第七話 記憶は重く

「君は……誰?」

 

 誰だ。

 目の前に立つ人物は一体誰だろうか。

 姿形すがたかたちは間違いなく、僕の知っている奈代輝夜なよかぐやさんだ。

 しかし、その様子は普段ふだんの知っているものとは掛け離れている。

 僕の前で見せるクールなものでも、みんなと話すときに見せる笑顔も、先生の質問をしたりする時の様な真面目まじめな表情も今の彼女には面影おもかげも残っていない。

 あら息遣いきづいと同期どうきするようにかたを激しく上下させながら顔を紅潮こうちょうさせて、まるで昔から探しているものが見つかったように興奮こうふんしている。

 いつもの大和撫子やまとなでしこと言った雰囲気ふんいきはほとんどなくなっていた。

 今までの奈代さんのイメージが崩壊ほうかいする。

 だが今の様子はあでやかで、窓から入る夕日との光ともマッチしているため、今の様な状況じょうきょうでなければ魅入みいってしまうかもしれない。

 もしかしたらこの表情が奈代さんの本性ほんしょうなのかもしれないと考えられるが、それはないと思えた。

 思いたかっただけかもしれないが、今の彼女は奈代さんの本性というよりは、別のだれかに感じる。

 だから僕は目の前に立つ奈代さん姿をした彼女かのじょに問いかけた。

 

「覚えてないのですか? わたくしのことを」

「……奈代さん?」

「違います」


 顔を赤らめたまま、少しだけほおふくらませてねるように彼女は自ら奈代輝夜であることを否定ひていしてきた。

 もうわけからない。

 一人称いちにんしょうも少し変わっている。

 奈代さんの双子ふたご

 いや、そんな話を聞いたことがない。

 そもそも、双子だとしても苗字みょうじは同じになるはずだ。

 なら複雑ふくざつな家庭とか? それも違う。

 少なくともそんな話は直谷なおやからは聞いたことがない。

 それに彼女が着ている衣服いふくは間違いなくこの学校の制服であり、この学校の生徒であることの証明をしている。

 それは否定しようのない物証ぶっしょうだった。

 僕はさまざまな思考をらすがどれも違うとだんずるにる理由が出て来てしまう。

 じゃあ。目の前にいる奈代さんの姿をした彼女はいったい何なのだろう。


「なら本当にあなたは誰なんですか?」

「わたくしです……かぐやです」

「へ?」

「貴方が求婚きゅうこんしてきた『なよ竹のかぐや』です」


 してませんけど?!

 求婚きゅうこんという言葉に対して咄嗟とっさに出てきそうになったツッコミを必死におさみながら、彼女の言った名前について考える。

 なよ竹のかぐや。そう自分のことを名乗なのる彼女の名前の人物に僕は心当たりがあった。

 僕だけではない。

 日本に住んでいる人ならば必ずと言って良いほどに知っているもの。

 日本最古にほんさいこの物語でかたられる姫の名前。

 現代では多くの作品やキャラクターで登場する程に有名人。

 僕の知る奈代さんの名前のもとになったであろう人物。

 五人の求婚者きゅうこんしゃ無理難題むりなんだいを出し、最後は月に帰ったことで有名なかぐや姫の呼び名であったからだ。


「それって、竹から生まれた」

「はい! ようやく思い出して頂けましたか!」


 僕が確認のを込めて、かぐや姫の物語の序盤じょばんであり、最も知られている逸話いつわについて聞くと、彼女は……自称かぐや姫は目を輝かせて肯定こうていをする。

 やっと自分のことを思い出してくれたと思ったのか、彼女は歓喜かんきに打ち震えていた。

 しかしはしゃぐようなことはせずに、綺麗きれい所作しょさを乱さないまま息だけを荒立あらだたせていく。

 そして彼女は興奮の最高潮さいこうちょうにいながらも、襲い掛かるように走ってくることはしないで、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 それはまるのでホラーゲームのようで恐怖心きょうふしんあおってくる

