12. 神様なんていない場所(上)

 ごめんね、同じボランティアクラブだっていうだけなのに。カイルは明らかに嫌そうな声色で返事をしたけど、私の頼みを聞いてくれた。

 そのおかげで、今私は、あのクリストファーと通話してる。


『お前、地味子のクセに度胸あるよな』

「な、ないよ」

『だって、俺だぞ? お前が、よく俺なんかに通話するよな。カイル、俺に話しかけただけのクセに、そこでぐったりしてんぞ』

「あ、後で謝るよ」

『で? なんの用だよ。とっとと済ませろ』


 なるべく、クリストファーの顔を思い出さないようにする。膝の上に置いた、熊の形のグミの顔をじっと見て。


「あなたー……」

『おう』

「あ、あなたのこと、友達が、悪いこと企んでるって、疑ってたの」

『はあ?』

 

 怒鳴られる?

 だから私は目をぎゅっと閉じて、手を強く握った。あの人の声を思い出す。大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫。

 さあ、いつでもどうぞ。気が済むまで怒鳴ればいい。


 でも、いつまでたっても、見えない声は割れなかった。


『……もう少し、詳しく話せ』

「え?」

『詳しく話せって言ってんだ』

「えっ、あっ……」

『あー、めんどくせえ。お前、今どこにいる?』

「りょ、寮」

『あと10分したらー……』


 少しだけ間を開けて、クリストファーは「ああ」と思い出したように続けた。


『学内の教会に来い』

「きょ、教会?」

『俺と一緒にいるところ、見られたくねえんだろ? 俺だって、地味子とツーショットなんて見られたくねぇ』

「あ、う、うん。わかった」

『お前、1人で来いよ。俺も1人で行く』

『クリストファー、デバイス返してよ!』


 ぶつり。

 通話は切れる。


 教会……。そういえば、そんな場所あったなあ。ゴスペルクラブの練習場所っていう印象しかない。

 念のため、敷地内の地図を見る。寮があって、学校の校舎があって、その向こう側。敷地内にぽつんとある、古ぼけた白い煉瓦造りの建物。


 時計を見る。それから、ふと思う。


「護身術、習っておけばよかったかな……」




 校庭を横切って、校舎の群れを横目に見て、教会に向かった。クリストファーが言った通り、近づくにつれて人気ひとけがなくなる。

 夕日を浴びた教会の肌は、煉瓦の凹凸の影を伸ばしながら、なにか言いたそうに赤く染まってた。


 こげ茶色の木で出来たドアを引く。重々しいドアが開けば、真っ赤な絨毯の一本道の向こうで私を出迎えたのは、大きなパイプオルガン。それを正面にして、見守るように並ぶたくさんの長いベンチ。ドアと同じ色をしてる。

 外から見た印象より、天井は高いみたい。均等に並ぶ柱は、左右対称に立っている。ステンドガラスが燃えてる。夕日が照らすせい。

 色の光が室内に線を引き、その先に彼が立っていた。クリストファー。


「よお」

「う、うん……」


 なんの疑いもなく、真ん中の一本道の先にいる。天井まで届きそうなくらい大きなパイプオルガンでさえ、彼の背景でしかない。デニムのポケットに手を入れて、クリストファーはじっとこっちを見てる。

 彼は、私とは違う世界の人。相手が誰でも気にせずに、じっと目を見て話せる人。その場の空気を自分のものに出来る人。

 どうして今、私と一緒にいるんだろう。少し埃っぽい、ひんやりした空気を吸う度に、頭がぎしぎしと音を立てる。


「まあ、座れよ」


 クリストファーは、一番前のベンチに腰かけた。……よく見たら、ベンチの背もたれに座って、後ろの席に足を置いてる。こっちを見てる。だから私は、自分のすぐ近くの席に座った。もちろん私は、ちゃんと座席に。

 その距離感に彼は苦笑いを浮かべて、両方の手のひらを上げた。


「で? さっきの話の続きは? お前のご学友が、俺をお疑いになってるとか?」

「え、あ、うん……」


 そうやって言えば、クリストファーが気にすると思った。私が聞きたいことを、話してくれると思った。でも、まさか呼び出されるなんて、直接話せって言われるなんて。


「俺が、なにを企んでんだよ」

「……ユウヒを、クビにするって」

「はあ?」


 声が響く。まるで教会が楽器になったみたいに。空気が震えて、私のところまでびりびりと響く。


「お前ら、なにをどう考えて、そうなったんだよ」

「……あの、あなたとユウヒって、同じ地区出身、なんでしょ?」


 凛々しい眉毛を、ピクリと上げる。たったそれだけで、埃まで動きを止めてしまう。赤と青と黄色に燃える光が、クリストファーの背中で輝き続ける。


「それ、それで、私とユウヒが仲良くなるのが早すぎるって話をしてたから、もしかしてあなたたちが裏で繋がってて、私を嵌めようとしてるんじゃないかって、話に、なったんだけど」

「それで?」

「……あなたたちが、そんなことする理由がないし。……ユウヒも、あなたとは仲良くないって言ってたから。きっとー……」

「きっと?」

「きっと、私とユウヒが仲良くなったのを見て、元々ユウヒを嫌いだったあなたが、私を使って嫌がらせ……。例えば、クラブ・ジャックのDJをやめさせるとか、そういう、こと……」


 夕焼けが遠ざかる。それに応えるように、周りに置かれたろうそくに、青白い明かりがぼんやりと灯る。ぴたりと止まる青白さは、炎というよりも月明かりに似てた。天井に大きなシャンデリアがあったのは、この時になって気が付いた。


「お前、それ信じてここに来たのか? 俺を止めようと? 度胸あるな。俺とタイマンで喧嘩なんて、フットボール部でもやらねえぞ」

「ち、違うの、そうじゃないの。信じてないの」

「は?」

「私は、あなたのことが怖いけど、あなたが悪い人には、思えないの」


 シャンデリアの冷たい明かりが、私たちの真ん中あたりに落ちている。それはクリストファーの影をどこかへ落とし、私の影もどこかへ落とす。彼の姿はよく見える。光はいつも、彼のそばを照らしてる。


「あ、あなたが、みんなに誤解されるのが嫌だったの。だから、確かめたくて来たの。それだけ、それだけなの」

「お前、あいつが機械頭になった理由、知ってるか?」

「え?」

「知ってるかって、聞いてんだよ」


 知ってる。でも、そう言えなかった。

 クリストファーが急に立ち上がる。真ん中の燃えるように赤い通路を通って、ろうそくの光の中、私に近づいてくる。

 怖い。息が出来ない。

 ぐんぐん距離が近づいて、私が動くよりもずっと早く、クリストファーは私の横で立ち止まった。


 怒号がした。

 言葉が回る。

 ただひたすらに回る。


 近くで声が響く。

 胸ぐらを掴まれる。

 体を引き上げられたまま。私はその場に立っている。


 大声が響く。

 よく聞こえない。

 なにを言ってるんだろう。


 あの人の声がしない。

 大丈夫。

 大丈夫?

 私は1人なのに?

 もうずっと前から1人なのに?

 1人なのに?


「言えよ! なんであいつは機械頭になった? なんで俺は知らねえんだ! ユウヒになにがあったんだ、なんであいつは機械頭になったんだよ!」


 体を揺さぶられる。前はなんにも見えない。

 整った顔があるはずなのに。

 顔なんてなければよかったのに。

 私はあの人の顔を知らないのに。


「君たち、仲が良いんだね」


 声がした。

 あの人の声ではない、声が。



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