第十二話 軽かった日常は過ぎ去る

 ひとまずは、まだ何も分からない状況(奈代さん視点)では何かあったらすぐに僕に相談するということで落ち着いた。

 心の涙を拭き、一旦の結論が出た以上ここに留めておく理由も、密室で女子と会話を続けるスキルもないので、奈代さんを送り出す。


「じゃあ、遅くなる前に奈代さんも帰った方がいいから」


 そういって、彼女に靴を履いて部室を出るように促す。

 彼女も特に留まる理由が無いため、言われたとおりに脱いだ靴を履き、扉を開ける。

 夕陽は落ちかけ、後三十分もしたら夜の帳が落ちることになるだろう。

 大丈夫だと思うが、何かあっても目覚めが悪いため、早めに帰すのに越したことはない。

 そんなことを考えながら、ぼーっと帰る彼女を見ていると、奈代さんが扉を潜ったところで何かを思索するような素振りをみせると、こちらに振り返る。


「あ、あの!」


 初めて聞く、奈代さんの大きな声に驚くと、彼女も大きな声を出し過ぎたと気が付いたのか、少し恥ずかしそうにしながら、口元を軽く自分で抑える。


「な、なに?」


 呆気を取られて、掠れた声で聞き返す。

 奈代さんは夕日のせいで赤く染まっているのであろう顔で、こちらを真っ直ぐに見つめながら言った。


「一緒に帰りませんか?」

「ワンモア」


 何を言われたのか分からなかった衝撃で、下手くそな英語で聞き返してしまった。


「今日、一緒に帰りませんか?」


 少しゆっくりかつ丁寧に返す彼女の言葉が耳に刺さる。

 オタクならば何度も画面の向こうから聞いた言葉。

 しかし、それをリアルで女の子から聞くことになるとは思いもしなかった。

 女の子から最後にそんな言葉を聞いたのは、小学生になる前に近所の女の子と一緒に遊んでいた時くらいだろう。

 小学生になってから、それぞれ男と女別々で遊ぶようになって結局その後一度も一緒に遊ぶことなかったぁ……どうしよう、また泣きたくなってきた。


「藤原君、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。少しだけ雨が降りそうな気がしただけ」

「雨雲なんてほとんどないですけど」


 僕の言葉に奈代さんは不思議そうな表情で夕暮れの空を見上げて答える。

 止めて、純粋な顔でそんなちょっと粋な感じに誤魔化そうとした僕の心を抉る行動をしないで! とはいえない。


「ま、まぁ。それは置いといて、どうして一緒に変える必要が?」


 これ以上、心が痛まない内に逸れそうになる話を元に戻し、奈代さんに発言の意図を問う。


「どうして、ですか」


 奈代さんは僕の質問に俯き、何か思索に耽る。

 その様子に、まるで突然出てしまった言葉に、後付けの理由を考えようとする子供の姿を幻視する。

 しかし、彼女に限ってそんなことはないだろう。

 きっと何かしら思慮深いことがあり、それを言語化するのに悩んでいるに違いない。


「試す必要があるかと思って」

「試す?」

「学校の外で藤原君と接した場合どうなるのかと」

「場所も何か関係している可能性があるってこと?」

「そ、そうです!」


 僕が何となく彼女の言いたいことを理解し、口にすると、飛びつくように奈代さんは肯定する。


「確かに、それだったら。まぁ」


 ひとまず納得するが、気になることもある。


「朝登校するときはどうだったの?」


 学校外で僕と離れていた時という意味では登校時にも頭痛が起きていたことになるが、そこのあたりしっかり確認しておきたい。


「登校の時は何ともありませんでした。頭痛がするようになったのが、朝藤原君と話してからなので」


 その言葉に朝の彼女の様子と思い出す。

 確かに、朝下駄箱の前で彼女と会ったとき、彼女が辛そうにしている風には見えなかった。

 もしも、彼女が登校中ずっと頭痛が起こるようであれば、あんな対応はできなかっただろうし、もっと感情を露にしていたかもしれない。

 そうなると、朝のやつが原因?

