1.5話(後編)

1.5話(2)

「という訳で、臨時で案内をすることになったオレです。どーも景くん、数十分ぶり」

「まさかというか、案の定というか」

 数分後に張景の元へ連れて来られたのは、先程言葉を交わしたばかりのスイだった。天明も何故かついてきているが、何故かスイの真後ろからじっとこちらを見てくるだけで特に声をかけてくることはない。スイはつい先程まで力仕事をしていたのだろう、軍手と黄色いヘルメットをつけていた。

「妥当ではあるけどな。ある程度落ち着いてきたとはいえ、他の職員はまだ片付けと通常業務が並行してるから忙しいし。オレはー……、前にも言ったと思うけど、人間だけど扱いは保護動物だ。作業の手伝いはするが、職員じゃない。言うなれば雑用係みたいなもんだ。ちなみに給料は出ない。一切。動物園の虎にメシは出ても金は払わないのと同じだ。……自分で言ってて悲しくなってきた。帰りたい。帰っていいか?」

「帰らないでください」

 間髪入れない張景の返しに、スイはぷっと吹き出した。

「ははは、冗談だって!ま、職員しか入れないところは案内できないけど、それでよかったらいくらでも案内するからな!」

「途中から目が本気のように見えたんですが……」

「気のせい気のせい!」

 軽快に笑いながら、スイはヘルメットを外しつつ通路を歩き始めた。その真後ろに天明が続き、少し遅れて張景もついて行った。

「今いるのが一棟。保護センターの玄関みたいなとこだな。主に事務や職員のための施設がある。所長室に会議室、仮眠室や食堂、浴室なんかもあるな。あとで紹介するけど、どの棟も地上三階地下二階構造だ。と言っても、地下二階は移送用通路だけで、職員以外立ち入り禁止だからオレは入ったことないけど。実質地下は一階だな。入って左側を進むと二棟、右が三棟に繋がってる。二棟も三棟も妖獣の収容施設だけど、二棟の方が妖獣が多くて獣くさい。三棟は特殊なケア施設とか、研究室とか、保管庫とかがメインかな。この三つの棟に囲まれるように、中庭が……前に夔を移動させた場所だな。後で見に行こう」

 スイは二棟側へ進みながら、行く途中で足を止めては通り道にある部屋を開けて紹介した。使用頻度の高い場所や役割などについては、張景にメモを取るよう促し、張景もそれに従った。

 張景は先程から結構な頻度でこちらを見てくる天明の視線が最初は怖かったが、二棟に到着する頃には少しずつ慣れ始めていた。

「お、スイ……と、見慣れない顔だな。所長が言ってた広成子様のとこの子か?」

「栄ちゃん、おはよう!そうそう、紹介するよ。この子は……」

 行く途中に何度も職員とすれ違い、その度にスイが足を止めては二、三言葉を交わしては皆に張景を紹介してくれた。張景も職員に慣れないなりに挨拶をし、どの職員も概ね好意的に受け入れられてくれたようで少し肩の力が抜けたように感じた。

 スイに聞いたところによると、職員の多くは道士だが、桃源郷に点在する人里に住んでいる人間も少数ながら在籍しているらしい。道士も修行の一環として学びに来ている者、師が不在のため身を寄せている者など様々だという。

「思ったより、職員の方がいるんですね。しかも人間の方もいるだなんて」

「そうだな。流石に危険な妖獣は任せられないけど、草食妖獣なんかは結構扱いが上手いし、ベテランも多いよ」

「そう、ですか……」

「……」

 スイはちら、と振り返って張景の様子を見ると、早足に通路の角まで歩いて行きその先を指差した。

「この先が二棟。危険度が低から中程度の妖獣が保護されてるエリアだ」

 厚い壁のある渡り廊下を抜け、重々しい扉を手動で開けた先の光景を見た時、張景は思わず「うわ……」と声を上げた。

 床の所々に、抉れたような穴がいくつも空いていた。瓦礫は概ね撤去済みではあったがそれでも細かな破片が残っており、『妖獣通行禁止』の立て看板が通路の中央に置かれている。

「……施設がこんなになっても、あの妖獣は保護されているんですね」

「まあな。あんなのがいるから里から離れた場所にここがあるし、なによりアレを生かして益もあるわけだからな」

「益、とは?」

「色々。保護して、飼育して、研究して、それが使えそうなら使う。アツユだってそうだ。爪が薬になるかもしれないし、牙が武器になるかもしれないだろ?怖いかもしれないけど、生かす意味はあるんだ」

「……スイさん達も、そうなんですか?」

「…………」

 張景の問いかけに、スイは一瞬言葉を詰まらせ口を閉じた。ほんの少しの間を経て、ううんと大きく唸った。

「少なくとも、オレらは今んところ大丈夫だ。オレは年取らなくなったってだけの人間だし、天明に至っては訳わかんなすぎて研究ストップしてるし!なによりオレ達は割と貴重な雑用係だしな!悪いようにはされんって!あっはははは!!」

