5. 踊れジャック

 クラブ・ジャックは大賑わいで、私たちが着いた頃にはもう、ダンスフロアは音でいっぱいだった。音楽が建物から飛び出して、街中を飛び回ってもおかしくないくらい。

 地面が揺れてるのは、音のせい? それとも、ダンスのせい?


 照明がまぶしく点滅して、フロアはまた熱を帯びる。体育館とはわけが違う。

 だって、一段上がったステージの周りにいくつも見えるスピーカー、びっくりするぐらい大きい。メイリだったら、中に入って昼寝くらいは出来そう。


 ブラックライトの中、踊る誰かの蛍光ネイルが浮かび上がる。ミラーボールみたいなジャケットを着た誰かの服が輝く。ホログラムの光が散ったかと思えば、人の形になって踊り出す。


 ユウヒが言っていた一番頼れるレディは、バーカウンターの中にいる、シンイーという女の人だった。多分、私たちより10歳くらい年上で、冷めてるわけじゃないのに落ち着きがある。音の波を上手に進む、サーファーみたい。

 カウンター越しに、ショートヘアに似合う小さな顔が笑った。


「ユウヒから話は聞いてんよ。どこのガキ連れてくんだろうと思ったら、お嬢さん4人なんて珍しいね」


 そんな風に言って、シンイーは全員にコーラをおまけしてくれた。すると、その場でクララはコーラを飲み干して、すぐにトニックウォーターを注文する。私たちもシンイーも、さすがに驚いて目を丸くしてしまう。


「いい飲みっぷりだね。その調子で、楽しんどいでよ。ちょうどほら、あの小僧の出番だ」


 ハイスクールのパーティーとは違って、ここには色んな人がいる。私たちくらいの年齢の人もいれば、もっと年上の人もいる。背の高い人、低い人。お洒落な人、ちょっとぼさっとしてる人。よく見たら、片腕が機械で、それを蛍光塗料で光らせてる人もいた。

 その向こう、何人かが立っているステージの上に、黒い機械頭が見えた。音は鳴り止まないけれど、拍手が湧き、彼のことを呼ぶ男の人の声もする。

 その様子を眺めながら、メイリがいつもより声を大きくして言った。


「すごいねー。まあまあ人気なのかなあ」

「そうみたいだね」

「ね、も少し近く行こうよ!」


 ユウヒは、黒いインナーに黒い革のジャケットを羽織っているみたい。首と手元から除く肌がなかったら、すぐに見失ってしまいそう。ユウヒがフロアに向かって大きく手を挙げれば、彼の時間が始まった。



 最初は、淡々としてるのかと思った。ボイスチェンジャーで、機械みたいになった声。それとギターの音が重なって、機械のドラムがリズムを刻んで、音楽は走り出す。パチンコ玉みたいに弾けて、飛んだら戻れない。

 気づいたら、フロアの全員が飛び跳ねてた。私も、メイリも。ビアンカとクララも。体を揺らして、隣の人と肩が触れ合うのも気にしないで。光と暗闇の境目を、音が突き刺すように駆け抜けていく。


 機械の声は、何かを言っている。踊りながら耳を澄ませる。文法はめちゃくちゃ、単語の羅列みたいな言葉は、多分、こんなことを歌ってる。


『噂に聞いたことがある

 川、猫、鳥より身勝手で

 レモン、コーヒー、マスタードより刺激的で

 ギロチン、電気椅子、鉄の処女より苦しくて

 クッキー、蜂蜜、チョコレートより甘くて

 ポップス、メタル、クラシックより泣けて

 煙草、大麻、アルコールより手放せない

 そういうものが、あるって聞いたよ』


 音は波になって私たちを揺らして、粒になってくすぐって、鞭に変わって煽ってくる。図々しく心臓を掴んで、もっと欲しいと叫び出す音楽。


 単語を叫びながら踊る人の群れ。お馴染みの曲なのか、音が減って溜めに入れば、リズムに合わせて手拍子が始まる。全部弾けた瞬間は、びっくり箱の蓋が開いたみたい。誰かの上着が飛んでいく。

 ユウヒが大きく手拍子する。フロアもつられて手を叩く。音がどこから聞こえてるかなんて知らない。誰が鳴らしてるのかも気にしない。音楽が私たちを躍らせる。何曲も、何曲も、音楽は絡みついてくる。


 最後の音が鳴った時、フロアは今夜一番の歓声で包まれた。その中心にいるのは、ユウヒのようでそうじゃない。目に見えないけど、確かにここに音楽があった。だからみんな声を上げる。

 次の音楽を早く、もっと早く、もっと欲しい!



