旅の終わり -1-

 二学期が始まった。


 眠くならない体質は相変わらずだが、それでも大きなあくびをこぼしながら、高校までの通学路に自転車を走らせていく。


 結局岡山に帰ってきたのは、八月三十日の早朝。予定よりずいぶんぎりぎりの帰宅となった。しかし、課題や提出物等の終わらすべきことはすべて終えている。慌てることはなかった。


 長旅から帰ってきたあと、やるべきことは決まっている。無人が続いてほこりっぽくなっている家の掃除。道中クリーニングをしながらもたまっていく衣類の洗濯。ずっと走り続けてくれて、すっかり汚れてしまった車の清掃。外装も内装も、一月もの旅であちこち汚れてしまっていたので、感謝を込めて掃除をした。


 連休すべてを旅にあてる俺にとって、久々の高校はいつも異質に感じる。部活や委員会などで登校している生徒にとっては、普段通りなのだろう。だがほとんど眠らず止まらずに旅をする俺には、遙かに長い時間ぶりの世界に思えるのだ。


 むしろ非現実にさえ思える教室へと足を踏み入れる。


 自らの席に着き、荷物を整理しながら一息つく。

 既に半分以上の生徒が登校し、めいめいに集まって夏休みの話題に花を咲かせている。

 だが高校で孤高の一匹狼を気取っている俺に、そんな間柄の生徒はいない。ただ一人、窓際隅の席で肘を突き、外に広がる景色を眺めながら朝のホームルームまでの時間を潰す。


 しばらくたったころ、ちらりと教室を見渡す。あと数分もしないうちに、ホームルームが始まる。


 しかし、あいつの姿がない。


 長旅で体調でも崩してしまったのだろうかと思い、スマホであいつとのトーク画面を呼び出す。何度か使用したトーク画面にはいくつかのやりとりが並び、それもずいぶん前で止まっている。


 なにか文字を打とうとして、スマホの画面に触れる前に指が止まる。

 今はもう、俺とあいつはただのクラスメイトだ。なんて連絡をすればいいかなんてわからず、そもそも連絡をしていいのかも迷った。

 少しの逡巡ののち、スマホをマナーモードにしてポケットに押し込んだ。


 もう一度あいつの席に目を向けると同時に、チャイムが鳴る。教室に散らばっていた生徒たちが、慌ただしく自分の席と戻っていく。


 しばし遅れて教室の扉が開き、クラスの担任である赤磐先生が教室に現れた。

 いくつ綺麗に着こなしているスーツには、相変わらずしわ一つない。しかし、眼鏡の奥にある黒い瞳は、どこか疲れを帯びているように見えた。


「おはよう。二学期そうそういない者もいるが気にするな。ひとまず、このあとすぐに全体集会がある。課題などの提出は集会後にまとめて行うので、準備しておくように」


 淡々と、網直に必要な用件だけを伝える赤磐先生。

 その様子に、少しばかりのひっかかりを覚えた。いつもなら、ここで冗談の一つでも言って笑いを取りそうなものだ。それなのに、今の赤磐先生からは、そのような余裕が感じられない。


 俺の視線が、教室の中に一つだけある、空席へと吸い込まれた。

 あの言い方、なにか気になる。


 教壇に視線を戻すと、赤磐先生と視線がぶつかった。だが、すぐにそらされる。


「それでは、すぐに移動するように」


 なにもなかったかのようにそれだけ言い残すと、赤磐先生は教室を出て行く。引き留める間のなく去っていき、なにも聞くことができなかった。


 全体集会で校長先生の話を全員が退屈辟易しながら聞き流し、その後、一つ一つ課題を提出した。明日から授業が開始され、来週末には実力テストが控えている。


「今日はこれで終わりだ。寄り道せず、真っ直ぐ家に帰るように」


 一通りの予定を終えたのか、赤磐先生は教壇の上でぱたりと出席簿を閉じる。

 二学期初日なので授業はないが、諸々の予定を消化していれば昼は回る。俺たちの高校で夏休みの登校日がない代わりに、初日でやるべきことが多いのだ。


 あいつは最後まで登校してこず、その日は終えることになった。さすがにここまで知り合って、なにの連絡もしないような薄情ではいられない。風邪でも引いたのかラインを送ってみたが、どれだけ待てど返信はない。既読すら付かない。


 不安だけが、燃え残った灰のように心の中に降り積もっていく。


「それから、最後に」


 赤磐先生が、おもむろに口を開く。

 わずかに迷いを見せるように、眉を下げた。


「一つ、みんなに話しておかなければいけないことがある。話すかどうか判断がおそくなったのだが、なにか心当たりがあるやつは、教えてもらいたい」


 そう切り出した赤磐先生の言葉に、胸がざわりと脈打った。



「――現在、花守が行方不明になっている」

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