第十話 質問は重く

「ど、どうして?」


 奈代さんの質問には答えずに、その意図を聞く。

 相手がどういう意図で聞いているのか分からないのに迂闊に答えた結果、どんな地雷を踏むことになるのか分からない。それは、とても危険な行為になりえると言える。

 だから、まずは奈代さんの考えを聞いておく必要がある。

 もしかしたら、今は奈代さんの振りをしたかぐや姫の可能性もありえる以上、慎重にことを運ぶしかない。

 

「昨日、物理準備室を飛び出した後にトレイで痛みが引くまで落ち着けていたんですが、急に痛みが激しくなったと思ったらいつの間にか廊下に座っていたので」


 その話を聞いて、頭痛の原因はかぐや姫が表に出ようとした結果のものであり、きっとその痛みが頂点に達した瞬間が入れ替わったタイミングだと考えた。

 トイレに駆け込んだ後の記憶がないということは、奈代さんとかぐや姫は記憶を共有してないということで間違いないだろう。

 しかし、ここは念のため確認しておく。


「痛みの後の記憶は本当に何もないの?」

「? はい」


 僕の質問に少し不思議そうに答える奈代さんは、少なくとも演技をしているようには見受けられなかった。


「気が付いた後、藤原君を探したけど見当たらないから準備室に戻ったら、整理が終わってて、書き置きが残っていたから先に帰っちゃたのかなって思ったんだけど…」


 話を聞いて安心した。

 奈代さんしたいのは、僕への疑惑を明かすことではなく、不審な点の確認だったのだ。

 彼女は僕が、奈代さん自身の何かを知っているとは思っていない。

 あくまでも、仕事を終わらせて先に帰ったかを知りたいだけだ。 

 それなら……方針は定まった。


「うん。奈代さんが中々帰ってこないから、先に仕事を終わらせて帰らせてもらったよ」


 しらを切る。徹底的に一昨日あったことに自分は関わっていないことにすることで、面倒ごとを避ける。

 それが、今するべき最適案だと言える。


「そう、ですか」

「ごめんなさい。奈代さんを見つけて一言声を掛ければ良かったよ」

「いえ。あの場を去ったのは私の行動の結果ですから。藤原君が謝ることはありません」


 僕の言葉に納得した奈代さんは一歩引く。

 余計な疑いも持たれずに受け入れて貰えたことに、心の中で良かったと叫ぶ。

 しかし、咄嗟に嘘を着くことが出来ても、嘘をバレずに保ち続けることが苦手なため、さっさと距離を取るのが良い。何が切っ掛けで嘘がバレるかなんて分からない。


「じゃ、じゃあ。そろそろ戻るね」

「そうですね。時間を取らせてしまってすみません」


 嘘をついている罪悪感からか、少し引き攣った笑顔を浮かべながらそう言って、その場で回れ右して奈代さんに背を向ける。 

 そして、そのまま顔が見ない位置まで背を向けたら、笑顔を消してその場から足早に去る。というか早く去りたい。


「あ。ちょっと待ってください」


 が、そんな望みは簡単に打ち砕かれる。

 ここで聞こえない振りをするのもありだが、それはそれで教室で話しかけられたりして、後々面倒なことになるくらいなら、無視するという選択肢を取るのは良くないだろう。

 真顔から再び笑顔になり、半身だけ後ろを向く。

 そして、そこにある彼女を表情を見て、目を見開く。


「プリント整理を代わり終わらせて頂きありがとうございます!」


 今までの真剣な表情や不機嫌さ含まれる表情とは違う柔和な笑顔でお礼を言ってくる奈代さんの姿に、体が硬直する。

 考えてみれば、僕は彼女と関わる時に笑顔見たことない。

 だから、どこか一歩引いた気持ちがずっとあり、皆が言っている優しい奈代さんのイメージと乖離かいりを持っていた。

 そのため、何故彼女が人気があるのか分からないところもあった。

 しかし、彼女の笑顔を見て納得する。

 穏やかながらも、慈愛が含まれたかのようなその表情は相手に対する優しさに溢れており、彼女の感謝の心が全身に包まれる。

 そのギャップが、思考力を奪う。

 これからできる限り関わろうとしないと決心した気持ちを壊そうとする。

 こんな笑顔を向けられてしまえば、多くの男性は心を奪われることだろう。

  

「いや。時間も掛からなかったし、お礼を言うほどじゃないよ」

「でも。負担を強いてしまったのは事実なので…」

「と、友達が待っているから先に教室に行ってるね」


 彼女が言い切る前に、その場から立ち去る。

 話を切ってしまったことに対して、少々申し訳なさがあるが、これ以上ここにいては自分の何かが変わってしまう。

 それはいけない。

 仲良くなるチャンスかもしれない。

 今まで素っ気ない態度を取られた分、もう少し話をしてみたいと考えてしまう。

 けれど、それをしてしまうとかぐや姫という厄災が付きまとう可能性が出てくる。何より、昨日記憶を途中を失った奈代さんが困惑を起こしたように、彼女にも迷惑を掛けることになる。

 瞬時にメリットとデメリットを秤に掛けた結果、デメリットの方が大きいと考えてた。

 結論が出た以上、このままズルズルとこの場に留まるのは精神的に良くないので、ここは強引にでも戻る。

 これが正解のはずだと自分に言い聞かせる。


「…………」


 後ろからまだ何か言いたげな気配を感じるながら、今更ながらあることに気が付いた。

 奈代さんの僕の呼び方が、「さん」呼びから「君」呼びになってた。

 何か心境の変化でもあったのだろうか。個人的には少しだけ距離感が近くなったように感じる為、嬉しくないと言えば嘘になるが……嫌、駄目だ。

 気になり、色々考えを巡らそうとするがここで気になるとずっと頭の隅に残り続けてしまうような気がしたため、思考を断ち切り、今度こそ足を止めずに教室に一直線に向かう。

 教室に着くと、速足で席に座ってすぐに顔を隠すように机に伏せる。

 少し目立つようなことをしてしまったかもしれないという日陰者ならではの考えが過ったが、それどころではない。

 頭の中で様々な感情が渦巻き、自分が今どのような表情をしているのか判断できない。


「おうおう。朝から疲れたご様子で、どうしたんだ?」


 しばらく顔を伏せていると、いつの間にか前に座っていた友人から、からかうように声を掛けてくる。

 僕は今の自分の表情がとてもではないが、人には見せられないため、顔を上げずにそのまま返す。


「……何でもない」

「ゲームで徹夜でもしたか?」

「そんなところ」

「そうか、なら今度それを紹介してくれ」

「そうするよ。だから少し寝かせてほしい」

「あぁ。分かったよ」


 そのまま寝たふりをする。

 直谷もそれ以上突っかかってくることはせずにそっとしてくれた。

 教室に誰かが入ってくるのが聞こえる。

 しかし、それを確認しようとは思わない。

 僕は少しだけ熱を帯びた顔をそのまま伏せ続けた。


「……関わらなようにしないと」

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