5.俺のコミュ力を体感せよ
「おはようございます」
「おはようございます。今日も元気っすね」
にっこりと笑う川相さんと毎朝挨拶をするようになって久しい。
「寝不足ですか?」
「え、なんかやつれてる? しっかり寝てるつもりなんだけど」
「いえ、やつれてるっていうか、単純に最近クマが出てるなぁって思いまして」
川相さんは自分の目の下をなぞってみせた。
「最近人の配信を聞くのが楽しくてちょっと夜更かししてるかも」
「YouTubeとかですか? ついつい見ちゃいますよね」
「今は色んな配信アプリがあるからね。素人の配信でも結構面白かったりするんだよね」
「そうなんですね。なんか、意外です。鈴木さんってそういうの、好きじゃなさそうなイメージがありました」
「そう? 川相さんもやってみたら。顔出ししなくていいのとかもあるし、人気になるかもよ」
「詳しいんですね~。その時は相談しますね!」
そう言って川相さんはデスクに戻っていった。
その背中を見ながら、ちょろいなと思う自分がいた。今まではセクハラに怯え、あらぬ疑いをかけられないように、プライベートな話なんてしなかった。それがFORKのおかげか、話すことに抵抗感がなくなっている。
良い変化だ。
「よし、やるか」
机に積まれた書類に向かった。
―――――
「お先に失礼します」
むすっとした感情が、声にも態度にもきっと出ていたことだろう。
「んだよ、俺がいないとなんにもできないくせに、文句ばっかり言ってきやがって」
自然と不満が口に出ていた。
今日は散々だった。いつもなら見過ごされるささいなミスにいちいち小言を言われ、イラ立ちで他の仕事がなかなか進まなかった。
俺をなんだと思ってやがる。あいつなんか、嫁の尻に敷かれて家に居場所がないからって俺に八つ当たりしやがって。永遠の愛を誓った女からも見放された、情けない中年だ。
俺は違う。俺の配信を心待ちにしている女が何人もいる。女だけじゃない。俺は多くの人間に愛され、またそういうあいつらを俺も愛している。
「いらっしゃいませ!」
いつの間にかいつものコンビニに入店していたようだ。無意識下でも来ることができるぐらい、俺の足が覚えている場所。
レジの向こうでは戸井田さんが、今日もテキパキと仕事をしていた。その姿を視界に入れつつ、適当なものを手に取りレジへ向かう。
特にこれといって進展があった訳じゃないが、名前を知ったというのは気持ち的に大きな変化だった。「コンビニの店員」よりは「戸井田さん」という呼び方の方が、親近感も湧く。
順番を待つ間、彼女の表情を眺めた。アルバイトだとは思うが毎日同じ笑顔を絶やさず、こうして客と対峙しているのは格好いいなと思った。
「最近蒸しますね。もう夏がすぐそこだと感じますね」
彼女に商品を、あの赤い光を発する機械で読み取ってもらいながら、なんとはなしに話しかけていた。
はっとして彼女を見ると、少し戸惑っているような顔をしながら曖昧に微笑んでいた。
やってしまった。FORKのつもりで、距離感も考えずに話しかけてしまった。
「あ、その、いつもこのコンビニで見かけていたので、つい…。すみません」
1084円ですと言った後に、彼女は言葉を続けた。
「いつも来ていただいてありがとうございます」
財布から顔を上げると、はにかんだような彼女の笑顔があった。初めて見る、プライベートな表情だった。
何も言えなくなってしまって、俺は頭を下げてコンビニを後にした。
誰が大手で話すことに慣れたって? 途端に込み上げてきた恥ずかしさで、尻尾をまいて逃げた自分に聞いた。せっかく仲良くなれるチャンスだったのに、自分から話しかけたくせに、何も言わずに逃げ帰るとは。
「でも、可愛かった…」
それまで聞いていたコンビニのセリフ以外を初めて聞けた。
俺は浮かれて配信画面を開いた。
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