 何が……どうして…。何もわからない。

 彼女に何が起こっているのだろうか。かぐや姫関連であること間違いないが、どうしてそうなったのか見当がつかない。

 少しだけ思考を巡らすが、手掛かりがない以上。考えても無駄だ。

 かぐや姫に直接聞けば何かわかるかもしれないが、あのトラウマの存在にもう一度

出会うのは、可能な限り避けたい。

 とにかく、協力すると言ってしまった以上、僕が取れることは選択は限られている。


「とにかく分かったよ。鍵を返さないと行けないから待ってて」

「はい!」


 僕の言葉に彼女は少しだけ明るく返事をする。

 その後、部室を素早く片付けて扉に鍵を掛けると、彼女と共に職員室まで鍵を返しにいき、帰ることになった。

 途中、職員室で美珠羽先生に絡まれたときは面倒だと思ったが、すぐに解放されたので、奈代さんを待たせることはせずに済んだのが幸いといえる。


「行こうか」


 奈代さんと並びながら歩き、校門を越える。

 既に部活時間のため、部活に入っていない人はおらず、部活に入っている人はまだ活動しているので、校門近くには誰もいない。

 そのため、今の時間帰るのは僕にとって好都合だった。

 もしも、奈代さんと帰っているところを見られたら、明日の教室の話題になる可能性がある。

 いや、きっと教室の人たちは普段関りがない僕じゃなくて、奈代さんの方にどうしてなのか聞くから、実害はないかもしれないがそれでも奈代さん的には気分は良くないに違いない。

 なので、今の状況は好ましい。


「……」


 少しだけ、横で着かず離れずの距離を保つ奈代さんの方に視線を向ける。

 端正な顔立ちで、鞄を両手で前に持ち、一見ゆったりとした歩き方ながらも普通の歩みと変わらない速度な辺り、普段からその所作が染みついていることが分かる。落ち着いた表情をしているが、どこかそわそわとした雰囲気が感じられた。

 横から見ても変わらず美少女である奈代さんと一緒に歩けているという状況、かぐや姫が出て来る可能性を考慮しても、嬉しさが勝った。


「……」

「……」

(話題がねぇ!)


 しかし、誤算もあり、彼女と話せる話題がない。

 ないけれど、この沈黙が続くのも辛い。


「奈代さんって、普段テレビとか見るの?」

「見ますけど、家で制限が付いているので、あまり」

「何か動画見たりは?」

「家では基本的には勉強で、スマホなども連絡を取る時しかあまり触らないですね」


 はい! 話題終了のお知らせ。

 アニメを見てくれていたら、どんな作品でも合わせられる自信があったし、最低でも何かしらのものを見ていたら話しのきっかけに出来たが、見事に空振りに終わって、ぎこちない笑顔まま、口が接着剤で閉じられたように開かなくなる。

 他に僕が話題に出来ることなんで、漫画やゲームのことだけど、この様子だとそれの望み薄だろう。

 とはいえ、また無言空間に戻る訳にはいかない。


「そ、そうなんだ。家、厳しいの?」

「厳しいわけではないですね。制限はついているものの、特番とか見たいものがあった際には制限なく見れますし、あくまでも、堕落しないようにする一環程度ルールです」


 うちの親がそれを聞いたら、我が家にも導入するとかいいそうで怖いな。


「じゃあ、純粋に奈代さんが娯楽系に興味ないってこと?」

「興味ないわけじゃないけど、優先順位が低いだけです」

「じゃあ、別に否定するとかではないんだ」

「? 好きな人がいるからそういうものがあるのは理解してますから」


 良かった。奈代さんがアンチオタクとかだったら、心の谷間が埋まることなくなってしまう。

 きっと、今この横の距離も自然と開くことになってしまったからもしれない。

 けれど、そんなことにはならず、実際には他人のことを尊重する素晴らしい精神の持ち主だった。

 容姿端麗で眩しいくらいの心を持つ彼女の人として輝きは本当に。


「綺麗だ」

「えっ!!」

「あっ!」


 自然と零れた言葉を聞かれてしまった。

 奈代さんがまるで幽霊でも見たような驚きでこちらを見て来る。僕はその視線に強い羞恥心を感じてしまい、顔を逸らした。

 顔を元に戻せない。今、自分がどんな顔をしているのか、奈代さんがどんな表情をしているのか分からない。

 もしかしたら、気持悪いと思われたかも。


「ごめん! 今のは心の声が漏れてしまったというか、いや、本心なんだけど。 ごめん!!」

 

 自分で何を発言し、何を謝っているのか分からなくなる。

 首を動かさず、目線だけ奈代さんの方に向けて彼女の様子を見る。

 彼女も俯くようにして、視線を外すようにしていた。

 そりゃ、そうだ。親しいとも言いづらい間がらの男子に会話の脈絡なく、変なことを言われたら恐怖を感じてしまうだろう。

 突然変なことを言う、完全にコミュ障の会話だ!


