6.「学び合い」で学びは担保されるか ―「教える」ことは難しい―
「学び合い」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。簡単に言うと、教員が提示した課題に対して子どもがグループで取り組み、わからないところは子ども同士が相談して解決する授業方法です(参考文献①より) 。課題には、算数の文章題など1つの答えが定まっている問題、「x² -8x +4=0」といった数式の問題まで含みます 。教員が極力介入せず、子ども同士が「話し合って」学習を進めることを目指します。
こうした授業は「学び合い」「協同学習」「学びの共同体」と言葉や詳細は様々ですが、「子どもが学び合う授業」を目指す授業・学校改革のあり方として21世紀に入って各地で取り組まれています(参考文献②に詳しい)。
子ども同士で勝手に不足を補え合えるようになれば、教員にとって理想的でしょう。しかし、実際にはわかる子どもがわからない子どもに一方的に教えることになりがちです。
「学び合い」に欠落している前提に、「教える」という行為は簡単ではないことが挙げられます。答えを示すことは「教える」の1つですが、「わかる」に繋がるとは限りません。「教える」上では他者の「何がわからないのか」を引き出して理解することが大切になりますが、教員でも容易ではありません。(教員はそれがよくわかっているはずです。)
答えを求めるだけなら、グループの誰かがわかれば解決です。しかし、学び合いでは教科書で全員が学習すべき課題が設定され「全ての子どもが出来るようになること」が求められがちです 。自分が学ぶのも精一杯の状況の中で、グループの他者の理解まで課されるというのはあまりにも難易度の高い課題です。提示した問題そのものではなく、「全ての子どもが出来るようになる」という課題の解決を課していることになります。
そうした「学び合い」に全く意味がないとは言えませんが、「教える」ことの難しさに直面することに十分配慮し、そのことを子どもに示した上で適切な指導を行う必要があります。
注意点として、適切に道具とその利用法が示されないで子どもに学習を任せる、つまり学び合いの中で教科書の使用を禁じたり、新規の内容をいきなり「学び合い」から入ったりすることは、子どもの学習権を奪う行為になる可能性もあります。教科書は学ぶ上で、また誰かに内容を教える上で効果的な道具だからこそ、学校教育で使われています。「学び合い」という「学ぶ」かつ「教える」場面でその使用を禁じるなど、何のための教科書だという話になります。
このような「学び合い」は、とても難しい「教える」「他者をわかるようにする」ことを子どもに課す点において、話し合いの目的で示した「他者の考えを知る」「自分の考えを他者に伝える」とは違う次元がメインとなっている、自分自身が学ぶこととは違う大きな負担を課すといった点が問題だと考えます。
(第7章へつづく)
【参考文献】
①ベネッセ教育総合研究所「特集 学び合い ─クラス全員が学びに参加する授業─」『VIEW21 中学版』311、p.4-27、2011年
②杉浦健・奥田雅史「学びの共同体の授業実践 ―理論, 現状, 課題」『近畿大学教育論叢』26(1)、p.1-15、2014年
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