第十一話 日常は軽くあれ

 その日は授業に全く集中できなかった。

 教師に当てられれば、無駄に目立たないようにしようとほぼオート状態。目の前の問題に集中しているように見せかけて、普段通りを装うがその内心、考えていることは全く別のことだった。






 陽が朱くなってきた放課後。

 可能な限り関わらないようにしようという僕の安寧への願いは神様にはどうやら面白いものではかったらしい。

 きっと、今の事態を見て大笑いしていることだろう。


「失礼します」


 何故なら、部室で寛いでいた僕のもとに早速奈代さんが訪れてしまったからだ。


「……え?」


 茫然自失とはこのことを言うのだろう。

 部室に置きっぱなしにしてあった携帯ゲーム機に触っていた僕は、一瞬で彼女以外の風景が消え去り、彼女だけを意識の中に捉えられる。


「ど、どうしたの?」


 あまりの動揺に声が震えてしまった。


「ここにいると聞きましたので」


 毅然とした表情で答える彼女に、心の中でそういうことを聞きたいわけではないとツッコミを入れる。 


「……ちなみに誰に聞いたの?」


 僕の居場所を知るなんて、直谷くらいしか思い浮かばないけど、彼の話から別に仲が良いわけでもないだろうし。


「大伴先生が教えてくれました」


 納得だった。

 先生なら、僕が何の部活に属しているのか把握している。そんな先生なら、僕の居場所を教えるのも訳がないだろう。

 一応彼女の情報源も知れたので、話を進める。


「それでどんな用事でここに来たの?」


 それが問題である。

 わざわざ僕を探して訪れたくらいだ。何か大きなことが起きたのに違いないだろうが、分からない。心当たりはあるだろうと胸の中の悪魔が囁くが、知らないったら知らない。 


「……その前にその手に持っているものを置いてもらってもいいですか?」

「失礼」


 校内では禁止されている携帯ゲーム機をやっていること自体については何も言わないあたり、奈代さんは生真面目ではあるけど、全く融通が利かないわけではないみたいだ。ここでは何も言わないで、後から密告する可能性もないことはないだろうけど。そんなことはないと信じよう。

 どちらにせよ。流石に人と話すのにゲームを持ったままなのは人として良くないでの、言う通りにゲームを置く。


「とりあえず中に入りますか?」


 正直、今すぐに帰って欲しいという思いをぐっとこらえて、ずっと入口で立っている奈代さんを部室内に案内する。


「ありがとうございます」


 彼女は一言お礼を告げると、靴を脱いで部室内に入る。僕は向かいの椅子を差しながら手で座ることを促すと、彼女もそのジェスチャーに従い座った。


「意外と綺麗なんですね」

「まぁ。掃除は定期的にしてるから」

「マメなんですね」

「汚いのが気に入らないだけだよ」


 正直、入部当時の部室は酷かった。今はほとんど来ない先輩たちもあまり部室に寄らないため、ゴミも放置。

 最初は掃除を諦めようと思ったが、学校に自分だけの部屋ができるという利点が勝ち掃除をした。

 それ以降、掃除を週一でするようになり、元々掃除が嫌いでないためストレスにもならない。

 そのおかげで先輩たちからは喜ばれ、自由に部室を使っていいと言われているのでwin-winだ。


「そ、それで用件は何?」


 目の前に対面したことで改めて奈代さんの端正な顔立ちに見惚れてしまったせいで、少しだけ声が上擦んだが、彼女に用件を問う。


「実はお願いがあって……」

「?」


 そう言いながら、口塞ぐ彼女の体が僅かに震えていることに今更になっていることに気が付く。

 表情もいつものように毅然とした表情をしてるが、どこか不安感が滲み出ていた。

 明らかに朝のような態度ではない。

 一体彼女に、朝から放課後までの間で何があったのだろうか。

 面倒は避けたいとはいえ、クラスメイトがこんなに困っている以上、これから何を頼まれても断るという選択肢はない。僕はこれから彼女が絞り出す言葉を聞き逃さないように耳に力を入れて集中する。


「頭痛の原因を一緒に突き止めてもらえませんか?」


 そんな気はしてた。

 彼女の友人関係や学校生活については詳しくないが、彼女がわざわざ僕に相談しに来るということはそれ以外に考えれなかった。

 しかし、それでもここまで不安がるのは異常だ。

 これまで頭痛が起きつつも、変わらずに学校生活をしていた彼女がこんなことを頼んでくる以上、今までと違うことが起こったということだろうか。

 とにかく事情を聴かなくては。


「それはどうして?」

「朝も言った通り、藤原君の近くでも頭痛が起こることはなくなったのだけど。今度は全く関係ないところでも頭痛が起こるようになって……藤原君、昼はどこにいました?」

「普通に教室で食べていたけど?」


 突然質問を聞かれて驚いたけど、事実を即回答する。

 けど、彼女は僕の回答に更に苦渋の顔をした。


「私は学食で食べていました」


 まさか。

 僕は彼女の言いたいことを察する。


「けど、頭痛が起こったんです。明らかに藤原君とは距離があるのに」


 この学校の学食があるところは、僕たちの教室と離れている。

 きっと、今までもその距離なら頭痛が起こっていなかったのだろう。

 けれど、今回は違った。だから奈代さんは困っている。


「その後も、あなたが教室にいるときにトイレに行っても頭痛が起こるし、さっきなんて帰ろうとしたら学校の敷地を出たら強い頭痛が起こったんです!」


 長く黒い髪を乱しながら、彼女は語気を強くなる。困惑が積った彼女にとって、今の状況は恐怖以外の何ものでもないだろう。行き場のない憤りに声を荒げてしまうのも仕方ない。

 奈代さんの親しい友人でも見たことないだろう彼女の姿。それは完璧と言われる上品な姿とはかけ離れていた。

 周りからは完璧とは言われているが、一人の人間として、理解不能なことが起これば戸惑うのは当たり前。

 むしろ、明らかに関係がありそうな僕を責め立てずに頼ろうとするあたり、根が優しい証拠だ。


「とりあえず落ち着いて、これ飲んで」


 僕は一度彼女を落ち着かせるため、冷蔵庫から新品のペットボトルのお茶を渡す。

 彼女は部室に冷蔵庫があることには突っ込まず、渡したペットボトルを受け取り、飲む。

 取り乱しているにも関わらず、ゆったりと飲む彼女の動作に育ちの良さを感じさせる。


「ふぅ。ごめんなさい取り乱してしまって」

「いや、今までにないことが起こったら誰だってそうなるよ……ひとまず僕も協力するから、今後のことを考えよう」


 息を整え、落ち着いた奈代さんに協力することを伝える。

 僕の言葉に少し安心したのか、不安で強張っていた表情が和らぎ、綺麗な笑顔を見せた。


「藤原君、ありがとうございます」


 多少の涙を薄っすらと浮かべながら笑顔でお礼を言ってくる彼女は美しく、幻想的で、きっとどんな男子でも落としてしまうだろうその姿を見て僕は。


(原因知っているといは言いずらいぃぃぃぃ)


 内心で絶叫した。とはいえ、どうしようもない以上、今できることは波風立てずに済ませつつ、解決まで導くこと。

 奈代さんの不安を取り除けるなら、それに越したことはない。ないけれど、思わずには入れらない。

 あぁ。グッバイ穏やかな日々よ。僕は心で涙を流した。

 

 




 

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