7.文化祭の意味 学びの成果を広く伝える・集団で成す難しさを経験する

 前章まで文化祭の歴史を追ってきました。ここからは、現代の文化祭をやることでどんな意味があるかを考えていきます。大きく2つ挙げます。


 1つ目は、日頃どんな学びをしているのか、そしてどれだけのことができるようになったのか多くの人に見せることです。現代の文化祭は、明治期の学芸会のように教科授業の成果を披露するわけではありませんが、主に文化部の部活動の成果を示す場になっています。また、農業や工業といった実業系高校では、それぞれ専門に学んでいることを披露する貴重な場になります 。

 披露することは、個人にとっても自分たちのしていることに対する反応をもらえることで、喜びや意欲、あるいはもっとこうした方がいいという改善などにつながります。同時に、学校にとっても、地域社会に自分たち学校がしていることの意義を示すことになります。特に実業系学校は、地域との協力なしには成り立ちません。実習先だったり、授業での連携だったり、就職先だったりと、地域での信用は生徒たちのために欠かせません。学校のイベントといえば「文化祭」と定着している現代、文化祭は生徒そして学校の成果を広く示す場として機能しているのです。

 また、中学校の場合は、地域独自の太鼓や舞踊といった地域の伝統文化に学校が取り組んでいる場合があります 。その場合、それを披露する場である文化祭それ自体が、地域社会における重要な祭りになります。(ただし、こうした取り組みはどうしても学校や地域側の生徒に対する期待や負荷が大きくなり過ぎがちな点には注意です。)

 となると、文化部に所属していない、かつ実業系ではなく普通科高校の生徒、あるいは特別な取り組みのない中学の生徒にとって、文化祭はあまり意味のないものなのでしょうか。そうではありません。



 2つ目の意味は、集団で何かをする難しさを経験して、様々な他者や集団のことが「見える」ようにすることです。

 これはざっくりいうと「コミュニケーション能力をつける」で間違ってはないのですが、この言葉は広すぎます。単におしゃべりが上手になること、色んな人に話しかけられるようになることではありません

 第2章で、学習指導要領での目標は、①集団で協力する行動を身に付ける、②人間関係を形成・維持・調整する力をつける、③社会の中で自らの意志を持って生きる姿勢を持つ(ただ集団に流されて生きるのではない)、であると述べました。ここではこれらを総じて「社会集団で生きる力」としてみます。


 大事なことは、文化祭がうまくいった=社会集団で生きる力をつけた、ではないということです。逆も同じで、ケンカが起こったから何も身に付かなかった、とは全く言えません。

 文化祭に対する意識は人それぞれです。意欲も能力もそれぞれな中、一つのことを成し遂げようとしますから、うまくいかなくて当然です。人それぞれ様々な感情の揺れ動きがある中で、普段見えない他者の色々な姿に気づかされます。提案だけ無責任にする人、ぶつかって去っていく人、うまいこと自分を見せて地位を高める人、何も気づかずに参加だけする人…。

 うまくいかない経験から「目標を掲げれば全ての人が一致団結するわけではない」ことを体感するのも立派な学びです。もちろん、試行錯誤の中でうまくいった経験も今後に活きてくるでしょう。しかし、仮に最終的に失敗に終わったとしても、人や集団の見え方は広げることができます。

 学級単位での参加はその意味を強めます。普段の中学や高校生活では、どうしても同じ仲間・同じ塾・同じ部活と一緒に過ごす時間が多くなります。すると、その集団の中での人間関係や価値観ばかりを見ることになります。学級という場所は、同じ趣味を持つとか同じ目標をもつから集まったという集団ではなく、個人個人が学ぶために無目的的に集められた集団です。自分とは全く違う考え・違う行動の人間がいること、枠の外にも人間がいることにふと気づくことは大事です。

 うまくいかないことを経験する・学ぶことで、自分の行動や人間関係のあり方を顧みる、というのは文化祭の大きな意味になります。もちろん、それで自分を必ず変えなければいけないわけではありません。ただ、社会においても「自分だけが楽しければいい」や「どうでもいい」という他者や自己と向き合わざるを得ない場面は必ずあります。(もちろん、そうなっていない残念な学校があるのも事実ですが、あるべき姿としては)学校というある程度守られた場所で、失敗や対立・軋轢を経験して考えた経験は無駄にはならないでしょう。

 


 ここまで、文化祭の意味を述べてきました。しかし、ただ文化祭をやれば無条件にこれらの意味があるものになる、というわけではありません。特に2つ目はある程度意識しなければ、ただ「楽しかった」、あるいは「つまらなかった」「傷ついた」で終わってしまうことは十分にあり得ます。

 文化祭を意味あるものにするための課題とどう考えればよいかについて、次回述べていきます。


(第8章へつづく)


【参考文献】

◆西川友子「農業高校生の文化祭活動に対する取り組み意識の様相」『山形県立米沢女子短期大学紀要』53、p.113-124、2017年

◆岩井正浩「子どもたちの夏:高知市南海中学校のよさこい祭り」『愛知淑徳大学教育学研究科論集』6、p.1-16、2016年

◆岡崎勝博ら「学校行事が生徒の人格形成に及ぼす影響について:(1)文化祭」『筑波大学附属駒場中・高等学校研究報告』35、p.189-228、1995年

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