第2話

 それからしばらくは、男は数日おきに魔女の元へ通い薬をもらった。

 次第に悪夢にうなされて飛び起きることが少なくなったのは、薬だけの効果ではなく、彼女と交流したことも影響しているのだろう。

 代金を払おうとしたら


「いいんだ。その代わり私の仕事を手伝ってもらいたいんだが」


 と魔女に言われた。

 魔法について何も知らない自分に何が手伝えるのだろうと訝ったが、頼まれたのは畑仕事や薬草の採取等だった。

 それならばと引き受け黙々と作業を進めると


「いや、助かったよ。ちょうど男手が必要だったんだ。ついでと言っては何だが、もう少し私のわがままに付き合ってくれないか」


 などど言われて、二つ返事で引き受ける。

 まあ付き合わされたのは仕事ではなく、木登りだの木の実探しの競争だの、子供のような遊びだったのだが。

 つくづく不思議な女性だと思った。

 黙っていればしっとりとした気品漂う楚々とした美女なのに、悪戯好きの少年のような言動でぶち壊しにしている。

 表情がくるくると変わって、ころころとよく笑う。

 そんな彼女に付き合うのは楽しかった。内心に黒々とわだかまる澱みを忘れてしまうほどに。

 やがて男は彼女の薬が無くても悪夢に苦しむことはなくなったが、『また来てもいいか』とためらいがちに問うと、魔女は


「君がまた、私のわがままに振り回されてもいいならね」

 と笑いながら答える。かまわないと即答すると、魔女は目を丸くしてころころと笑う。その笑みに引き寄せられるように彼女の元へ通い、彼女が作る薬草や野菜の栽培の手伝いをした。

 その手伝いの中で、戯れのように簡単な魔法の習得までさせられた。

「いやあ、一度教師の真似事してみたかったんだよね」

 などといって、魔女は飄々と笑う。

 楽しい時間は、砂時計の砂がさらさらと流れ落ちるように緩やかに過ぎていき、ある日あっけなく終わった。



 魔女が町で傷を負った。詳しい経緯は不明だが、それだけ聞いた男はすぐに彼女の小屋へ駆けつけた。

「……やあ、君か」

 ドアをノックすることさえ忘れて入ってきた男を咎めることもせず、魔女は顔を上げて笑う。

 その体には見たところ、傷の一つもない。だが、その眼差しには今まで見たことのない憔悴しきった陰りがさしている。

「あー、ひょっとして聞いちゃったか……。そのなんだ、詳しい説明をするから、その辺にかけてくれ」

 口調だけはいつも通りのまま、何やら素材を集めて調合している。


「……その、なんだ。私は依頼されれば町へも出向くんだが。町で領主の息子さんに何度か声をかけられて、それを知った息子さんの婚約者が嫉妬したみたいだね・・・事故に見せかけて殺されそうになったんだ」


 飄々とした口調を変えぬまま、魔女は淡々ととんでもないことを語る。


「……しかし、『男を誑かす魔女』呼ばわりされるとは思わなかったなあ・・・。私は殿方を誑かすようなことをした覚えはないし、自分の外見に誇りを持ったことなんかないんだけどね・・・」


 菫色の瞳を陰らせて、寂しそうに魔女は語りながら調合の手を止めない。


「……で、さっき領主から、手紙が来てね。息子の婚約者がしたことへの謝罪と、私に自殺してくれって。……ん?意味が分からないかい?領主の立場を考えれば仕方ないだろう。『息子の婚約者が嫉妬に駆られて魔女を焼き殺そうとしました』なんて広まったら困る事実だろうし。つまり、私はこのまま死んだ方が誰にとっても都合がいいということだ」


 男の顔を見ながら魔女は他人事のように語り続ける。


「自分の外見に誇りはないけど、傷だらけの姿はさすがに恥ずかしくてね、とりあえず、外側だけは修復して苦痛も魔法で遮断したよ。……なるべくきれいな姿のまま迎えたかったから」

 

「未練や後悔がないと言えば嘘になるよ。それでも」

 そう言って、魔女は調合した薬を一息に飲みほした。その薬が毒だと男が気づいた時にはもう遅かった。


「そんな顔しないでおくれ。これは私が決めたことだから。……魔女なんてこんなものだよ、都合がよければ重宝されて、都合が悪くなれば即座に切り捨てられる」


 男に抱えられながらも、魔女は涼やかな声を絶やさない。


「私は誰かを恨んだり憎んだりするのが嫌いでね。でもこのままだと耐えきれずに恨んでしまいそうだから……。それは嫌なんだ」

「……私は、貴女がいなくなることが一番嫌だ」


 男がかすれた声をどうにか紡ぐと、魔女は菫色の瞳を見張る。


「私は君を振り回したわがままで自分勝手な奴だよ?」

 それでもいい、そのわがままに振り回されることさえ楽しいのだから――と男が告げるよりも早く。


「物好きな男だな君は……」

 いつか聞いたセリフをもう一度つぶやいて、魔女は動かなくなった。

 ほっそりした体からぬくもりが途絶えて、青ざめて冷えた骸になっていく。


 悲惨で理不尽な死がいきなり訪れることは戦場では珍しくもなかった。無かったが――まさか戦場から遠ざかってなお、こんなことに遭遇するとは思ってもいなかった。


 その数年後、彼女の自殺を依頼した領主の街に大規模な火事が発生した。少なくない死者が出たが、その中には魔女を殺そうとした領主の息子の婚約者もいたらしい。

 それを聞いて男は歓喜を抱くことはなかったが悼むこともなく、ただそうかと受け入れるだけだった。

 ただ少しだけ安堵したのも事実だった。

 魔女が死んでから、時折喪失感と怒りの入り混じる激情にさいなまれていても立ってもいられず苦しむことも一度や二度ではなかったから。

  時折激情がこみあげてくると、魔女からもらった紫水晶をすがるように握りしめてただ耐えた。

 


 今は時折魔女の森に行き、小屋や畑の手入れをしている。少しでも彼女が作ったものを残すために。

  魔女が自分の心の支えになってくれたように、自分も誰かの心の支えになれるような存在になりたい。

  そのために、今の自分にできることをやっている。そうしながら、これから自分にできることは何か考えよう。そう決めて胸元に手をやる。

 男の掌の中で、菫色の水晶が木漏れ日を受けて悪戯っぽくきらめいて見えた。

 

 













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それでも魔女は毒を飲む 緑月文人 @engetu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