「だ」

「?」

「大丈夫です」


 か細い声で奈代さんが言って来る。しかし、顔は上げず、俯いたままだった。


「あ、ありがとうございます」


 許されたことに安堵しつつも、何故か俯く彼女を直視することができず、気まずい雰囲気のまま駅に辿り着いた。歩いたせいか少し体が熱い。

 幸い電車はすぐに来たので、待たずに乗り込み、近くの席に座った。

 座ったことで、お互いに落ち着きを取り戻す。


「な、奈代さんはどこで降りるの?」

「私は二つ先の佐古さこ駅で降ります」

「意外と近いんだね」


 二つ先なら、六分ぐらいで着いてしまうだろう。

 

「藤原君はどこの駅ですか?」

街南美がいなみ駅」

「えっと。すみません。駅はあまり詳しくなくて」


 いきなり馴染みのない駅名を言われて戸惑っていた。

 しかし、その反応は当たり前だ。この辺りに住んでいるなら、普通は聞かないだろう。

 なんせ。


「ここから二時間くらいかかる場所だから、分からないのも無理ないよ」

「そんな遠いところから通っているんですか?!」


 それは当たり前の反応だろう。


「そこまでして、この学校に入りたかった理由があるんですか?」

「いやぁ」


 地元から逃げたかったからとは言えない。


「あ、新しい知見を得たくてね。地元では得られないものがあると思って」

 

 本当の理由を言えず、少しだけ恰好を付けた言い方をしてしまったため、気恥ずかしさで心が満たされる。誰か変なことを口走る私を穴に埋めて下さい。


「それは、素晴らしいですね。しっかりとした考えを持って高校を選んで藤原君は凄いです」


 止めて! 純粋な言葉が心を突き刺してくる!

 逸らさなくては、標的が僕に向き続ける今の状況を変えなければ。


「奈代さんはどうして、この高校を?」

「私は…」


 僕の質問奈代さんは少しだけ顔に影を落とし、言い淀む。

 もしかして、矢をずらした結果地雷に当ててしまったかもしれない。

 どうしようと考えを巡らせていると。


『佐古駅~佐古駅~。お出口は右側です』


 電車内に奈代さんが降りる駅のアナウンスが流れる。


「奈代さん。もう着くみたいだよ」


 そう言って、彼女に降りる準備を促す。


「そうですね。ありがとうございます」


 彼女は鞄を持ち、立ち上がる。


「今日はありがとうございます。ひとまず、学校外でも藤原君といるときは頭痛が起こらないことが確認出来ました」

「力になれたなら良かったよ」


 そういえば、今日の一緒に帰る目的はそうだった。

 色々あって忘れかけていたが、目的は頭痛のパターンを解明することだ。

 これで、僕と別れた後に頭痛が起こるかで、頭痛のパターン分類が出来る。 


『開く扉にお気を付けください』


 電車が止まり、扉が開く。

 

「?」


 しかし、彼女は扉に向かうことなく、僕の前で立ち続ける。


「どうしたの?」


 立ち止まる彼女に疑問をぶつける。

 彼女は物理準備室で作業していたような険しく、凛とした表情をしながらこちらを真っ直ぐ見つめる。

 

「藤原君。今週末デートしませんか?」

「デート?」


 何を言われたのか分からない。

 一緒に帰ろうと言われたとき以上の衝撃に、固まってしまう。


「急いでください。扉が閉まってしまいます」


 毅然とした態度で急かす奈代さんの言葉は、僕に考える余裕を与えない。


「こ、今週は用事あるから」

「では来週末は」

「来週は大丈夫です」


 僕の返答に被せるように更に提案をする彼女に、僕はOKをしてしまう。


「では、来週末よろしくお願いします」


 それだけいうと、彼女は閉まる直前の扉を駆け抜けた。 

 茫然としてた僕をよそに、電車は発進する。

 そして、流れていく窓の向こうの景色には、口角を上げた奈代さんの姿が映っていた。


「何だったんだ?」


 僕は結局、家に付くまでの二時間半。どれだけ悩んでも奈代さんの意図を考えることはできなかった。

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