第六話 葛藤は重く

 僕は奈代さんが出ていった後はひたすらに手を動かして仕事に没頭ぼっとうした。

 何かをやって意識を乱していなければ、自責じせきねんに押し潰されそうになるからだ。

 二人でやっていたこともありそれなりに進んでいたが、元々の量が多かったため、一人では中々に疲れる。

 しかし、少しでも休憩を入れようとすると頭に余裕が生まれてしまう。

 そうなると、『奈代さんが倒れた原因は本当に自分なのかもしれない』や『僕がもっと冷静でいられたら、あんな些細ささいなことで苛立いらだちを覚えて意地悪いじわるをしなかったのではないか』などの問答もんどうが自分の中で繰り広げられる。

 そのたびに苦しそうに準備室じゅんびしつを出ていく奈代さんの顔がちらつく。

 そしてその思考を繰り返すごとに、僕の体力と精神が削られていった。

 だから考えない様にするために、目の前の残されたプリントの山の振り分け整理を手を休めずに一心不乱いっしんふらんにに進めた。

 そのかいもあってか想定そうていしていた時間よりも早く仕事は終わった。

 最初は日が沈むまで掛かると思っていたが、外に目をやると日はまだ沈んでおらずに、夕日となり朱く輝いているところだった。

 僕は整理したプリントの山の一番上に、付箋ふせん美珠羽先生宛あてに仕事は終わったという報告の書き置きを残して準備室を後にする。

 廊下に出ると外から入ってくる夕日が誰もいない廊下を紅く染め上げており、ちょっとした幻想的げんそうてき風景ふうけい。漫画やゲームのCGで出てきそうな光景になっていることに少しだけ感動した。

 しかしその感動は階段を降りる頃には既に無くなっていた。

 ふいに、保健室に寄って行くかどうかの選択肢を思いついてしまったからだ。

 奈代さんに意地悪をしてごめんとあやまりたい気持ちは勿論ある。

 その行為が自分の罪悪感ざいあくかんやわらげるためのものだと非難ひなんされても、謝らないと行けないと考えてしまう。

 だが同時に本当にいいのかという疑問ぎもんも湧いてくる。

 奈代さんできる限り僕と近づくことを避けている。

 何で僕が奈代さんに近づくと頭痛ずつうが起こるのかは未だに分からない。

 僕に原因があるのかも判明はんめいしていない。だから僕が奈代さんに会いに行って、また頭痛が起こるとは限らない。

 それでも僕が奈代さんの所に行って再び苦しむ可能性があるのならば、今は避けるのが賢明けんめいなのかもしれない。

 自分の気持ちと思考が乖離かいりする。

 何に従えばいいのか分からなくなってくる。

 どちらか片方の結論に決めた直後に、心の中で何度もささやく。


(本当にそれで良いの?)


 その囁きが何度も出る結論を再び泥沼どろぬまの思考へといざなう。

 結果として無限むげんループにおちいってしまう。

 意識が外へと向いた時には、既に僕は下駄箱げたばこに立っていた。

 準備室が四階にあるので、無意識に四階分も降りてきたことになる。

 僕は自分の下駄箱の前に立ち、靴を取り出そうとしたところで不意に思い出す。


「そういえば本を机の中に入れたままだった。寝る前に読み終わりたいし、持って帰るか」


 誰が聞いてるものでもないのに僕はそう口にする。

 いて言うならば、自分に言い聞かせたのだ。

 正門せいもんと校舎一階にある保健室は逆方向にあり、今いる下駄箱は多少正門寄りではあるもののほぼ中間地点にある。

 そのためどちらを選択しても使う体力は同じで、どちらも合理的であると言えた。

 しかしこのまま下駄箱から靴を回収して正門に向かってしまえば、真逆の方向にある保健室に向かうのは体力を使うだけでだと言い訳が生まれてしまう。

 そうなれば自分の中でシーソーゲームしている感情と思考のバランスが崩れてしまい、保健室に寄らずに帰るという選択肢が強制的きょうせいてきかつ合理的判断の結果として下ってしまう。

