【24】 ワラキアの首都 トゥルゴヴィシュテ

 時を同じくして、ポエナリ城ではラドゥと場違いなスリーピースのスーツに身を包んだメフメトがエリックたちの様子をレンガの壁に身を隠し、じっと観察していた。ラドゥは白のロングカーディガンにグレーのカットソー、黒のスキニーで、軽やかな姿は大学生にも見える。

 白装束の男たちは亡霊にまとわりつかれ、もがき苦しんでいる。ラドゥの側にもおぞましい姿の亡霊たちが渦を巻き始めた。ラドゥはそれをものともせず、片腕でなぎ払う。


「負け犬どもめ、ヴラドの下らぬ策略にはまった愚か者ども。私はラドゥ、誇り高きワラキアの王だぞ。」

 毅然とした声で亡霊たちを制した。亡霊たちは力無く散ってゆく。メフメトの周囲にも亡霊たちが集まり始めた。

「偉大なオスマン帝国のスルタンに逆らうのか」

 メフメトは広角をつり上げて不敵な笑みを浮かべた。古の王の威厳がそこにあった。亡霊たちは恐れをなしたように宙に消えていった。


「さっさと立て」

 メフメトが白装束に命じた。亡霊たちは彼らを遠巻きにして城壁の上を浮遊している。白装束の男たちはのろのろと力なく立ち上がった。

「何が起きた?」

「は・・・亡霊たちに囲まれて、ひどい耳鳴りと頭痛が・・・目眩も・・・立っていられずこのような失態を、お詫びいたします」

「良い、もう引け」

 メフメトの声に白装束の男たちは森の中に消えていった。メフメトは黒のデュポンを取り出してタバコに火を点けた。


「これが龍の力か?」

 煙を燻らせながら横に佇むラドゥに尋ねる。ラドゥは面白くなさそうに唇を噛んでいる。

「いや、奴はまだ力を使いこなしていない。龍の力はこんなものではないはずだ」

「お前は使いこなせるのか、眠れる龍の力というやつを」

 メフメトが意地悪く笑う。ラドゥはメフメトを見上げて微笑む。

「私は兄より優秀だ。奴はその力に恐れをなして龍を封じた。私こそ龍の力を継承できる者だ」

「お前には期待しているよ、ラドゥ」


 メフメトは満足したのかタバコを投げ捨てた。

「しかし、醜い城だ。ここは奴にぴったりの城だな」

 ラドゥは吐き捨てるように言う。不意に目の前に王妃の亡霊が現れた。その顔は怒りに満ちている。ラドゥは彼女に優しく微笑みかけた。

「お前は兄を殺せなかった愚かな女だ。お前もここが似合いだ、せいぜい兄を恨み続けて留まり続ければ良い」

 ラドゥは哄笑した。朝日が昇り始め、王妃の亡霊は光の中に消えていった。


 アレフ村への道をエリックとアキ、シュテファンは疲労困憊でのろのろと歩いていた。村一帯は霧が深く、幻想的な風景が広がっている。朝日が登っているらしく、ぼんやりと周囲は明るくなってきた。ポエナリ城の下に置いた車までどのくらいだろう。夜中の登山、白装束の男たちの襲撃、そして暗い地下道への逃亡で完全に徹夜だった。かつてはデスマーチの開発案件で半徹を経験した亜希だったが、それは心地よいオフィスで椅子に座っての作業だ。これはさすがにキツかった。


 前方から馬の蹄の音が聞こえてきた。霧の中から一頭だての馬車が現れた。まるで中世にタイムスリップしたかのような景観だ。

「すみません、乗せてもらえませんか」

 エリックがルーマニア語で交渉している。馬車のおじさんは荷台に乗れ、といってくれた。ポエナリまで連れていってくれるという。エリックに引き上げられて馬車の荷台に乗り込んだ。シュテファンは軽い身のこなしで飛び乗った。やはり20代は元気だ。飼い葉を避けて木の椅子に座った。亜希はようやく緊張が解けたのを感じた。足が棒のようだ。一気に疲労が押し寄せてきた。エリックとシュテファンも同じ思いだろう。顔を見合わせて弱々しく微笑みあった。馬はカポカポと蹄の音を響かせてゆっくりと歩き出す。

