【26】 トゥルゴヴィシュテ キンディア塔

 王宮跡を抜けて、キンディア塔の前に立つ。短い円柱状の塔の姿はトゥルゴヴィシュテのシンボルになっている。見張り台として建てられたが、宝物庫としても利用されていた。現在の高さは27メートル、直径は9メートルで19世紀に復元された姿だ。ドラキュラ公の治世当時はもう少し低かったのだとエリックが説明してくれた。


「中は小さな博物館になっていますよ」

 エリックの案内で塔の中を見学する。中央に狭い螺旋階段があり、壁にはドラキュラ公の伝説を解説するパネルが展示されている。資料には串刺しの場面を見ながら食事をするドラキュラ公の有名な版画もあった。


「ドラキュラ公は串刺し刑を多用しましたが、彼が考案したものではなく、中央アジアで昔から行われてきた原始的な刑罰でした。トルコで捕虜になっていた時期に彼はその現場を目にしたのでしょう、それ以来串刺し公と恐れられるほどに彼はこの処刑法を用いるようになったと言われています」

「ドラキュラ公はこの串刺し刑が人の心に与える恐怖を利用したというわけね」

「そうです。彼を貶める外国のプロパガンダでこのような醜悪な版画が作られたようですね。串刺し公という恐ろしい名前が一人歩きしてしまったのでしょう」


 螺旋階段を上りきると、外へ続くドアがあった。塔の屋上に出られるようだ。

「アキ、眺めが良いですよ」

 エリックとシュテファンはドアにしがみつく亜希に手招きする。塔の屋上は低い柵があるだけで、それもバランスを崩せば容易く落下できるだろう。高所恐怖症のきらいがある亜希には柵の近くまでも行くことができなかった。足元がぞわぞわして動悸がするのだ。


「アキ、怖いの?」

 シュテファンがアキの手を引いてくれようとするが、亜希は丁重に断った。よほど身を乗り出さねば落ちたりはしないと分かっていても、足がすくんで動けないのだ。屋上からの眺めが見られなかった亜希に、シュテファンが螺旋階段の途中に穿たれた窓から王宮跡が見渡せると教えてくれた。

「わあ、ここから覗くのもちょっと怖い」

「アキは高いところが苦手なんだねえ」


 小さな窓からは王宮の全貌が見渡せた。案外狭く見えるが廃墟となり土台しか残っていない教会などを含めてかつては大きな宮殿だったのだろう。黄昏の空に映える宮殿の廃墟に心なしか寂寞感を覚えた。物思いに浸った後、しっかりと手すりを握りしめて螺旋階段を降りた。

 王宮の東側には公園が広がっている。廃墟の壁沿いを歩きながら公園を眺めていて、亜希はふと思いついた。

「森の中の泉の杯がヒントにならないかな?」

「時間もあるし、下見に行ってみましょうか」


 王宮跡は夕方5時間までの営業なので、一度外に出て公園にやってきた。公園はキンディアパークと名付けられており、遊歩道が整備され市民の憩いの場になっている。美しい湖には対岸の並木が水面に移り、まるで絵画のような風景を見せてくれる。かつては森だった場所なのかもしれない。

「大きな木の根元に金色の杯が埋まっていたわ」

 亜希の言葉にエリックとシュテファンは周囲を見渡す。大きな木は公園内にたくさんある。森の中の木という情報しかなければ見つけようもない。


「アキ、あの木は他のより大きいよ」

 シュテファンが大きな木の側に駆け寄る。亜希には他の木と同じに見える。

「こういう木の根のところに埋まっていたんだよね?」

 大木がしっかりと地面に根を張っている。亜希も近づいて一応根元を見てみるが、金色に光る聖杯など見つからなかった。


「他の手がかりと言えば、泉の水飲み場の大理石がうち捨てられていたんだけど・・・さすがにここまで公園が整備されているなら片付けられているよね」

「そうだね、公園にするときには木も間引いているだろうね」

「やっぱり本を月の光で読んで、夜に来るパターン?」

 シュテファンがエリックの顔を覗き込む。

「メフメトがここに居たってことはラドゥも来てるよね」

 また本と水晶、ついでに亜希の奪い合いになる。エリックは頭を抱えた。


 探す手立ても、ラドゥの対策も良い案が想いつかないままホテルへ向かった。部屋に荷物を置いたら夕方18時をまわっている。このままレストランへ食事に行くことにした。ホテルから徒歩5分ほどでエリックが探したレストランがあった。ダウンライトの店内にお客の数はまばらだ。


