Tue., Oct. 31

23.ささやかな仮装

「野菊、平気?」

「平気だよ、耳栓してるし」


 ハロウィンのクラブ・ジャックは大賑わい。ダンスフロアは人と音楽で溢れ返って、魔女も海賊も、妖精も悪魔もヒーローも、一緒になって踊ってる。


 狭い視界にメイリがにょきっと顔を出す。頭に輪っかをつけた、ふわふわの天使。


「音以外もだよ。平気?」

「うん。大丈夫」


 メイリが言いたいことはわかる。私はホログラムの仮装の中から、機械頭を探してる。そんな自分に気づいて、急いで天使の輪っかに視線を移した。


「それ、ちゃんと動くんだ」

「そうー。昨日、頑張ってホロ調整したの」


 言う通り、メイリが頭を振ればホログラムの輪っかも一緒になって着いてくる。


「っていうかさ、野菊のそれ、やっぱりやだよ」

「なんで?」

「なんにも見えないじゃん」

「私からは見えるよ? お化けだぞー」

「もー!」


 私の仮装は、白いシーツのお化け。ホログラムで作ったシーツを頭からかぶって、ちゃんと目だけが出るように調整してある。視界は悪いけど、その分、ここだけは私の個室みたいで、ちょっぴり安心。


「あれ? ビアンカは?」

「クララのところにいる」


 天使が指差すから、お化けはその方向を見る。ダンスホールの隅っこで、サンタクロースとエキゾチックなお姫様が話してる。


「ねー、なんでクララ、サンタなの」

「クララのことは、いつもわかんないよ」


 真っ赤なサンタクロースと、裾の長い真っ青なドレスのお姫様。露出度が高いわけでもないのに、ビアンカはやっぱり目を引く。でも、隣のサンタクロースが鉄壁の守りだから、男の子たちは声をかけにくいみたい。


「うちらもあっち行こうよ」

「うん。じゃあ、私コーラ貰ってくるね」



 人の波をかき分けて、のろのろとバーカウンターまで進む。シンイーに話しかけたら、誰かわかってもらえなかった。そうだった、お化けのまんまだった。急いでホログラムを消したら、シンイーは満面の笑みで迎えてくれた。


「野菊、久しぶり! 元気にしてんの?」


 シンイーはカウンターから出て、私にハグをしてくれる。魔女の帽子のつばが頭に当たって、ちょっと痛い。そっか、これは本物の帽子。


「小僧のこと、聞いたよ。災難だったけど、また来てくれて嬉しいよ」

「私も会えて嬉しいです。クララ、アルバイト頑張ってますか」

「頼もしい限りさ。クララからアンタの様子は聞いてたけど、会えるのはやっぱり格別だね。コーラでいい? ドリンクコインはいいよ、これはサービス」

「あ、ありがとうございます」


 シンイーはこっちにウインクを飛ばしてから、バーテンダーにコーラを頼んでくれた。

 音の波が押し寄せる。この感覚は久しぶり。なんだか、ここに来たのがずっと昔のことみたい。


「小僧、今日の出番はだいぶ後でね。裏にいた気がするよ、呼ぼうか」

「あ、いいんです。会いに来たわけじゃないし」


 私が急いで手を左右に振れば、シンイーは目元に少しだけ寂しげな色を浮かべた。私とユウヒがもう友達じゃないって、気づいちゃったから。


「アタシは出番あるから、そろそろ行くよ。今日は好きなだけ踊って行きな」


 シンイーと話したらほっとして、急に体中の力が抜けた。自分が思ってたより、気を張ってたみたい。思わず、カウンターの席に座って息をつく。コーラ飲もう。


 カップの中ではしゃぐ炭酸が、ぱちぱち鼻をくすぐって来るのが、心地いい。

 口の周りで炭酸が踊る。音楽に乗ってるみたいに、ひたすらに。


 耳栓越しに響く、高音が、低音が、高音が。

 低音が、低音が、低音が。


 誰もがみんな踊ってる。ダンスフロアは、ごちゃごちゃに混ざり合ったおもちゃ箱みたいに溢れ返る。

 なにが出てくるかわからない、浮き足立ったソワソワに。なにか起きるかもしれないっていうその気配に、誰もがみんな、期待して。


 そっか。私たちは今も、びっくり箱の中にいるんだ。


 あの日もこうやって、次になにが起こるのかわからないびっくり箱の中で、私はぼんやりしてた。

 蓋が開くのを待ってた。誰かが、蓋を開けてくれるのを。


「君、暇なの?」


 そう。こんな風に、男の子の声がして。私の人生は、でんぐり返しをするように変わった。


 視界に、ひらひら揺れる手が入って来る。


「もしかして、聞こえてない?」


 炭酸の泡が弾けるみたいに顔を上げる。声がする方を振り返る。手元のコーラが溢れちゃいそうな勢いで。


 なんにも聞こえなくなる。

 音楽が止まったみたいに、なんにも。


 声をかけてきたのは、顔のない男の子だった。黒くて、光沢のない円筒型の機械頭。


「ユ……ユウヒ?」


 黒い革のジャケットと黒のインナー。首からは、ほんの少しだけ肌が見える。その手がひらひら揺れた後、彼は、細い人差し指を立てた。


「ああ、これか」


 指先が腕時計に触れると、それはあっさり消えちゃった。ホログラムで出来た機械頭がなくなれば、そこにいるのは、色白の男の子。


 真ん中でふんわり分かれた短い髪は、照明が当たると夕焼けみたいに赤く光る。その毛先が、彼の緑色をした瞳の前で揺れる度。彼は、薄いまぶたで邪魔そうに2回瞬きして、苦笑いを浮かべた。