 スカートは最小限さいしょうげんしか揺らさず歩いてくるその動作は、綺麗に見せるためのその場しのぎのつくろいではない。淑女しゅくじょらしくあろうと日常的に積み重ねることによって生まれるものだと一目で理解させるに十分な美しさがある。

 意図的いとてきに人の視線を集めるような乱れた魅せる動きでないのに、不思議と目線を外すことが出来ない。

 熱意ねついを込めた表情を浮かべながらもその所作には一切の乱れはない身のこなしは、育ちの良さを表している。


「わたくし、後悔していました」


 華麗かれんな動きに見惚れる間に、彼女は僕のすぐ目の前にまで来ていた。

 威圧感いあつかんが先程よりも強くなる。

 赤めた頬も、瞳も、笑みも先程と変わらないのに雰囲気が変わっていた。

 それこそ僕が不用意な発言をしてしまい、気に食わないことを言ってしまえばその場で刺し殺されるのではないのかと感じてしまうくらいに目の前の彼女は恐ろしい。

 僕が背中に汗を滲ませて、困惑で顔を染めていることを気にせず彼女は自分の気持ちを吐露するように語りだす。


「あの時。わたくしには多く求婚を求めるものがいました」

「それは知ってます」


 それも有名な話だ。

 絶世ぜっせいの美女であったかぐや姫の下には多くの男が集まり求婚きゅうこんをした。

 

「わたくしはその全てに断りを入れました。興味がありませんでしたから」

「五人貴族に無理難題を出すほどだもんね」

「はい。むしろあれを持ってこれたら、それはそれで良しと思っていました」


 五人の貴族の話は竹取物語でも屈指の話だろう。

 噂を聞きつけてかぐや姫に求婚を迫った五人の貴族は、それぞれが求婚を受けいれる条件としてとあるものの献上けんじょうを言い渡された。

 『ほとけ御石みいしはち』『蓬莱ほうらいたま』『火鼠ひねずみ皮衣かわごろも』『りゅうくびたま』『つばめ子安貝こやすがい

 どれもこれもが実質用意不可能な無理難題であった。ある者は命を落とし、ある者は偽物を渡し、手酷てひどい返事を叩きつきられる。中にはかぐや姫は性悪女しょうわるおんなだと言い放ったものもいるくらい、彼女の性格の悪さが現れる話である。 

 妄言もうげんにしか聞こえないが、僕は一旦彼女の言っていることを真実として考えて会話を続ける。


「でも、最後はみかどに心を打たれたんじゃあ」

「そうですね。月から使者が来た際には育ててくれたお婆さんやお爺さんとは離れることに寂しさはありました」

 

 興奮気味だった表情に、少しだけうれいを帯びたのを僕は見逃さなかった。そしてそれは言葉が本音であることを証明している。


「帝は?」

「あんな変態は興味ありません」

「酷いね」


 先程までの憂いた顔を瞬間に消してばっさりと切り捨てた。

 一応、この国で一番偉かったはずの人物に対して、中々辛辣な言葉だ。


「人の部屋に無断で入ろうとする人を愛そうとは微塵みじんも思いません」

「確かに」


 彼女の言い分につい肯定してしまった。

 竹取物語では情熱的じょうねつてきな行動の扱いをされているが、現代の感性で見てしまえばただの無断侵入むだんしんにゅうしてくるストーカーと同じだ。何それ怖い。


「とにかく、あの時のわたくしは婚姻というものに全く興味がありませんでした」

「今の話を聞いている限りはそうですね」

「しかし、わたくしはある時気が付いてしまったのです」

「何にですか?」


 何となく予想は着いた。

 着いたけれども、質問せずにはいられなかったので恐る恐る聞くと、彼女は外から入る夕日により真っ赤に見える瞳を一段と輝かせて高々たかだかと答える。


「真の愛というものに」

「……」


 僕は絶句するしかなかった。

 よくドラマで聞くフィクションではありふれた台詞をまさか現実に聞くことになるとは思わなかった。

 彼女を作ったことのない僕からしたら、真の愛というのはだった。

 だけれど、彼女からしたらそれが真理なのだろう。

 そうだと断言できるほどに彼女は自分の言葉にひたっている。

 

