【23】 ポエナリ城 秘密の地下道

「今は廃墟になって、当時あった天守はもう無いみたい」

 エリックはかつて天守があったであろう上空を見上げた。

「あの辺りかな、行ってみましょう」

 階段を降りて、アーチをくぐった先に石の土台の上にれんが造りの高い壁がそびえ立っている。天井は遥か昔に崩落しており、存在しない。頭上には星が輝いていた。星との距離が随分近い。山の上だから星が綺麗だな、と亜希はぼんやり思った。

「この壁が天守だったのでしょう」

 夢の中では螺旋階段があり、その先に王妃が身を投げた窓があった。方角的には北だろう。下を流れるアルジェシュ川の位置も合致している。エリックはからくり箱から片目のレンズを取り出した。月の光が集まっていく。3人の目の前で、青白い光がホログラムのように像を結んだ。


「王妃だわ・・・」

 亜希の言葉にエリックとシュテファンが頷いた。目の前にドラキュラ公の妃の姿が浮かんでいる。金色の美しい髪、少しやつれた頬、悲しそうな瞳。細やかなレースで飾られたドレスを着た女性だ。もとは美しい女性だったのだろう。ポエナリ城の籠城戦で精神が疲弊してしまったに違いない。

「悲しみの王妃を解き放て、と書いてあったよね」

 亜希がシュテファンを横目で見る。

「うん、でも解き放つってどういうこと?」

「何かに縛られているのかもしれない」

 エリックは考え込んでいる。彼女は何か語りかけてくるでもなく、ただそこに浮かんでいる。背後には連なる山の風景が透けて見えていた。彼女に対して恐怖心は感じられなかった。でも、このままどうすればいいのだろう。


「アキ、彼女が縛られるとしたら、何だろう?」

「ドラキュラ公への罪悪感とか?彼を殺そうとしていたけど、それを後悔しているのかもしれない」

「それで15世紀から500年以上も今までここに留まるだろうか」

 留まるというより、この本の力で呼び覚まされた気もする。

「ヴラドはあなたのことを恨んでいません」

 亜希は勇気を出して王妃に声をかけた。

「あっ、ルーマニア語じゃないとダメかな」

 亜希はシュテファンの肩を叩いた。シュテファンは渋い顔をしながら亜希の言葉をルーマニア語で伝えた。しかし、彼女に反応は無い。


「聞こえないのかな?」

「いや、夫にはあまりこだわりが無さそうだ。記録は少ないが、政略結婚だったとも聞く。ドラキュラ公が貴族に対して厳しい処断を下したが、一方では頼らざるを得ない場合もあっただろう」

 そういえば、二人の間には微妙な空気が流れていた気がする。戦国時代の結婚はそういうことだったのかもしれない。そうであれば、彼女が執着するものは。


「息子よ、彼女は息子をとても愛していた」

「なるほど、それはいい線いってると思う」

 エリックも何か思いついたようだ。

「あなたの息子はアレフ村で保護されて、無事に生き延びました」

 王妃が反応したように見えた。しかし、表情がやや穏やかになった気がするだけで動きはない。

「話だけでは信じられないのかもしれない」

 エリックは考え込んでいる。亜希は思いついてエリックを月明かりの下に連れ出した。

「アキ、一体どういうこと・・・」

 王妃が涙を流している。エリックは顔を上げて王妃を見つめた。彼女は優しく微笑み、光となって消えた。


「え、何?何が起きたんです?」

 エリックが動揺している。亜希とシュテファンは顔を見合わせた。

「エリックに息子の面影をみたのだと思います」

「あなたはアレフ村の出身でしょう?もしやと思ったのよね」

 ドラキュラ公の息子は、逃亡の際に彼と離ればなれになったが、ポエナリ城の麓にあるアレフ村で保護され、育てられたという話だ。今でも村には公の血を継ぐものが暮らしているという。エリックも遠からず彼の血筋なのかもしれない。

「私は自分がドラキュラ公に似ているとは思えませんが・・・王妃は安心されたようですね」


 王妃が放った光で、背後の壁の古びたレンガの一つに龍の紋章が浮かび上がっていた。エリックがポケットナイフを出して、レンガの際を削り取る。今度は回転する仕組みでは無いらしい。レンガがぐらぐらと動きだした。それを抜き取れば壁の中に黒いビロードの巾着が置いてあった。

「また黒い巾着だ。中身は・・・」

「ピンク色の水晶です」

 つまみ出してみると、フネドワラ城で見つけたものと同じような色、大きさの水晶だった。エリックが水晶を大事にバッグにしまった。

「違う色とか、そんなのじゃないんだね」

「それはゲームの世界でしょう」

 エリックは苦笑した。亡霊に導かれて謎が解けたというだけでも凄いことだ。恐怖を忘れて亜希はまたワクワクする気持ちを思い出した。階段を上り、地上階へ戻ると、城壁の上に白装束の男達が立っていた。


