1.5話(前編)

 妖獣保護センター。仙人の住まいである桃源郷の平原にぽつんと、そしてやたら現代のコンクリ建築のような佇まいのせいかやたら風景に不釣り合いな印象を持つその建物は、名前の通り妖怪やら神獣やらの保護と研究を目的に造られた場所である。

 張景はその建物内の一室で、緊張した様子で椅子に腰掛けていた。

 あのあと場所へスイが案内してくれたところまではよかったが、さっきまでが賑やかだったためか静かに一人で待つというのは、妙に落ち着かない。

 今日から正式に保護センター勤めとなった張景であるが、師の元を離れて修行地以外で仕事をするというのは、張景にとっては久々であった。

 普段通り、師匠の教え通りにと姿勢を正して座り直したが、どうも居心地が悪くソワソワと落ち着かない。

 気分を紛らわそうと辺りを見渡してみる。師匠の住まいは洞窟に木造の住居が半分埋まったようなつくりで、窓枠には透彫りの細工、家具には瑞獣の意匠が刻まれており、良くも悪くも『仙人が住んでいそうな住まい』だった。

 しかし今いるこの施設は、外見通りの無機質なつくりで、白い壁には特に装飾もないどころか色褪せた何かのポスターが画鋲直挿しで貼られていたり、ホワイトボードには何か書かれているようだが、その上から何かの資料と思わしき書類が磁石で大量に留められていて、内容を窺い知ることはできない。

 パイプ机とパイプ椅子が円状にぐるりと設置されていることから、普段会議などで使われている部屋であろう。そんなことを考えていると、遠くからパタパタと誰かの足音が聞こえてきた。

「やー、ごめんごめん!おまたせしたねー!」

 突如ノックもなしに扉が勢いよく開いた。中から入ってきたのは、見た目三十代前半ぐらいの男性だった。眠たそうなタレ目に、跳ね気味の黒い髪には何故かゴーグルが装着されている。パリッと糊のきいた白衣を着ているが、中に着ている道着はかなり緩く、というよりかなり適当に着ている感が否めない。おまけに靴にいたってはゴムサンダルだ。

(仙人道士には外見年齢は関係ないのはわかる。わかるけど……流石にだらしなくないか……?)

 訝しげな目線に気付いたのか、男性はコホンと咳をつくと姿勢と白衣の襟を正した。

「えー、張景クン。改めて、入所志願ありがとう。歓迎するよ。ボクはこの施設の所長をやっている雲中子だ。これからよろしくね」

「しょ、所長さん!?ということは、師匠のお知り合いの……」

 ここに来るきっかけとなった、師匠である広成子宛ての手紙。広成子は高名な仙人であるため、手紙を送った人物は彼と同等か、重要な役職の仙人とは張景もわかっていた。まさかこんなにだらしのない格好の人物とは思わなかったが。

 張景は一気に緊張で肩を強張らせたが、その様子を見た雲中子は苦笑しながら手のひらを軽くぶんぶんと振った。

「もー、そんなに力まなくてもいいって。広成子とは茶飲み仲間みたいなものでね、畏まるほどのものじゃないヨ。景クンって呼んでいいかな?わからない事があったら気軽に聞いてね〜」

 と、雲中子は張景に向かって右手を差し出した。しかし張景は差し出された手の意味を一瞬考え、恐る恐る雲中子と目を合わせた。

「握手って、いくらなんでも無礼なのではないでしょうか……?あ、いや、僕が、雲中子様にって意味です」

「そっかなあ?別に気にしなくてもいいのに。拱手も作法が時代や出身でまちまちだから面倒なんだよねえ。それにさ」

「それに?」

「この前観た海外ドラマでね、ベテランエージェントが新人に握手を求めるシーンがかっこよくてね〜!散々無茶苦茶やっただらしない感じのおじさんが、拠点に戻ったときにかっこいいスーツに着替えたとき、もうかっこいいのなんのって!その時に新人にスッと、こうスッと右手をだね」