「でも……何で僕なの?」


 そう、例え彼女が…かぐや姫が真実の愛に気が付いたとしてもそれを僕にぶつけて来る意味が分からない。

 もしも彼女が過去の誰かを好きになったとしても


「わたくしは真実の愛に気が付いたのはとある方の行動の愛の深さに気が付いたからです」

「……」


 僕の質問を無視しているのか、それともそれが質問に対する回答に繋がるのか分からないため、一先ひとまずず黙り、耳を傾ける。


「しかしわたくしがその愛に気が付いた時には遅く、既に月に帰ってしまったため、その方とは会うことが出来なくなっていました」

「それが僕とどう繋がるの?」

「それは、その方の生まれ変わりが藤原様……あなただからです!」

「??」


 唐突に突きつけられた話に着いて行けなくなった。

 しかし、僕の混乱とは裏腹うらはらに彼女は更に早口になり語る。


「月に帰ってからは悶々とする日々でした。一度気が付いてしまった愛はわたくしの中で燃え上がり続けながらも、それを伝えることもぶつけることも出来ない。それは本当に辛き日々でした。気など何度狂ったか」


 僕は少しだけ想像する。

 恋心に気が付いたのにそれを伝えることもましてや、想い人を再び一目見ることすら叶わない。

 天の川で有名な彦星ひこぼし織姫おりひめですら一年に一回は会えるというのに、彼女にはそれすらない。

 それがどれほど辛いことか考えてみたが計り知れなかった。僕も正常な男子のため、中学の頃には片思いをした経験もあるし、告白もしたこともある。告白は結局は失敗に終わってしまった訳だが、己の気持ちを伝られスッキリすることが出来た。

 だけれど告白するまでの、自分の気持ちを胸の内に留めておく期間は辛いものとしか言えない。

 告白しても良いのか、振られないのか臆病になりながら不安にさいなまれて告白に踏み切れない間も、相手への気持ちは大きくなるばかり。

 相手の想いが強くなればなるほどに、振られたときの恐れは強くなり心が安定しないことが多かった。

 しかし、一番怖かったのは自分の気持ちを相手に伝えることが出来なくなること。

 誰かに先に取られたり、高校が分かれて会えなくなることで、気持ちを内にとどめ続けることになること。それが何よりも恐怖だった。

 だから僕には想像も出来ないことだ。

 自分の胸中にあるものに気が付きつつも、それを伝える手段も方法もないのに、思いの丈だけが大きくなる日々。

 巨大になっていく想いを縛り付ける毎日。気が狂うのも納得できる。

 僕は目の前でそれを語る少女に、憐憫れんびんいだく。

 可能性すら与えられないかごの中の鳥である彼女の境遇きょうぐうに。

 

「わたくしは諦めきれなかった。だからある日思いついてしまったのです」

「…何に?」


 嫌な予感しかない。

 それでも聞く合いの手を入れてしまう。

 そして彼女は僕の反応に嬉しそうにしながらとんでもないことを笑顔のまま述べる。


「一度死んで、再びあの方と出会えば良いのだと」


 開いた口が塞がらない。 

 もはや聞いていて頭痛を感じるレベルだった。

 しかし彼女は止まらない


「このままでは一生会える機会を得ることはないと考えた結果、死んでもう一度あの方へ会いに行けばいいと考えました。例え会った時のお姿でなくとも、わたくしはあの人に会えると確信がありましたので」

