学校行事

学級対抗合唱コンクールの歴史と問題点 ~競争と団結の物語、見透かす生徒~

 旅立ちの日に(1991)、翼をください(1973)、時の旅人(1990)…、学校での合唱を通して広く知られる曲は多数あります。

 合唱コンクールは特に中学校で盛んで、8割以上の学校で行われています。


合唱などのコンクールを実施している  2002年:85.1% 2016年:87.9%

(出典:ベネッセ「学習指導基本調査」2016年)


 多くの学校でクラス対抗で順位を競います。放課後など音楽の授業外も練習します。名目上は強制ではなく、生徒同士が考えて自発的に取り組むのが特徴です。

 感動的になることもあれば、不信感のみ残ることもあります。私の出身校では、歌う前にクラス代表による作文の朗読がありました。本当はうまくいっていないクラスも含め、全クラスの代表が「最初はうまく行かなかったけど協力してできるようになった」という決まりきった作文を読んでから歌いました。酷い合唱だった自分のクラスの代表が、嘘八百の作文を読む姿は居たたまれないものでした。

 なぜクラス合唱を行い、わざわざそれを競うのか。今回は合唱コンクールの歴史と実施する側が考える意味、その問題点について解説します。 



1.人格教育としての合唱(明治~戦中)


 義務教育での合唱は、1881年初めて法律に記されました。歌唱には、健康面と道徳面の効果があるとされました。特に道徳面は強調され、1891年に儀式に関する規定が出されると、卒業式など学校行事での歌唱が広まりました。


第二十四条 唱歌 (前略)唱歌ヲ授クルニハ児童ノ胸膈ヲ開暢シテ其健康ヲ補益シ心情ヲ感動シテ其美徳ヲ涵養センコトヲ要ス

(文部省『小学校教則綱領』1881年)


 大正時代には多数の合唱団が生まれ、現在も続くコンクールの大元も始まりました。しかし、これは一部の人が参加するもので、戦前は学校行事としての合唱コンクールはほとんど見られませんでした。


1927年 合唱競演大音楽祭(現 全日本合唱コンクール)

 32年 児童唱歌コンクール(現 NHK全国学校音楽コンクール)


2.クラス対抗合唱コンクールの広まり(戦後-1970年代)


 1950年代後半から先駆的な音楽教員が主導し、各地の公立学校でクラス対抗の合唱コンクールが行われました。

 当時の教員は、1クラス60人の大人数で細かい指導ができないことや、全校的に合唱を根付かせたいという理由から、班ごとの自主練習を推奨したとを語っています。その狙い通り、音楽の授業を越え学級担任を巻き込んだ学校行事として広まります。

 60-70年代、学校行事に使える時間が増えたことも普及の追い風になります。この頃、受験競争の激化・学校の教科学習への偏重が批判され、特別活動の時間数が増加しました。

 

 1958年(昭和33)年35時間 → 69年(昭和44)年50時間 → 77年(昭和53)年70時間


 特別活動の目標は「社会連帯の精神と自治的な能力」や「楽しく豊かな共同生活を築く態度」などとされ、クラスがひとつの目標に向かう合唱コンクールは最適と捉えられました。

 また、広まった他の要因に、当時は先進的な曲を扱っていた点もあります。音楽の教科書の歌唱教材は、1970年頃まで外国曲が7~8割を占めていました。そこで、昭和40年代から変声期の男子に配慮した中学・高校生のための混声三部合唱曲、昭和50年代にはクラス合唱用の楽曲・曲集が多数作られました。合唱コンクールは新しい歌が歌える場、文化を生み出す場という一面があったのです。


3.荒れた学校が団結?(1980年代)


 校内暴力など学校の荒れが問題となった80年代には、合唱コンクールが荒れた学級をまとめ団結を深めるとされました。代表的な合唱曲「旅立ちの日に」は、声が出ない・挨拶しない生徒たちを変えたいと合唱に取り組んだ校長先生に対して、1991年退職の時に音楽教諭と生徒が送った楽曲が基になって作られました。

 荒れた学校を合唱で立て直す、にわかには信じがたい人もいると思います。ただ、歌詞や楽曲の力・集団で歌う連帯感などの効果は置いても理由は考えられます。

 80年代の校内暴力は受験競争や管理主義など学校教育システムが原因(病理)と言われていました。その点合唱コンクールは、名目上生徒同士が主体的に取り組む行事です。積極的な生徒が消極的な生徒を参加へ誘えば、教員は直接指示しないくよくなります。実際には参加しない選択肢はなくても、やらされている感を薄め、自分たちのことを自分たちで決めているように感じさせる効果はあったと考えられます。

 もちろん、うまくいくとは限りません。後で述べる大きな問題点があり、生徒を苦しめるだけに終わる可能性もあります。しかし、学校では合唱コンクールが団結や人間性の育成に資すると広く捉えられてきました。


4.特別活動での位置づけと音楽授業の削減(90年代~)


 98年の学習指導要領解説で特別活動の一つとして「合唱祭」が記されました。現状を追う形で公的に存在が認められたと言えます。

 一方で、98年には音楽の授業時数が削減されました。また、2008年には中学校学習指導要領の音楽科項目から「合唱」の文言が削除されました。コンクールに向けて合唱を完成させるのに注力しすぎ、音楽科で何を学ぶのかという目的が軽視されたため記載が消えたと考察されています。

 正規の授業時数が減った音楽科にとって、合唱コンクールは存在感を示す貴重な場とも言えます。一方で合唱コンクールに縛られて本来の学習する目的を見失ってしまうという側面もあります。