 きっと帰った後に後悔もしない。

 それも間違った判断ではないからだ。

 だけれど状況に流れた結果で出た結論になるのは良しと出来なかった。

 だから教室に本を取りに戻るというていの良い言い訳を作り、自分に言い聞かせることで強引に考える時間を増やした。

 きっと時間を延長えんちょうしたところで、無限ループにまりシーソーのように傾き続ける天秤てんびんが止まることはないのかもしれない。

 無駄な足掻きであるため、いっそのこと状況に流れて結論を出した方が早いのかもしれないがそれは出来なかった。

 自分が合理的に考えているようで、やっていることが合理的でないことは重々承知じゅうじゅうしょうちしている。

 どちらかを選んだ後にはその結論に違和感いわかんを持たず軽くなれるだろうが、今はまだ中間にいる僕には、状況に流されることに納得が出来なかった。

 僕は下駄箱を開けずに来た道を戻る。

 この学校は一年の教室と特別教室とくべつきょうしつがある一号館と二年生と三年生の教室がある二号館に別れており、教室に戻るには降って来た階段を上がるだけだった。

 教室は三階にあり、四階にある物理準備室ほどでないにしろゆっくり歩けば十分な時間になると思っていた。

 だが再び考えだした思考は時を加速かそくさせて、結局けっきょく結論は出ないまま気が付けば教室まで戻って来ていた。

 本当に無駄に時間を消費するだけになってしまった。

 僕は自分の机からライトノベルを取り出して、表紙を見ながら自嘲的じちょうてきはなで笑ってしまう。

 誰もいなくなり夕日だけが差し込む教室を見ながら、もう状況に流された結論でも良いかと感情も思考を投げ出したくなる。

 しかしそれでも諦めきれないともう一度感情と思考のシーソーゲームをさせながら教室を出る。

 既に夕日は半分まで沈んでおり今の時間では三階まで来る人はいない。先生たちも職員室があるのは二号館であり、職員会議もまだ続いているのか先生たちが見回りをしている気配もない。完全に静寂せいじゃくに満たされていた自分だけの世界。

 

(?)

 

 だけど、その時間は長くは続かなかった。

 階段の方から足音あしおとが聞こえて来る。

 それはそうだ。既に下校時間となり部活動もほとんど終わり始めているとは言え、まだ残っている生徒もいる。

 僕と同じく忘れ物を取りに教室に戻って来たのだろう。

 急いでいるのか走っているのが足音から分かる。

 もしもここで僕も歩き出したら角でぶつかるかもしれない。

 万が一のことを考え、僕は教室の前の廊下で静止せいしして階段を上がってくる人が来るのを待つ。

 

 僕はこの決断けつだん強く後悔することになった。


 反響しているが音が近づくのが分かる。全力で駆けて来ているのか姿は見えないけれど荒い息遣いまで聞こえて来る。

 その声は女性のものだった。

 何よりこの声には聞き覚えがある。

 クラスメイトの誰だと思い記憶をり出す。

 それはとても最近聞いたもの。

 何だったらついさっき聞いたものに思える。


「まさか……ね」


 一人の少女を思い浮かべるが、彼女は保健室におり頭痛まで起こしている。

 そんな状態で全力疾走ぜんりょくしっそうをするはずがない。

 僕がありえない思考をしていると、足音の人物はもうすぐそこまで来ていた。

 曲がり角から影が見える。

 僕は目を離さずに、そこから出て来る人物を確かめる。

 そして一人の少女が姿を表した。


「どう…して」


 その姿に僕は声をらす。

 その少女は僕はありえないとだんじ、何よりも先程までその少女のことだけを考えていた。

 だから見間違えるはずがなかった。

 見間違いだと思いたかった。


「ず、頭痛は治ったの? ……奈代さん」


 僕は一先ひとまず現実を受け取ることにして、目の前に立つ彼女に声を掛ける。


「……」


 しかし奈代さんは何も言わない。

 下をうつむいたまま表情も見せない。

 その不気味ぶきみさにみょうざわめきにおそわれる。

 外から差し込むあかい光が恐怖心きょうふしんあおる。


「な、奈代さん?」


 諦めずに声を掛けると奈代さんが何かを呟く。


「……」

「え? 何?」


 あまりに小さい呟きのため何と言っているのか聞き取れることが出来ず、聞き返す。

 そして僕の返しに反応するかのように、彼女はゆっくりと顔を上げる。


「ひっ!」


 僕はその表情を見て声を上げてしまう。

 彼女の顔は能面のような無機質なものだった。

 瞳からは光が消え、笑み一つなく何かを呟き続ける口元。

 窓から当たる光で、顔の半分に落とす影。

 その全てが恐怖心を強めるのには十分だった。 

 今までも奈代さんは僕の前では無表情であったけど、人間味があるものではあった。

 しかし今の彼女にはそれがなかった。

 まるで人形のように思える。

 僕が息を飲んでいると彼女の呟きはどんどん大きくなり、耳に届いた。


「見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた」


 完全に言葉を無くす。

 表情を固める僕とは反対に、彼女の表情が笑みへと変わる。

 恍惚こうこつとした笑み。感情のたかぶりと窓から差し込む夕日によって真っ赤に紅潮こうちょうした頬。

 興奮に満たされたその顔は僕の前でも、教室でも、他のクラスメイトの前でも一度も見たことがないものだった。

 そして、その笑みのまま彼女は僕にはっきりと聞こえる声で告げた。

 


「見つけました………藤原様」


 

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