6.自分たちの係 ~学校での自主性の呪縛~ 

 どんな係が必要かクラスみんなで考える、おもしろい名前をつける、こういった取り組みをするクラスも少なくありません。

 4章「係はクラスを楽しくすることが目的」で記したように、当番と係をはっきりと分ける教員もいます。

 しかし、私はこの自主的な意味の強い「係」は非常に大変なものと考えています。


 理由は大きく2つです。

 1つ目は、4章で書いた通り、「クラスを楽しくする」「クラスを充実させる」という目標があまりにも難しいことです。つらくても苦しんでも必要なことと思って頑張ることはできても、「楽しみなさい」という命令はあまりにも難しいです。

 

 2つ目は、それぞれの仕事で指示されたことですら難しいのに、まともにできるようにならないまま「自分たちの手でする」という応用はより難しいからです。

 

 係の仕事には、黒板係や配り係など雑用系と、レクリエーションなどパフォーマンス系(楽しませる系)があります。

 パフォーマンス系の難しさは、そもそも「楽しくする」ことが難しいのは4章でも書きました。人前で何かをすることが苦手な人にとっては大変な重荷です。また、スベる・盛り上がらないということは、パフォーマンスする側も怖いです。もちろん、そうした経験から成長できることも多々ありますが、失敗して当然という心構えと子どもへのケアが教員には求められます。それがなければ、ただの嫌~な失敗体験で終わります。


 雑用系も簡単ではありません。人によって難しいと感じる点は様々にあります。人と接することが苦手な人、定期的なタイミングや特定の条件下で行動することが苦手な人、細かい仕事が苦手な人、雑になりがちな人など、色んな得意苦手があります。

 例えば、私は人にプリントなどを配るのがとても苦手でした。人を接するのが苦手で目を見て話せなかったことや、教室では常に不安で自分のことで精一杯で他人のことを考える余裕など1つもなかったことから、クラス40人の顔と名前が全員は一致しませんでした。分かっていないことを気づかれないように、ただどこにいるかわからないふりをしながら、教員の机に置いてある座席表をいちいち見て、なんとかやり過ごしていました。


 係活動に限らず、特に小学生について社会が広く持つ「子どもたちは(大人より)自由な発想で、のびのびと工夫できる」という考えは、「子どもらしさ」の固定観念です。しかし現実は、前にやったこと・見たことが正しいという前例踏襲の考え方は、むしろ子どもの方が強いかもしれません。

 そして、やり方や気を付けるべき点を教えてほしいことまで、「まずは自分たちで考えよう」の一点張りは放任になりかねません。

 自分ができなかったことができるようになるということで、自信をつけたりやる気を高めたりすることはできます。成長により自信をつける、これは教育の基本といえるでしょう。


 過剰な創意工夫の要求は、新しいものが見たいからという大人側の願望に過ぎないかもしれません。しかし、何年繰り返されてきたこと大人にとっての「ありきたり」であろうと、新しく入る子どもにとってはそれがまだ越えていない壁なのです


(7.係(当番)で仕事を学ぶのに必要な配慮 につづく)


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