 現在は、生徒をクラスに振り分ける上で合唱コンクールでピアノ伴奏ができる人を確保するなど、学級経営に大きな影響をもたらす行事となっています。


5.なぜ競うのか

 音楽や歌詞を味わう・一体感を得るなら、競って順位をつける必要はありません。順位付けがなくとも発表会があれば、目指すべき目標も、恥はかけないというプレッシャーも、成功した達成感も得られそうです。

 しかし、多くの学校は単に合唱祭ではなく、競って順位をつけるクラス対抗形式で行っています。ある調査では、合唱行事を行う中学校の8割がコンクール形式にしていると回答しました。

 その調査では行事の目的も尋ね、ほとんどの学校がクラスの団結を目的にしていました。また自由記述から、競うことは意欲につながると考える教員がいることがわかりました。

 学校には他にも運動会など競争的な行事があります。競争は参加意欲を高める他に、クラスを負けさせる=迷惑をかけてしまうというプレッシャーや強制的に協力を要請する集団的圧力を生むことが指摘されています。


6.問題点1 順位に意味がないことは見抜かれる

 スポーツなどで順位を競う際は、参加者が上の順位を取ることに価値を見出していないと動機づけ(やる気)になりません。例えば、甲子園で勝つことに価値があると思う人もいれば、カードゲーム大会で勝つことに価値があると思う人もいます。どちらの価値を認める人も、どちらにも感じない人もいます。また、カードゲームが好きでも、大会には興味がない人もいます。価値は人それぞれで、競技の腕前の高さに見出す人もいれば、賞金こそ価値と考える人もいます。順位は人がつくるもので、価値を見出すかは人それぞれです。

 合唱も同様で、歌うことが嫌いな人もいれば、歌うのは好きでも順位には興味がない人もいます。そして、合唱コンクールの順位は賞金や成績などのわかりやすい利益をもたらしません。確かに競争形式は、合唱に関心はなくとも勝つことに価値を見出す人の動機づけにはなります。しかし、「上を目指して何になる」「意味ない」と考えればそれまでですし、それも正しいです。

 良い歌声をみんなで出すことは、合唱で得られる大切な経験になりえると思います。しかし、その際に競争は不要、むしろ邪魔になる可能性すらあります。競争はわかりやすい動機づけですが、中学生になれば不毛さを感じる生徒も増えてきます。不毛なものを目指すことへの不信感で合唱、ひいては音楽自体を避けてしまうのは悲しいことです。

 そして、どうしても声量が出ない人もいます。競争でなければ「その人なりにやろう」で済むところが、寛容さを失いやる気のない人と決めつけてしまうことも起こります。音楽の教員ですら配慮できないこともありますから、ましてや生徒間の自主的な活動ではその危険性は高まります。

 また、そもそも合唱はどうすれば高い評価となるのか、どうすれば勝てるのか、運動競技に比べて基準が明確ではありません。評価は難しく、ましてや(多くの場合)生徒も採点を行います。競うことの意味、評価の妥当性に疑問を持つ人がいて当然でしょう。


7.問題点2 マッチポンプな問題解決は見抜かれる

 

 もう1つの問題は、理想とされる「自分たちの力で困難を乗り越えてクラスが団結する」という物語に、そもそも困難が学校側から与えられているというマッチポンプな側面があることです。

 合唱コンクールにおける対立の多くは、声のバランスなど技術的な意見の対立ではなく、放課後練習に来ないなど参加する・しないのレベルです。上の順位を取る価値はないのに、強制ではない音楽の授業外に、自分の貴重な部活・勉強・遊びの時間を削ってまで参加する意味がない、と考える生徒は少なくありません。そのうち、周囲のプレッシャーなどを加味して、不参加で被る不信感などの方が重要と考えた人は参加します。参加で失うものの方が重要だと考えた人は不参加を選びます。後半に頃合いを見て参加しだすということもあります。いずれも人として自然な利益・不利益の判断です。

 そして、「価値のないもののために、貴重な部活・勉強・遊びの時間が削られる」という困難は、生徒同士では解決しようがありません。強いていえば、自主練習しないとクラスで合意するのは一つの方法ですが、「自主練習をしてほしい」という教員からの期待にしっかり応えようとする・叱責や失望を恐れる真面目な生徒ほど許さないでしょう。こうして生まれた軋轢は、生徒の協調性や団結力の問題というよりも、クラス対抗合唱コンクールの制度が生じさせるものと言えます。


8.おわりに. 合唱コンクールの経験で音楽が苦手と考えなくていい


 歴史上新たな音楽を生む先進的な行事だったこともある合唱コンクールですが、現在は形式も曲目も前例踏襲になりがちです。学校行事として定着し「自分たちの力で困難を乗り越えてクラスが団結する」物語は広く流布しています。

 しかし、価値ある体験となるか苦しいだけかは、学校の方針や音楽教員・学級担任など様々な要因に左右されます。合唱コンクールで苦しい思いをした方は、その経験で音楽が苦手と考えなくていいと思います。述べてきたように、対立を生みやすい制度上の大きな問題があります。音楽のことではなく、特殊な学校行事の経験と捉える方が妥当ではないでしょうか。

 教員も全員が肯定的ではありません。意味を見いだせない、負担だけがある、むしろ弊害があるという思いがあっても、教員個人の力で行事として定着した合唱コンクールをなくしたり、競争しない形に変更したりすることは難しい現状があります。

 しかし、盲目的にクラス団結の物語を信じて前例踏襲しても、多くの生徒を苦しめ音楽への興味を閉ざしかねません。コンクールだけが合唱そして音楽の全てではありません。生徒に何を学ばせたいか、そして教員の負担も考慮して、よりよい形になっていくことを願います。

 

 

 

 

 

 

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