13. 神様なんていない場所(下)
ユウヒは黒い機械頭を傾けて、私たちを眺めていた。まるで、どうでもいい絵画を値踏みするみたいに。自分とは関係のない、違う世界の廃墟でも見るみたいに。
「カイルが、寮の前でしょんぼりしてたからさ。なにかと思えば、君たちの逢瀬の仲介役でへとへとだって言うんだ。ボランティア仲間には無茶な頼みごとをされるし、寮長にはデバイスを持っていかれそうになったって」
どさり。
クリストファーの手は私から離れ、私を掴んでいたゴツゴツした手は、体は、力なくベンチに座り込んだ。
「心配して来てみたら、まさか君たちの結婚式の立会人になるとはね。昼間だったら、お祝いにパイプオルガンでも弾きたかったよ。愛の誓いにしては、ちょっと手荒すぎると思うけどさ」
ふざけた口調は、平べったい。そのままユウヒは、左側にある白い柱に背中を預けた。黒い頭が左右を見渡す。私の顔と、妙に強張ったクリストファーの顔との間を、見えない視線が行き来する。
「野菊、君、クリストファーに言われたから、僕の様子を探ってたの?」
「ち……。違うよ」
「でも今、クリストファーと僕の話してただろ? 僕の、機械頭の話」
私たちの間で、ユウヒの細長い人差し指が揺れた。どちらが答えてもいいんだろう。答えがあればいいんだろう。出てくる言葉を冷たく眺め、細い指で弾き飛ばす。
「し、してたけど……」
「クリストファーが知りたがってるよ。言っていいよ。僕が君に話したこと」
「……嫌だよ」
「どうして? 僕がかわいそうだから?」
「お前、知ってたんじゃねえか」
クリストファーが、猟犬のようにこちらを睨む。だけどユウヒはなにも言わない。止めに入る様子もない。ただ私たちの様子を眺めてる。
「し……。知ってたけど、でも、私がユウヒのことを知りたかったのは、あ、あなたに報告するためじゃない……。私がユウヒと、もっと仲良くなりたくて、知りたかった、だけで……」
「仲良く? このポンコツ頭と? 人を忘れるポンコツと? 誰も愛せない機械頭と?」
この世界に、神様がいるのかはわからない。私は神様の顔を知らない。ユウヒの顔を、知らないように。
ただ多分、神様はここにはいない。ここには、暖かいものなんてなにもない。
周りを漂うのは、ひんやり冷たい偽物の灯りと、硬く尖ったユウヒの視線。腕を組み、白い柱に身を預けるユウヒ。まるでその場から動けないみたいに。括り付けられてるみたいに。自らそう望むように。
そうして、私たちをじっと見て、じっと見て。
なにもかもを諦めるように、ユウヒの肩は、小さく揺れた。
「……慈愛に満ちた君に、教えてやるよ」
聞いたこともない、氷に似た静かな声。しかしそれは次第に、嵐のような轟音に変わる。
「僕の機械頭は、両親に突き飛ばされたせいさ。僕じゃ兄さんの代わりになれなかった。だから家族は荒れ果てたんだ。暖炉で頭が割れたんだ。頭がおかしくなったのさ。昔のことなんかほとんど覚えてない。12地区にはもう家族はいない。面白いだろ! 君とは大違いさ! ずっとひとりぼっちだ。さあ、これで満足した? ざまぁみろ、おめでとう! 君の嫌いなDJは、ほんとに頭がバグってたのさ!」
声が響く。怒りに震える大声なのに、助けを求めて叫ぶ子どもみたいに。
「僕は君が嫌いじゃなかった! でも、君は僕が嫌いだろ? 気に食わないんだろ? 君は魅力的だよ、野菊が力を貸したくなるのもわかる。クリストファー、君は、僕の兄に少しだけ似てる。ずっとそう思ってた。兄さんのこと、思い出すんだ。楽しい気持ちになれる。
だけど、今は僕だって、君のことが気に食わないよ。嫌いになりたいよ。君がいたら、今までの僕が全部無駄になる。頼むから、邪魔しないでくれ、構わないでくれ。僕の居場所を取らないでくれ、僕らは住む世界が違うんだから!」
「うるせえ黙れ!」
足元に言葉を叩きつけて、クリストファーは拳を握る。大きな体が震えてる。言葉のせいだけじゃないはずだ。体の中から大きく揺れて、その震えは止まらない。
「お前、俺が誰だと思って口きいてんだ? 住む世界が違う? 何度そうやって遠ざければ気が済む? なんで俺じゃなくこいつを信用した? どうしてこいつだったんだ? この女は、誰なんだよ!」
声は部屋を引き裂いた。
「俺は! お前の親友だった男だぞ!」
パリン。
なにかが割れる音が、聞こえたような気がした。高い音がひとつだけ鳴って、それがユウヒの声だったと気づいた頃には。彼は柱に背中を預けたまま、抜け殻のようにそこに立ちすくんでいた。
クリストファーの肩が、力なく揺れる。こぼれ落ちた言葉は、彼の口元をだらしなく流れ落ちていく。
「……見てみろ、野菊。ほんとにこいつ、俺のことなんにも覚えてねえんだ。笑えるよな。こいつの代わりに喧嘩してやったことも、屋根裏部屋で一緒に音楽作ったことも、なんにも……。突然ポンコツ頭になって、いなくなりやがったクセに……」
ぐったりと頭を垂れたクリストファーは、ごつごつした手で頭を抱える。ただ肩が震えて、言葉は溶けたシャーベットみたいに落ちていく。
「……コガネが死んで、ひとりぼっちになったのは、お前だけじゃ無いんだぞ?」
柱に背をつけたまま、ユウヒは崩れ落ちた。冷たい床で足を折り、そのまま、機械頭をこっちに向ける。
「その名前……どこで……」
「いい加減にしろ。お前がコガネからもらった機材の型番だって、……お前の髪が赤かったことだって、俺は知ってる」
溶けたろうそくが、起き上がるみたいに。ユウヒはよろけながら立ち上がると、細長い足をもつれさせて、ドアに向かって歩いていく。
クリストファーは追いかけない。私だって、呼び止めない。ただ、彼がたどり着くのを見送って、重たいドアから、夜の明かりが漏れるのを見た。
「……もう、十分だ。十分だよ」
ドアが閉まる。なんの音も聞こえない。
ブリキのように重たい体は、沈黙を食むように崩れていった。
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