「会えると確信した根拠は?」

「女の勘です」


 今度こそ僕は金槌で頭を打たれたような衝撃に見舞われる。

 確かに、羨望せんぼうする人物に会えずに苦悩する毎日には同情する。

 しかし、それでも死んでからもう一度会えば良いという発想は常軌じょうきいっしていた。

 普通は未練を持とうとも、会えない人……手の届かないものに対しては諦めを選択する。

 それなのに、彼女はあらゆる会えない想定を飛ばして行動に移した。

 普通なら次も人間である保証や、彼女の憧れる人間と同じ時代に生れ落ちる可能性。あらゆる不可能という言葉を想像させるに足る要因があるというのに妥協を考えない。

 しかも多くの要素を無視してでも自殺に踏み切った根拠が女の勘という不確か極まりないものだという。

 もはや常人には及びもつかない領域の思考をしていた。

 だけれどそれが冗談ではなく、本気であることがひしひしと伝わってくる。

 

「つまり君は本当にかぐや姫の生まれ変わりということ?」

「はい。どうやら上手く地上に来れました……とは言え少し厄介な状況ではありますが」


 僕が再度確認のため聞くと彼女は間違いなく自分はかぐや姫の生まれ変わった姿であると、笑みを崩さすに言う。小さい呟きで何か言ったが、間違いなく突っ込んだら負けの予感しかないで触れないでおこう。

 だが僕はそんな大真面目な彼女にある悲しいお知らせをしなければいけない。

 もしかしたら、それを告げた彼女は僕に対して逆上ぎゃくじょうして命を奪い取ってくるかもしれないが、そこは男として告げなければならない。

 彼女がどこまでも本気ならば、なおさらに言葉にして突きつけなけばいけない。

 だから僕は、内心どころか生まれたての小鹿こじかのように震える足に力を入れて言う。


「で、でも。僕は君の求めるの人じゃない」


 これだけは言い切れた。

 僕は彼女の求めるが探している人物ではない。

 何故なら時代が違い過ぎる。

 そんな大昔の話の人物が僕であるはずがない。

 少なくとも、僕の記憶は生まれてからの十五年ちょっと分しか存在しない。

 何よりも彼女を知らない。

 だから、彼女の求める人が僕である筈が無いのだ。

 断言できる。 

 しかし、それは相手にとっては関係のないこと。

 相手の主観が分からない以上、目の前の彼女がこの言葉に対してどのようなアクションしてくるか予想がつかない。


「………いいえ」


 しばらくの溜めの後、僕の否定を否認する。


「貴方は間違いなくあの方です。姿形が変わろうともわたくしには分かります!」


 彼女は静かながらも確かな力のこもった声で、物言わさぬように答える。

 僕は先程までの興奮で満たされた違う重みを持つその言葉に圧倒されて何も言えなくなる。

 何故そう思うのか、そう思う根拠など色々聞きたいことが湧いて出てきたが、それらを聞くことは出来なかった。

 それは彼女の言葉が狂っているがどこまでの純粋で真っ白なその感情が乗せられたものだったからだ。


「だから。 さぁ! 今一度わたくしと婚姻を結びましょう」


 一世一代の告白。

 死すら糧にした想いの吐露とろ

 手を伸ばせば届く距離に立つ少女は最初に見た時と同じ、赤く染める頬と夕日で朱く見える瞳。なびく黒髪と少し早まる呼吸によって妖艶ようえんな雰囲気を醸し出される。

 しかし、それは最初とは全く別物だった。

 赤くなる顔は興奮によるものだけではなく、そこはかとなく恥じらいが混じっている。瞳もこちらを真っ直ぐ見据えるものから、光と相まって蜃気楼しんきろうのようにかすかに揺れている。きっと不安のなのだろう、自分の愛を受けて止めて貰えるのか。妖艶な雰囲気も喜び混じりの余裕のあるものから庇護欲ひごよくを掻き立てる。

 その様子は彼女無し=年齢の僕には漫画でしか見たことの無いものだった。

 美少女に運命の相手だと言われる。

 夢にすら思える状況。

 だから僕は覚悟を決めて答える。

 揺れる彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて。




「ごめんなさい。無理です」



 

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