「ひえっ、また出た・・・!」

「今度は5人いる!」

「走って逃げますか?」

 無理でしょ、と亜希とシュテファンが小声でツッコミを入れた。白装束の男達は壁から飛んで地面に降り立った。まるで忍者だ。

「今手に入れたものを渡せ、それに本と、女もだ」

 3点セットが決まり文句になってきた。また大ピンチだ。ここから隙を突いて逃げ出しても1500段近い階段を猛ダッシュで駆け下りることなどできない。それにどう見ても、奴らの方が身体能力が高い。すぐに捕まってしまうだろう。

「これは渡せない。本も、彼女もだ」

 エリックはそう言いながら亜希とシュテファンを守ろうとしている。しかし、丸腰もいいところだった。白装束の男がナイフを取り出した。弧を描くナイフをくるくると回して見せる。エリックの喉元に突きつけた。


「やめて、言うとおりにするから!」

 亜希が叫んだ。思わず日本語で叫んだので、何も通じていない。白装束の男がもう一人、亜希の腕を掴む。シュテファンがやめろと掴みかかったが、小柄な彼は軽々と吹っ飛ばされてしまった。

「シュテファン!」

 亜希が叫ぶ。エリックは怒りを露わにし、亜希に手を伸ばそうとする。


「おっと、動くな」

 白装束の男がエリックの喉にナイフをピタリと当てる。男は俯くエリックの顔を覗き込んだ。瞼を深く閉じている。眠っているのか、とナイフの角度を変えて喉の皮に押し当てる。少しひねれば首の動脈を切り裂けると脅しをかけている。エリックが目を見開いた。

「何だその目は・・・」

 白装束の男が動揺している。エリックの目は赤く染まっていた。その目が光ったのを亜希は見た。白装束の男の悲鳴が聞こえた。見れば、廃城を浮遊していた亡霊が白装束の男に襲いかかっている。


「何だ、あれは」

「ひぃいいい」

「やめろ、来るな」

 無数の亡霊が男達にまとわりついていく。物理攻撃をしているわけではないが、男達は苦しみもがいている。

「シュテファン、大丈夫?」

 亜希は壁にぶつかって意識を失っていたシュテファンを立たせた。エリックの肩を叩くと、彼はこちらを振り向いた。一瞬、あの赤い目が光ると思って亜希は身をすくませた。エリックの目はいつもと変わらない深い緑色の目をしていた。

「今のうちに逃げましょう」

「そうだ、逃げよう」

 エリックも正気を取り戻したようだが、額から汗が滲み出しており、息が上がっていた。3人が壁に沿って走り出すと、王妃の亡霊が指をさしている。


「え、まだ何かあるの?」

「彼女を信じよう」

 エリックは王妃の指さす方向へ走る。来た道とは別の階段を駆け下り、地下へ降りて行く。そこは何もない壁で行き止まりだった。白装束はまだ追って来ない。なぜか亡霊達が足止めしているようだ。


「どうしよう、来た道を帰る?」

 不意に目の前の壁が崩れ、人が一人通り抜けられる程度の穴が開いた。中は暗くて分からない。エリックが懐中電灯を取り出して、穴の中を照らす。

「これ、役に立つでしょう」

「それはわかったから・・・これは、階段だわ」

 穴の中には地下へと続く真っ暗な階段がのびていた。

「怖すぎるよ」

「これはきっと村に通じる秘密の通路だわ。ドラキュラ公もここを使って逃げ延びた」

 シュテファンが尻込みしている。でも、行くしか無い。エリックについて、亜希も穴に入った。半泣きのシュテファンも続く。


 通路は自然の洞窟を利用して造られたもので、一応階段らしきものはあるが、滑りやすくかなり足場が悪い。それにくねくねと曲がりくねって先が見えない。天井がやたら低い場所もあって途中で行き止まりになっているんじゃないかという恐怖との戦いだった。地下道の中はひんやりと冷たく、体感温度もずいぶん低い。観光用の階段はジグザグで緩やかだった。この階段は傾斜はきついが直線に近いようだった。


 暗闇の中、手探りで下へ下へ降りて行く。天井から落ちるしずくが首筋に落ちて、亜希はぎゃっと叫んだ。

「ちょっと、驚かせないでよアキ」

「だって、いきなり冷たい水が落ちてきたのよ、びっくりするわ」

 今度はエリックが叫び声を上げた。コウモリが潜んでいたらしい。小さな黒い羽をバタバタさせて上の方へ飛んでいってしまった。

「入り口が無かったのに、コウモリがいるということは出口はちゃんとあるってことだね」

 エリックの言葉に勇気が出た。


 背後からの襲撃に遭うこともなく、階段を降りきると広い洞窟に出た。綺麗な水が流れ出している。その先に川の流れる音が聞こえてきた。洞窟内にだんだんと光が射してくる。出口は近い。洞窟から出ると、紺青の空に明けの明星が輝いていた。

「はああ、脱出できた!」

「やった・・・助かった」

3人は大きなため息をついて側にある丸太に腰掛けた。すぐ近くにアルジェシュ川が流れている。エリックはによればアレフ村が近いという。

「エリックは大丈夫?」

「ええ、とても疲れましたけど、生きています」

 エリックは弱々しく微笑んだ。

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