子ども、子ども同士の人間的なふれあいの機会となる。

(5)教師が生徒指導を行うのに効果的な機会となる。

(6)事前・事後指導をあらゆる教育活動と関連させて行なう時、運動会が成果あるものとなる。

(出典:相川高雄「現代教育と運動会」1974年 pp.13-14より一部表現を整理した)


5.目的が見失われ続けてきた運動会


 運動会の目的がどう書かれてきたのか見てきましたが、こうした目的は学校現場でしっかり議論や共有をされていたわけではありません。あまり考えず「何となく」「どの学校もやっているからする」所が昔から多かったようです。1908年の運動会の方法を示した著書にもこう記されています。


現今諸学校に於いて盛に行はるる運動会の如きも、その実際を観察するに、往々其目的に於いて正鵠を失し、その結果の非教育的に傾けるもの少なからず。これ実に斯道のために憂ふべきところにして、本書がつひにこの世にうまれたる所以なり。

(出典:国民体育攻究会編『小学校運動会要訣』1908年 pp.1-2)


 こうしてある学校では厳格で窮屈な行進と演技、ある学校では組体操の巨大ピラミッドに心血を注ぐといった、混沌とした運動会の状況が生まれました。


6.まとめ 目的は何か、それに合う方法なのか

 各学校でバラバラに考えてきた運動会の意義・目的を大まかに整理すると、最初の図となります。★図はこちらに記載:https://note.com/gakumarui/n/n50cc9e3d8df5


 当初国が推進した体力面では、戦後は国民への体育奨励という意味は消え、体力向上もあまり強調されなくなりました。もちろん、体力向上を目的の1つに挙げる学校もありますが、戦前のように評価をつけたりはしません。現在、運動会の成功の可否が、子どもの運動能力で判断されることは皆無でしょう。現代では、体力ではなく「運動を楽しむこと」「運動への意欲」を目的とする場合もあります。主観的な部分ゆえ、体力の目標より厳しいものと言えるかもしれません。

 校外との繋がりでは、古くから地域の祭りという側面が強くありましたが、近年は授業時数確保のため午前中のみや学年ごとの運動会など、運動会を縮小する傾向が見られます。保護者・家庭に向けてという側面は残りつつも、地域全体の行事としては衰退傾向と言えそうです。

 精神面では、特に戦中から強調された忍耐や規律を身につけることは、現在も主要な目的です。忍耐は「最後までやり遂げる力」などの表現になっています。戦後加わった民主的協同も、現在も子ども主体の活動を重視している学校もあります。そうでない場合も、協力・団結・責任感といった表現はよく使われます。

 

 しかし、運動会で本当にこうした目的を達成できるとは限りません。枠組みは全部与えてスローガンだけ決めさせても民主的とは言えません。炎天下で理路整然と行進が出来ても、他の場面で規律を守ることに繋がるかは疑問です。

 運動会自体が縮小傾向にある中、何のために運動会をするのか、その目的のために適した方法なのか、弊害も加味してしっかり検討される必要があるでしょう。そして、子どもにもその目的がしっかり伝えられるべきです。その中に地域や保護者に向けたものがあっても、子どもの利を損なわずむしろ増すものであればアリだと思います。


(本文おわり。参考文献は以下URLにて記載)

https://note.com/gakumarui/n/n50cc9e3d8df5

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