【25】 トゥルゴヴィシュテ 王宮跡

「そろそろトゥルゴヴィシュテに到着ですよ」

 エリックの声にBMWの後部座席でうたた寝をしていた亜希は目を覚ました。恐ろしい夢を見て寝起きが悪い。

「金の杯の夢を見たわ」

「えっ、本当?トゥルゴヴィシュテが近いからかな」

 シュテファンが亜希にどんな夢だったか教えてとせがむ。ドラキュラ公の命で森の泉に置かれた杯、公の治世ではそれを盗むものはいなかったこと。トルコ兵が持ち帰ろうとして命を落としたことを話した。


「ドラキュラ公はとても厳格な君主でした。特に罪人には厳しい罰を与えました。その話は民間伝承として伝えられています」

 エリックが補足をしてくれた。農村から民家の建ち並ぶ市街地へ入った。トゥルゴヴィシュテという街は大都会という訳では無さそうだ。

「ワラキア公国の宮殿跡へ行ってみましょう」


 トゥルゴヴィシュテは1396年から1714年までの間、ワラキア公国の首都だった。ドラキュラ公の治世である15世紀もこの期間に含まれている。スラブ語で市場を意味する言葉で、中世には地方からやってくる商人たちが集まる市場として栄えたことに由来するのだろう。

 ドラキュラの祖父、ミルチャ老公の時代にワラキア公国の首都となった。宮殿が再建され、ドラキュラ公の時代にキンディア塔という見張り塔が建てられた。1989年12月には当時のルーマニア大統領ニコラエ・チャウシェスクと妻エレナの裁判が行われ、処刑の場となった。ドラキュラ公ゆかりの地で圧政を敷いた政治家が命を落としたことは皮肉なものだ。


 駐車場にBMWを停め、王宮跡の正門へ向かう。営業は午後5時までと係員が言う。今は3時なので2時間ほど散策ができる。チケットを販売している小さな土産物店では、王宮跡のポストカードやドラキュラ伝説の小冊子が何種類か置いてあった。街の紋章を象ったスプーンなど小物も売っている。亜希は龍を象ったバッジを見つけた。

「ドラゴン騎士団の紋章ですね」

「ドラゴン騎士団なんてカッコいいイメージだけど、実際にはなんだか可愛いデザインなのね」

 亜希の持つ龍の紋章の本の表紙の龍はいかにも悪魔の化身、西洋の龍といった恐ろしい印象がある。目の前の龍の紋章は身体を丸めた姿で、子供の龍を彷彿とさせた。亜希はドラキュラ伝説の冊子と、龍のバッジを自分のお土産に購入した。


 大きな門をくぐると、古い教会が見えた。入り口にある見取り図を確認する。

「ここは城壁で囲まれているね。これが今目の前に見えている教会で、その奥が王宮跡」

 エリックが地図で示しながら簡単に敷地内の説明をしてくれた。教会はレンガを組み合わせて造られた正教会の建物だ。上部がアーチ状になった細長い窓のついた黒い屋根のドームが3つ建っている。外観は新しいが、中に入れば剥げかけたフレスコ画が頭上に至るまで壁面を覆っていた。ここ最近、外観のみを改修したのだろう。天井の明かり取りの窓から入る太陽の光が聖堂内の聖人たちの姿を照らしている。説明によれば、16世紀に建てられた教会なのだそうだ。ドラキュラ公の時代には無かったことになる。

「ドラキュラ公の時代の教会は王宮に併設されたものですが、今は土台しかありません」


 教会を出て、王宮跡へ向かう。こちらは城壁と1階部分のみが残る廃墟だ。天井はほとんど残っていない。レンガを積み上げて作られている。中へ入るとアーチ状の通路、両脇には部屋が並んでいる。崩落した天井からは鮮やかな青空が覗いていた。

「いやあ、本当に廃墟。この雰囲気も嫌いじゃないけど」

 山上の砦、ポエナリ城よりも残存部分は多いものの、天井もなく崩れ落ちた壁が続くかつての王宮跡はやはり空虚だった。がらんとした王宮跡を歩きながら中世に想いを馳せる。

「かつては栄華を誇るワラキアの首都だったのです」

 アーチ状の窓からドラキュラ公の建てたというキンディア塔が見えた。


「こんにちは」

 不意に聞こえた日本語に、亜希は反射的に振り向いた。そこには白いスーツを着た褐色の肌の男が立っていた。フネドワラ城でラドゥの側にいた男だ。ラドゥはメフメトと紹介していた。長身で、黒髪、目鼻立ちがくっきりしており、彫りが深い顔は美形と言っていいだろう。口元と顎に伸ばした髭も良く似合っている。メフメトは穏やかな笑みを浮かべている。