「馬車に乗るの、初めて」

「そう、のんびりしていいよ」

 エリックは気の抜けた返事をした。


 無事にBMWのところに送り届けてもらった。車は落書きされるでもなく、パンクさせられるでもなく無事だった。良かった、ラドゥは一応紳士的な男のようだ。そんなチンピラみたいな真似は主義に反するのだろう。エリックの運転でホテルへ戻った。気付けば泥だらけだ。亜希はシャワーを浴びてベッドに身を投げた。みんなボロボロに疲れているので、遅めのチェックアウトまで休んでそれから朝食を取ろうということになった。亜希はすぐに眠りに落ちた。


 4時間程度だが、夢を見ることもなくぐっすりと眠れた。目が覚めると午前11時だった。ロビーでの待ち合わせは12時なのでゆっくり出発の支度をした。ロビーでエリック、シュテファンと合流していつものレストランで朝食を兼ねた昼食をとることにする。


「何だか昨日のことがまだ夢みたい」

 亜希がコーヒーを飲みながらぼんやりと呟く。エリックもシュテファンも同じ気持ちだった。

「これがポエナリ城で手に入れた水晶だよ、これがフネドワラ城の水晶」

 エリックが黒い巾着袋からふたつの水晶を出して手のひらに転がしてみせた。大きさも形もよく似ている。

「あれ、フネドワラ城でみつけた石はもうちょっと薄いピンクじゃなかった?」

 亜希は色の違いを指摘した。エリックはそうだ、と言う。

「多分、ポエナリ城で手にいれたこちらの石も最初はこんな色じゃ無かった気がするんです」

 色が少し濃くなっていると思った。薄い、きれいなピンク色だった。それがややきつい、赤に近いピンク色に変わっている。シュテファンも同じ意見だった。

「3つめの謎が解けたらもっとはっきりするのかもしれませんね」


「ところで、昨夜も白装束の男たちから運良く逃げられたけど、何が起きたのかな?」

 亜希とシュテファンはエリックの顔を伺った。

「私にも分かりません、ただ二人が酷い目に遭うのを許せないと思いました」

「感情が高ぶったってことだよね」

 亜希はフネドワラ城での出来事を思い出した。あのときも絶体絶命で、エリックは感情を爆発させていた。

「亡霊達が奴らを襲ったよね」

 それまで無害だった浮遊していただけの貴族の亡霊たちが、急に白装束たちを襲ったのを見た。

「私は亡霊に何かを命じたわけじゃないんです。ただ、彼らに乱暴をやめてもらいたいと思った、それだけです」

「その思念が作用したかのような状態が2度も起きたわ、エリックは水晶を持っていた。この石に秘密があるのかも」

「もしかして、龍の力の片鱗とか・・・」

 そのシュテファンの言葉が馬鹿馬鹿しいと言い切れないと亜希は思った。昨夜のエリックの瞳は真っ赤な光を放っていた。あれは人間の瞳では無かった。亜希はそれをエリックには黙っておくことにした。彼もショックを受けるだろう。


 起き抜けだったので、パパナシを注文した。ドーナツでお腹は膨れるし、疲れているので甘いものが食べたかった。メインディッシュがこれだけなので大きなパパナシを二つとも平らげた。エリックもシュテファンも控えめにサラダとスープだけを注文したようだ。それにパンがついてくるのでちょうど良い。


「今日はトゥルゴヴィシュテへ向かいましょう」

「龍の紋章の本にある3箇所目の街ね」

「そう、トゥルゴヴィシュテはワラキア公国の首都があった場所です。ドラキュラ公が建てたという塔も残っています。復元されたものですけどね」

「ここから約120キロの距離、2時間ほどのドライブだね」

 エリックがルーマニアの道路地図を広げて見せてくれた。トゥルゴヴィシュテはアルジェシュから南東の方角にある。その先にはブカレストという位置関係だった。

「シギショアラを出て、ぐるりと一周したわけね」

「そうですね、残りはモルドヴァの修道院、そしてスナゴブ僧院です」

 食事を終えて一息ついたので、トゥルゴヴィシュテへ向けて出発することにした。


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