7.係(当番)で仕事を学ぶのに必要な配慮

 集団の中での自分の仕事を理解して、集団の一員として役割を果たすため行動することを学ぶことは有用です。

 しかし、学ぶ段階には、まずはやり方を教えることが必要です。そして、必ず失敗を想定すること、失敗してもいい/失敗はするものだと伝えること、失敗に対するフォローが必要です。また、不安や苦手意識を受け止める、あって当然のものだと伝えなければ、「自分はできて当然のことができないダメな人だ」と思うだけで、成長のための挑戦を止めてしまい劣等感だけが残ります。(もちろん、発達とともに自然とできるようになることもありますが、その際にも劣等感だけは残ってしまいかねません。)

 テストでは100点を取らなくてもいいのに、こうしたクラスのための行動になると途端に「ノーミス」を求める、というのは無理があります。むしろ、より間違えやすいかもしれません。


 算数など教科での学習と同じで、能力や得意苦手は様々です。教科でも教科書を一読すれば一瞬でできるようになる子や、なかなかできるようにならない子、一度できてもすぐ忘れてしまう子など様々います。やっていない内容までどんどん自分で学んでいく意欲的な子も、できるけど常に最低限しかしない子もいます。算数はできても、国語だとできなくなる子もいます。

 係や当番の活動もそれと同じで、能力や得意苦手は様々であり、指導にはそれに合わせた配慮が必要になります。どんな仕事も平気でこなす子もいれば、こうした活動は全然できない子もいます。する能力はあるが意欲がない子、意欲はあるが忘れてしまう子もいます。黙々とする作業は得意でも人と関わるのは苦手な子、1人ではできていたことが2人になるとできなくなる子、できてはいるけどものすごく常に緊張している子など、本当に様々です。

 完璧な想定などあり得ませんが、最低でも「する能力はあるが意欲がない子」と「意欲はあるが忘れてしまう子」を同じ「できない」で括ることはあってはいけません。


 「やり方を教える」「どんな失敗や不安があるか想定する」という意味で、自由な係活動の指導はあまり現実的ではありません。教員が教えることができないもの、どんな失敗があるか想定できないものでは、特に苦手な子に対して適切な指導は困難です。

 また、とってつけたような「仕事を学ぶためだけの仕事」は多くの子どもに見透かされます。必然性が説明できるものにしなければ、やる意義をあまり感じられません。


 最後に、こうした活動はクラスごとにやり方が異なるものです。子どもが前のクラスのローカルルール通りに動いたら、めちゃくちゃ怒られたという経験はよくあります。これは理不尽すぎます。教員は、曖昧な領域ゆえに指導の食い違いが起こりやすいことをよくよく自覚しなければなりません。 


 クラスでの活動が苦手な子も安心して何度でも挑戦できる、そのような教室環境と全てのクラスがなることを切に願います。


(「係活動」についておわり。追加すべき内容があれば追記するかもしれません。)

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