「……はい。よろしくお願いします雲中子様」

 これは話しだしたら止まらないタイプの人間だ。

 そう張景は直感し、話を遮るようにサッと雲中子の右手を握った。雲中子は「むう……」と満足がいかないような顔をしたが、張景は気付かないフリをした。

「まあ、あまり畏まらなくていいからね。固くなりすぎて、連絡や相談が気軽にできなくなるのは避けたいからサ!」

「そ、そういうことなら。でも、師匠から教わった作法や考え方もありますので、慣れるまではどうかこの口調になると思います。どうぞお許しください」

「うーん。しょうがないか。ま、新人らしく初々しさと捉えておくよ!」

「う……初々しい……ですか!?」

 自分の実年齢を知らない訳がないだろうと、張景はぎょっとした。張景自身も正直なところ、精神年齢と噛み合っていないのは自覚はしていたが。

「挨拶はこんなところにして、今日は館内の案内とおおまかな業務について説明するネ。悪いけど、実はあんまり時間が取れないから手短にいくよ」

「大丈夫なんですか?」

「う〜〜ん、このあと仙界府に出向いて例のアツユ騒動の始末書の提出と、調査報告をしなきゃいけないんだあ〜……。案内できて一時間かな……」

「アツユ……!」

 張景は名前を聞くだけで身震いした。

 激しい獣臭、こちらを捉えて離そうとしない獰猛な目、全てを丸呑みできそうな大きな口、獲物を誘い込むための赤子のような鳴き声。今でも鮮明に思い出すことができる。張景はここに来て長いほうだと思っていたが、あのような獣にはまだ会ったことがなかった。あのあと自分の無知をあれほど恥じたこともない。

 張景の動揺を察したのか、雲中子はひらひらと手を振りながら気の抜けたような顔で笑いかけた。

「今はちゃーんと再封印かけてあるから平気だよ〜。ていうか、アツユが逃げたのって、仙界府がだいたい悪いんだよ?収容場のメンテするときに使ってる妖獣移送用の檻、老朽化が進んでるから替えてって何度も申請してるのに『雲中子殿の術があればあと五年は保ちますよ』なんて後回しにするから!だからそのへん突っついて、逆に責任追求と諸々の修繕費をぼったく……エフンエフン、修繕費を追加で出してもらおうと思っている!エッヘン!」

「それは……たくましいことで……」

 自信たっぷりの表情を浮かべながらサムズアップをする雲中子に、張景は苦笑した。それと同時に、その堂々とした言動に少しだけ頼もしさを感じた。

「さて、時間もないしささっと案内始めるよ〜!早足で行くから頑張ってついて来てね!」

「は、はい!頑張ります!」

 張景の返事に雲中子は満足げに頷くと、勢いよく扉を引き、意気揚々と廊下へその一歩を踏み出した。

「あ、所長」

 と、一歩部屋から出たところで、たまたま通りかかった職員から雲中子は声をかけられた。声のした方へ顔を向けると、黒い髪を二つに結っている、年頃の少女のような小柄な女性と目が合った。

「破損した備品の発注、最終チェック終わりました?お昼までに出さないといけないんですけど」

「…………」

 数秒ほどの間の後、雲中子は姿勢を正すと張景の方へ向き直った。眉間には苦悶に満ちたようにシワが寄り、ぎゅっと唇を噛み、一瞬で「ああ、忘れていたんだな」と悟らせるには十分な表情だった。

「……ごめん……。ちょっと、いや、しばらく待ってて……」

「別に構いませんが……」

 ちょっと半泣きになりそうな表情を浮かべながら、雲中子はそそくさと走り去ってしまい、後には張景と女性だけが残った。少し気まずい空気がながれたあと、女性はやれやれとため息をついた。

「所長のことは気にしないでいいからね。いつものことなんだから」

「いつもああなんですか……」

「いつも……というわけでもなくて、たまに……の割には多いけど……。と、とにかく!」

 女性は数回咳込みすると、張景に微笑みかけた。桃の花のような、ふっくらと愛らしい笑い方だった。

「事情は聞いてるわ。今日から入ってきた子よね?すぐに別の案内を手配するからもう少し待ってね」

 そう言われるがまま、張景は元の部屋へと戻された。

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