「前髪って邪魔だよね。まだ慣れないや」


 さっぱりした顔の中で、少し印象的なぷっくりした唇。それを尖らせながら言った後で、彼は明るい声と無愛想な顔で、両手をぱっと広げた。


「僕のこと知ってるの?」

「あ、う、うん」

「ごめん、頭新しくしたばっかりでさ。まだ、色々思い出すのが下手なんだ」


 思い出すのが上手になっても、彼が私を思い出すことなんてないのに。でも、それは口に出さないでおく。


「君、仮装はしてないの?」

「し、してる」

「なにに?」


 言われるのとほぼ同時にホログラムを起動させる。私を覆う、白シーツのお化け。視界が狭くなって周りが暗くなっても、向こうにいる彼に顔があるのは変わらない。


 彼は肩をすくめてから、掴めないシーツを払うように手を何度か振った。


「顔が見えないのは嫌だな。僕もホロ外すから、君も取ってよ」

「あ、う、うん……」


 また世界が明るくなる。彼はなぜか何度かうなづいて、満足そうだった。

 それから、彼は思い出したように自分の手のひらをじっと見る。顔よりおしゃべりなそれに、呆れてるみたいに。


「これも癖でさ。今は、手より顔を動かして話す練習中なんだ。気持ち悪い? そんなことないよな。顔がない方が、気持ち悪かったよね」

「そんなことない!」


 思わず声を上げると、彼は目を丸くして首をかしげた。曇り空みたいな緑色の瞳が、こっちを見てる。その中に、私の間抜けな顔が映ってた。


「まさか、前の機械頭の方が良かった?」


 目を逸らす。目の端に見える肘の動きから、多分彼は、自分のほっぺたを引っ張ってるんだと思う。

 確かに、言ってることと顔の動きは時々ちぐはぐ。きっとそれを気にしてるんだろうけど、私が彼の顔を見られない理由は、そうじゃない。


 でも、声だけ聞けば変わらない。首から下もそう。黒いボトム、そして、黒いスニーカー。真っ黒な格好の彼。クラブ・ジャックでDJをやる時の彼。なんにも変わらない。

 ただ、もう私のことを覚えてないだけ。


「僕は、ユウヒ。君はええと」

「の、野菊……」

「ああ! 野菊か」


 彼はまた人差し指を上げて、それから続けた。私の心を、無意識に爪で引っ掻くみたいに。


「クララの友達だろ? あの子、あんまり話したことないけど、君の名前はよく聞くよ」

「あ……。そういう意味ね」


 もちろん、彼は私を、今までみたいには覚えてなかった。なにも気にせず、少しだけこっちに顔を傾けて聞いてくる。


「じゃあさ、野菊。僕の質問に答えてくれるかな」

「え?」

「暇なの?」


 なにを答えたらいいのかわからない。メイリたちのところに行かなきゃいけない。彼と話すのは辛い。だって、私とのことを覚えてない。、私を覚えてない。

 彼の視線を感じるけど、私はそれを避けて下ばっかり向いてる。メイリに怒られる。靴と踊ってるんじゃないって、怒られる。


「……うん」

「やった。じゃあ、僕と踊ろうよ。君のこと見つけた時から、一緒に踊りたかったんだ」

「え?」


 まるで、約束でもしてたみたいに。彼は私の手を取った。でも、その先にある緑色の瞳と視線が交わった時。

 私の手は針金みたいに強張って、彼から手を離してしまう。黒いスニーカーのつま先が、こっちを向いたままじっとしてる。


「もしかして、君、僕のこと嫌いだった?」

「そ、そんなことないよ。嫌ってたのは、あ、あなたの方だよ……」

「嘘言うなって。嫌いな人を、ダンスになんて誘わないさ。むしろ」


 思わず顔を上げる。そこには顔がある。薄い瞼は瞬きして、眩しい光でも見すぎたみたいに首を傾げる。自分の口から漏れた言葉を、不思議そうに眺めてる。

 でも、すぐに調子を取り戻すと、彼は自分の顔の周りで、くるくると指を回した。


「まあ、嫌われてなきゃそれでいいや。君のそれは、癖だと思っていい?」

「そ、それって?」

「話す時に人の顔を見ない、それ。この顔になったら、人とよく目が合うようになったと思ってたんだけどさ」

「ご、ごめん……。あ、あんまり男の子と話すのー……。得意じゃなくて」

「ああ、なるほど」


 彼は自分の前髪をかき分けると、ふう、と息をついてからカウンターにジンジャエールを頼んだ。


「じゃあ、僕も隣でなにか飲んでいい?」

「あ、う、うん……」


 2人で、カウンターに並んで座る。背中をカウンターに預けて、ダンスホールを眺めながら。メイリとビアンカは、クララの近くで踊ってる。



 ジンジャエールが届く。彼は革のジャケットのポケットから、ドリンクコインを取り出して自分の手元に置いた。

 それからすぐ、いきなり声を上げた。


「うわーっ! 最悪だ!」


 急いでボトムのポケットに隠すけど、私にだって見えてた。正方形のあの平べったいパック。授業で見たことある。


 これって……。コンドームだよね……。

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