「は、はあ……」

 スイの自虐を含んだ哄笑に若干たじろぎながら、張景はつられるように苦笑いを浮かべた。ちらりと天明を見てみたが、相変わらず無言でこちらを見ているだけだった。

「……やっていけるでしょうか、僕。あんなのが暴れても、なんにもできなかったですし」

 張景は大きくため息を吐き、ぽつりと呟くように尋ねた。

 ここに入ると決めたものの、あのときの惨状の跡を見ると身震いしてしまいそうになる自分がいる。今はまじないひとつできない身で、ここに来て何が出来るというのか。張景はすっかり自信が無くなってしまった。

「……ちょっと来て、景くん。足元に気を付けて」

 スイは張景に向かってちょいちょいと手招きをすると、そのまま通路をまっすぐ進み出した。天明もすぐに後をついて行った。張景は慌てて後を追った。

 今度は途中の部屋にも目もくれず、最寄りの階段をどんどん上がっていく。最上階と思われる両開きの扉を開けると、そこは予想通り屋上だった。竿掛けがいくつも並び、柵には大きなタライが何個か立てかけてある。その柵の向こうには温室風の中庭の天井だろうか、目に見える程度の濃度で結界が張られているのが見えた。

「すごい……。こんなに高濃度の結界を広範囲に貼ってるだなんて」

 張景は屋上の端まで駆けていくと柵に乗り出さんばかりに周囲を見渡しながら、感嘆の声を上げた。ふと空を見上げると、目を凝らさないと見えない距離ではあったがうっすらともう一重、施設の敷地をぐるっと包むような結界が張られていることに気付いた。

「二重に術を張ってたんだ……。気付かなかった」

「正確には三重なんだ。ほら、あそこ」

 そう言うとスイは、一棟と反対の方向を指差した。張景は示されるまま、その方向に目を向けた。

 棟の終わりの先には、牧場のように柵で区切られた空き地がいくつかあり、その間に未舗装の通り道が見える。その先には、この三つの棟の半分ほどの大きさで二階建ての建物が、鉄柵に囲まれて建っていた。

「あの離れがアツユが収容されていた危険妖獣の保護施設。あの施設にも結界が張っていて、中は……見たことないからよく知らないけど、檻にもちゃんと護符が貼ってある、らしい。これ、ぜーんぶ雲中子の結界」

「え、全部!?全部って……全部一人で!?」

「少なくとも、維持は一人で管理してるってよ」

「えー……すごすぎる……」

 しばらくぽかんと口を開けて驚くだけの張景だったが、やがてはっと我にかえるとキッとスイの方へ振り返った。

「もしかしてこれが噂に聞く……ワンオペ?」

「あ、いや、いざとなったらなんとかなるようにはなってるって!……多分」

 スイは大きく深呼吸をすると、張景の隣まで歩み寄り柵にもたれかかった。屋上に吹く強めの風を気持ち良さそうに受けながら、笑った。

「だからさ、いざとなったら凄い奴がなんとかしてくれるんだし、心配しなくてもいいよ」

「……気付いてましたか」

「うん」

 沈黙が流れる。

 張景は、内心恥じていいのか安心していいのかわからなかった。ここで働いてみたいという気持ちに嘘はない。しかし、今まで知らない分野の環境で、しかも自分は仙術をほぼ使えないという不安がのしかかって、苦しかった。スイは知らないとはいえ、久々に会った兄にすぐに見抜かれてしまった自分の不甲斐なさに、なんと言葉を続ければいいのかわからない。

「ここだけの話だけど、景くんだけじゃないんだぞ?ここに来たとき不安だった奴」

「そ、そうなんですか?」

 スイはこくりと頷いた。

「修行に行き詰まって来た奴もいたし、師匠と喧嘩して家出同然で転がり込んだ奴もいた。人里に馴染めなくて来た奴とか……そうだ、師匠が真理を探すために突然宇宙に行って途方に暮れたから来たって奴もいたな」

「それは……僕でも途方に暮れますね」

「で、数年後に帰ってきたんだけど、その師匠、そいつになんて言ったと思う?」

「……なんですか?」

「『楽しかったよ、ハワイ』だって」

「……ふっ、ふふ、ははは!う、宇宙、宇宙行ってないし……!」

 耐えきれずに吹き出してしまった張景に、スイもつられて肩を揺らして笑う。ひとしきり笑い終えたところで、スイは張景の背中を軽く叩いた。

「大丈夫、なんだかんだで居場所はあるし、いざとなったら守ってくれる奴も大勢いるよ。最初は何はともかく笑顔だけ、忘れないようにな!」

「……あ」

 そう言いながら笑いかけるスイの表情に、張景はドキリとした。

 もう、遠い昔すぎてほとんど忘れていたのに、今まで思い出すこともなかったのに、その表情には見覚えがあった。

(−−−大丈夫だって、兄ちゃんがついてるからな!)