 メフメトの周囲には5人の男達が立っている。まだ20代だろうか、皆若く、可愛らしいといえる顔立ちだ。メフメトの好みで集められたのが分かる。ジャケットにジーンズといったそれぞれラフな格好だが、おそらく彼らが白装束の中の男達だろう。まるで、オスマントルコの少年兵イェニチェリのようだ。

 亜希は恐怖で足がすくんでいる。目の前の男は紳士敵なたたずまいだが、何度も自分たちを襲撃した者たちだ。


「怖がらないで、話をしに来ただけです」

 少年の一人が流暢な日本語で話しかける。金髪の、薄いブルーの瞳が綺麗な子だ。メフメトが彼の耳元にささやきかけ、それを日本語に訳して語りかけてくる。

 エリックが亜希の側に立つ。シュテファンも亜希を挟むように立ち、警戒している。

「君たちは知恵と勇気を持って龍の紋章の本の謎を解き明かしている。龍の力が何かを知っているのか?」

「知らない、でもお前達には渡してはいけないものだ」

 エリックが答える。


「お前達に提案がある。その本、そして手に入れたものを言い値で買い取ろう。彼女にも謎を解く手助けをしてくれたら、それ相応の報酬を出す。金に糸目はつけない。一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るぞ」

 少年が淡々とメフメトの言葉を訳す。エリックは亜希の方をちらりと見た。亜希は首を横に振った。一生遊べるだけの金、おそらくこの男なら本当に用意できるだろう。しかし、それで大事なものを失う気がした。この旅は不思議な縁に導かれている。エリックとシュテファンとともに旅をして、ドラキュラ公の生き様を知りたい。その想いはお金に代える事などできない。


「これは私の優しさだ。この場にはラドゥはいない。彼は君たちのことを何とも思っていない。だが、私は話し合いで解決しようとしているのだよ」

 こちらのことを思って言っているかのように聞こえるが、高圧的で自分勝手な言い分だ。

「あなたのような人が何故ラドゥにつく?」

 エリックの問いにメフメトはおかしそうに笑う。

「正直、私には金も権力も充分にある。これ以上望むものはない。だが、それでは平穏すぎて退屈なんだよ。ラドゥは突然私の前に現れた。そして龍の力を得る手助けをしてくれと言った。見返りなど何もないよ。だが、彼がどのように力を得て、どう使うのか見てみたくなった。彼は刺激をくれるんだ」

メフメトは大仰な仕草で手を広げた。

「金持ちの道楽で何もかも取り上げられるなんて、嫌だよ」

 シュテファンも同じ思いだった。だいたいラドゥはいけ好かない。ぼそりと亜希に言う。亜希も小さく頷いた。


「私たちは何も渡すつもりはない」

 エリックが静かな、しかし断固とした口調で意思を伝えた。亜希もシュテファンも目をそらすことなくメフメトを見つめている。

「わかった、交渉は決裂だ。もし気が変わったらいつでも言えばいい。できれば手荒な真似は避けたい」

 メフメトは軽く手を上げて踵を返した。おつきの少年たちも無言でメフメトの後に付いて去って行った。


「はあ・・・!」

 エリックが大きなため息をついた。情けない様子で空を見上げた。

「エリック、カッコ良かったよ!」

「ほんとよく言った!」

 脱力するエリックに、亜希とシュテファンがその背をバシバシ叩いて褒めちぎっている。

「あの取り巻きに襲われるかと思ったよ」

 エリックも内心ヒヤヒヤしていたらしい。あの可愛らしい少年たちがナイフを手に襲ってきていたのかと思うと、余計にゾッとした。金だけで動く傭兵というよりも、メフメトに忠誠を誓っているようにも思えた。

「これからも狙われ続けるってことよね」

「でも、さっきの言葉で私は心が決まりました。やはり奴らに龍の力を渡してはいけいない」

 エリックの言葉に亜希とシュテファンも頷いた。

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