 歓声に見送られて、ユウヒはステージの隅の方に回る。次のDJが真ん中に立って、また音楽が始まる。私はそれを眺めながら、メイリと一緒にバーカウンターへ戻った。2人とも、喉が渇いてるのは同じみたい。


「お嬢さんたちお帰り。小僧はどうだった?」

「楽しかったー!」

「そりゃよかったね」


 メイリの返事に、シンイーも満足そう。コーラを受け取って、私たちはカウンターの席に座った。どれだけ踊っていたのかはわからないけど、足がじわじわする。飛び跳ねすぎたのかな。

 ビアンカとクララもやって来て、クララは2杯目のトニックウォーターを頼んだ。メイリは、ビアンカのミントサイダーからミントの葉っぱを分けてもらってかじってる。苦くないの?


「2日連続でダンスなんて、痩せちゃいそー」

「コーラで帳消しじゃない?」

「でもコーラ断ちは無理じゃん」

「そうだね」


 するとその時、ダンスフロアで悲鳴が上がった。シンイーが、呆れたようにカウンターから大声で言う。


「アンタたち、やめときな!」


 さっと人混みが割れる。その向こうで、取っ組み合いの喧嘩が始まっていた。よくあることみたいで、みんな喧嘩を遠巻きに眺めてる。


 知らない男の人の、怒号が聞こえる。耳栓越しでも、そのせいで自分の体が強張るのが分かった。誰にも気づかれないように、自分の手をぐっと握る。大丈夫、大丈夫。


「ああもう、めんどうだねえ」


 シンイーがぶつぶつ言いながら、カウンターを出ていこうとする。すると、ビアンカの隣で声がした。


「あたし、行ってくる」

「はあ?」


 シンイーも、そして私たちもびっくりした。だって、その言葉を最後に、トニックウォーターをカウンターに置いて歩き始めたのは、クララだったから。

 なんだっけ、こういうの。海が割れて、道が出来て、その真ん中を歩いていく。それときっと似てる。背が高いクララが歩いていくと、人混みがさらに割れる。


 2人の男の人が、お互いの胸ぐらを掴んで睨みを利かせてる。その脇にクララが立つと、2人はクララをぎろりと見て、よく聞こえないけど文句を言った。ろれつが回ってないから、酔っぱらいなんだろうけど。


 そしたら。次の瞬間。


 バタン!


 床を叩きつける音がした。気づくと、人が倒れてた。取っ組み合いをしてたうちの1人。彼は真っ赤な顔をして、床からクララを見上げてる。クララが片腕を掴んでるから、きっと、あの人をねじ伏せたのは、クララだと思うけど……。あっという間でなにも見えなかった……。

 時間が止まったように、倒れた男の人も喧嘩相手も、クララのことをじっと見る。

 じっと見て、じっと見て、じっと見て。


「なんだこの女! 強え!」


 叫びながら、足をもつれさせながら、2人は出口に向かって走っていく。それを追いかけようとしたクララに、カウンターの中からシンイーが言った。


「いいよ、追いかけなくて。タグ付けたし、後は門番に任せときな」


 クララはうなづいて戻ってくると、残りのトニックウォーターを飲み干した。私たちは呆気に取られたままだったけど、また音楽が鳴り始めたから、時間が進む。人混みはまた混じり合い、音に合わせてみんな体を揺らす。

 それでも、何人かがカウンターにやってきて、クララにドリンクやスナックをご馳走すると言ってきかなかった。もちろん、私たちもちゃっかりそれに便乗した。

 シンイーは上機嫌だ。


「アンタ、強いなあ! ボクシングでもやってた? 名前は?」

「やってたのはカラテで、あたしはクララです」

「カラテねえ。今もやってんの?」

「やってないです」

「ふうん。怪我でもした?」

「肺を手術したら、ハードな練習が出来なくなって」

「ああ、そういうこと。とりあえず、これアタシからのお礼。みんなで食べな」


 カウンターに置かれたのは、チーズとナッツの盛り合わせ。クララは真っ先に黄色いチーズを指でつまみ上げた。私はナッツをもらう。

 シンイーは、クララに興味津々みたい。


「それで、クララ。なんで喧嘩止めに入った?」

「あたしなら、止められると思ったので」

「なんで?」

「素人だと思ったから」

「見ればわかるっての?」

「時々、教室の手伝いで子どもに教えるので。それと同じで」


 こんな風に、クララが初対面の人と話してるなんて珍しい! 私たち3人は、チーズとナッツを食べながらクララを見る。なんだか、クララも嬉しそう。“強いんだね”って言われたの、嬉しかったのかな。


「素人なら勝てると思ったってワケ?」

「そうじゃなくて……」


 クララはトニックウォーターを飲むと、急にハッとなにかに気づいたように目を大きくした。もしかして、シンイーと初対面だって思い出した?

 いきなり、もごもごと小声になりながら、それでもクララははっきり答えた。


「素人同士が喧嘩したら、大したことしなくても怪我するでしょう。周りの人に怪我させるかもしれないし。……そういうの、好きじゃない」


 そんなこと考えてたなんて、多分今まで、聞いたことなかった。

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