 フレッシュサラダに野菜スープ、パプリカーシュチルケ、デザートにシュテファンにシェアの約束を取り付けてクレープを追加で注文した。

「パプリカーシュチルケはハンガリー料理です。鳥肉にパプリカパウダーを入れてサワークリームで煮込みます。美味しいですよ」

 エリックの説明にお腹がぐうと鳴った。すぐにドリンクが運ばれてきた。亜希はいつものレモネードだ。強い酸味が疲れた身体に染みる。豆や根菜がたっぷり入った野菜スープはどの店で食べても美味しい。パプリカーシュチルケはクリームでしっかり煮込まれた鳥肉はほろほろに崩れ、よく味が染みていた。


「では、読書に行きましょうか」

 店を出て、ホテルの近くの教会にやってきた。夜のジョギングや散歩を楽しむ市民がいる。教会のある広場にはミルチャ老公の銅像が建っていた。脇にある大理石の椅子に3人並んで腰掛ける。エリックが片目のレンズを取り出した。今日も月は天空に輝いている。亜希は龍の紋章の本を取り出し、シュテファンに手渡した。本のトゥルゴヴィシュテの王宮の章を開く。そこには昼間にみた廃墟とは似つかない美しい宮殿の絵が描かれていた。庭に花が咲き乱れ、立派な円柱が並ぶ豪華な宮殿だ。


「ある日、ドラキュラ公は宮殿に入り込んだ泥棒を捕まえました。しかし、彼はその泥棒を逃がしてしまいます」

 シュテファンが文字を解読している間、エリックが小話を教えてくれた。

「罪人に厳しいドラキュラ公はなぜ泥棒を逃がしたの?」

「彼は、泥棒を宮殿に入り込ませたことで警備についていた者を処刑しました。警備を怠ったという罪でね」

「警備員はとんだ災難ね」

「彼なりの道義があるのでしょう」

 言われたらそうかもしれないが、上司にするのは怖い人物だと亜希は思った。


「王の慈悲により与えられし光の聖杯 その中に我はいる」

 シュテファンはエリックと亜希の顔を見比べた。3人とも沈黙する。

「やっぱり聖杯を探さないといけないのよね」

「それがどこにあるのか書いてない?」

 エリックの問いにシュテファンは首を振る。

「アキの夢にみた聖杯で間違いないと思うけど、500年以上前の泉の跡なんてもう無いだろうし、夕方に行った公園の木を1本ずつ当たる?」

「木の根元を全部掘り返すわけにはいかないよね」

 3人は眉根を寄せて唸った。


「シュテファン、光の聖杯と言ったよね」

 亜希がシュテファンの言葉を反芻して、何かを思いついたようだ。

「そう」

「金の聖杯ではなくて、光の聖杯」

「これまでも月の光が道を示してきた」

 エリックが片目のレンズを見つめる。

「キンディアパークに行ってみましょう」


 ホテルから車を出して公園へ向かった。鉄柵に鍵がかかっていたが、遊歩道から植え込みをかき分けて敷地内に入ることができた。誰も居ない公園は月の光で照らされて幻想的だった。

「誰もいない、ちょっと不気味ね」

「鍵がかかっていたからね」

「エリック、ラドゥたちが襲ってきたらどうするの?」

「それなんだよね・・・」

 エリックに特別な策は無いようだった。

「あの水晶を持ってるの?」

 亜希はエリックに尋ねた。

「一応、大事なものだから身につけています」

「エリック、ちょっと貸してくれる?」

 エリックはバッグから水晶の入った黒いサテンの巾着を取り出した。その中に二つまとめて入れてある、とシュテファンに手渡す。


「何をするつもり?」

 シュテファンは水晶を握りしめ、目を閉じた。何か念じているようだが、何も起きない。眉根を寄せて厳しい表情を浮かべている。

「はあ・・・何も起きないね」

 シュテファンはベンチの側にいた猫を指さした。あの猫に念を送ってみたという。猫はこちらをじっと見て、走り去っていった。

「猫には効かないのかも?」

「絶体絶命のピンチのときにしか力を発揮しないのかな」

 亜希とシュテファンがエリックの顔を見つめる。

「私にも分かりません。ただあの不思議な現象が起きた後には酷く疲れてしまいます」


 高い木が茂るエリアにやってきた。森と言うほどでも無いが、名残があると言えばそう見える場所だ。正直当てずっぽうだが、片目のレンズを通した月の光が指し示してくれるだろうという淡い期待を持っている。

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