8.文化祭を意味あるものにするために

 前回、文化祭の意味を、学びの成果を披露することと、集団で何かをする難しさを通して他者や集団のことが見えるようにすることの2点を挙げました。しかし、文化祭をすればその意味が必ず生まれるわけではありません。

 終章となる今回は、文化祭をする上での課題、気をつけるべき点を述べていきます。主に教員側・学校側に気をつけて生徒に伝えていってもらいたい点ですが、生徒個人でも意識すれば、文化祭をよりよい経験にしていける点だと思います。


 文化祭の大きな問題は、文化祭での経験は、他のクラスや次の代、他の学校などに継承・蓄積されにくい点です。(逆に、これをしっかりできている学校は、よく考えられているのだと思います。)

 この経験には、活動のノウハウ、つまりお金やモノの管理や調達方法、分業体制、設営や片付けの手順、企画内容やイベント運営の方法、起こり得るトラブルといった実務的な経験も含みます。そして、他者や集団の見え方、文化祭全体や準備の段階や個々のイベントに対する様々な感情、部活を中心に取り組んだ人にとってのクラスなどなど、心情的な経験も含みます。もちろん、全ての心情を理解することは不可能ですが、前章で挙げた「社会集団で生きる力」に繋げるためには、様々な立場、肯定・否定・無関心・混乱など様々な心情があることは示すべきだと考えます。

 それぞれの経験はその人だけのものですが、こういったことがあるんだとあらかじめ知っておき、意識して臨んで体感する方がぐっと学びが深まります。経験なしに知っているだけの段階ではピンとこないものも多いでしょうが、経験することで自分の肌感覚として得られます。また、トラブルや失敗も「言われてたものだ」「やっぱりある」と捉えられれば、過剰に自分を責めることを減らせます。それは最終的な楽しみや成功の可能性も高めることになるでよう。

 とはいえ、心情的な面の扱いが難しいのはわかります。ですが、せめて実務的な経験はしっかりと蓄積・継承しておかないと、行き当たりばったりとなり生徒が不要な苦労をします。「苦労の中の試行錯誤も大事だ」と思う人もいるかもしれませんが、しっかりと経験を継承して計画を練った上でもなお、様々な問題には直面しますし、試行錯誤は必要です。将来においても、イベントを実行する上で、過去の経験を何も参照しないということでは非常に困ります。イベントの内容自体が新しいものでも、物資調達や会場設営、契約のことなど様々な実務的ノウハウは使います。

 各個人・各団体はトラブル含め貴重な経験をしているのに、経験値が蓄積されないのは非常にもったいないことです。同じクラスでやるのは一回きり、クラスそのまま学年が上がるとしても3年間、その経験はクラスの中だけで閉じたものになりがちです。学校側が個々のクラスの経験をすくいとり、蓄積・継承する仕組みをつくる必要があるでしょう。


 また、私はうまくいかないことを前提として示しておくことが大切だと考えています。行事の成功と学びを同一視して、団結できなかった=「異常なこと」=私のコミュニケーションはダメなんだ、という捉え方は正しくありません。失敗を学びあるものとして価値づけなければ、生徒は自分が直面した問題を無視してでも「団結できたこと」を示すため取り繕います。

 そして、色々な立場がある、イベントごとへの心情も色々あることも前提として示しておくことが大切です。クラスではなく「部活動の方に注力する」「一人で出る後夜祭の企画に注力する」立場も当然あり、それも立派な文化祭参加の形です。「人が集まるのが苦手」な人もいれば「見るのは退屈てとにかく自分から何かしたい」人もいます。もちろん全員が好き勝手やればいいのではなく、互いを尊重しながら折り合いを付けていくことが必要になります。実際、社会においても人間関係は対立や軋轢にあふれています。そのことにふたをするのではなく、「人は簡単に団結できない」事実とどう向き合うか考えることは、「社会集団で生きる力」をつける上で必要でしょう。

 その際、全員参加である正当性、やる意味が示せていなければ、多くの人をつなぎとめることはできません。「きらい」かつ「意味がない」なら避けるのは当然です。前章で示したような文化祭をやる意味、文化祭で学べることを示す必要があります。「意味がある」なら「仕方なく」参加すれば、その中で何らかの楽しみを見いだせるかもしれません。対人は得意になれなくても「売ること」の喜びを少し味わったとか、関わりないと思っていた校長が褒めてくれたとか、全員等しく嫌だと思っていたクラスでこの人は助け舟を出してくれるんだと見えたとか、何か喜びや発見がある可能性が多くある行事だと思います。もちろん、楽しみはなかった、やはり苦しかったという可能性もあり、それでもいいのです。それでも学びの意味がある行事なら、経験は価値あるものです。


 歴史的経緯も見ていったように、文化祭は正規の教育課程で行われる「自主的」活動という微妙な位置づけであり、「文化祭」という名称含め明確な規定がないものです。とはいえ、曖昧でも生徒が楽しむから何となくやればいいだろう、では意味が薄くなります。

 文化祭が最大の晴れ舞台の生徒も、最大の苦行の生徒もいる、その前提に立って、全ての生徒にとって少しでも意味のあるものにできるよう考えていくこと、そういった指導の姿勢が必要です。

 生徒個々としても、失敗は当然のことである、色々な人がいて色々な立場があることを意識して臨むだけでも、他者や集団の見え方は変わってくるでしょう。

 ひいては、そうした文化祭の捉え方、そうした人や集団の見方が社会全体に広がっていくといいなと思います。



2021年1月 がくまるい

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