 その言葉と笑顔に何度安堵しただろうか。どんなに時間が経っても、その笑い方は変わりがない。張景は、なんだか胸が熱くなった。

「さーて、景くん。しばらく下っ端仕事だぞ、オレ達と一緒にな!獣舎の清掃に中庭で草の水やり、それに……」

 と、スイが言いかけたところで遮るように出入り口の扉が開いた。先程スイが『栄ちゃん』(なお姓は林である)と呼んでいた男性の道士だった。階段を駆け上がってきたのか、ぜえぜえと息を切らせていた。

 すぐ近くにいた天明は、直前に数歩ほど避けてからスイの隣へぱたぱたと移動した。

「ス……スイ!よ、ようやく見つけた!ちょっと手伝ってくれ!ええと新人の……張くんも!」

「どうしたんだ栄ちゃん、そんな慌てて」

「延さんが腰をやって来れなくなったって!昼のエサ準備が全然間に合わん!」

「マジか!」

「マジ!」

 栄はヒュウッと息を大きく吸って呼吸を整えると、張景とスイを切羽詰まった表情で交互に見て少し考える素振りを見せた。

「スイと天明は倉庫まで飼料と粉末カルシウム剤を取りに行って!張くんは俺と肉と野菜の下ごしらえを頼めるか?いきなり仕事を任せて申し訳ないが、かなり量があるんだ……!」

「わ、わかりました!」

 張景は栄と共に同棟の一階まで降りると、『給餌準備室』とプレートが挿してある部屋に入った。そこにはステンレス製の調理台と洗い場が数台、それが三列ほど規則的に配置されており、壁には何台か冷蔵庫があった。そしてその調理台及び洗い場には、野菜類と配膳用のボウルが山のように積まれていた。通路にもまだ開けていない野菜が入っていると思われる段ボールが何箱も置かれている。

 その近くに置いてあるまな板の上に、切りかけのニンジンが転がっていたのを、張景は見つけた。栄が少し前までそこで作業していたのだろう。乱雑な切り口で大きさがまばらではあるが、延さんと呼ばれていたスタッフがなかなか来なかったため焦っていたのではないかと考えた。

「これ、全部ですか?」

 張景は積まれた野菜を見ながら、栄に聞いた。

「そうだ。壁に曜日ごとの必要な量と餌の切り方を貼り出してあるから、それを見て作業してくれ。えーっと、包丁はこっち!ああ、包丁の扱いは慣れてるか?魚を捌いたりは……」

「ええ、経験あります」

 その言葉に少し安堵した栄をよそに、張景は壁に貼られた古ぼけた餌の準備方法を確認した。二度ほど全体を確認して、もう一度野菜の山を確認すると、栄を見てにこりと笑った。

「……よかった。これなら三十分ほどで終わりそうですね」

「……はい?」


・・・・


 二十分後、給餌準備室は興奮に包まれていた。

 なぜか入口には人だかりができており、通りがかりに職員が足を止めては人だかりに混ざっていく。

(畢方(ヒッポウ)には一頭につき魚十五尾。鱗は剥がさず尾のみ落とす……を五頭分。いっぱい食べる妖獣なんだな)

「す……すごい!まばたきする間にもどんどん魚の尾が切り落とされていく!」

 栄が思わず手を止めて目を見開いた。栄が口にしたそのままの通り、張景は目も止まらない速さで次々と魚を処理しては足元のバケツに落としていく。

 あっという間に魚の下処理が終えると、張景は次に別のボウルに避けていたキャベツの芯や豆のさやをまな板の上にどっさり置き、包丁をもう一本取り出した。

(当康(トウコウ)は混合飼料に野菜くずを細かく切ったものを混ぜて与える。玉ねぎとジャガイモの芽以外なら全て与えてよし……と)

「な、何ぃぃぃ!?あの山のような野菜クズをミンチ肉を叩くかの如くみじん切りに!?しかも飛び散ってない……だと!?」

 栄が何か叫んでいる。ギャラリーもそれに続いて歓声を上げるが、張景は出来上がったみじん切りの山ごとまな板を片手で持ち上げると、もう片方の手で包丁を器用に使って特大サイズのポリバケツに入れていく。

 料理、特に下ごしらえに関しては張景の腕前は人間の域を超えていた。

 張景の師匠、広成子は古くから高名な仙人である。頻繁に弟子を取ってこそいないが、何千年も生きていれば自然と弟子の人数は(生死関わらずだが)とんでもない事になる。

 たまに兄弟子が修行から帰ってきてはしばらく滞在したり、数年に一度には祝い事などで大勢帰って来るときもある。その際に食事の準備をするのは末弟子の張景だ。

 そんな激務に割と頻繁に揉まれつつ、張景はいかに効率的に食事を提供するか考えた。考えた末に修行の一環として調理技術を鍛えに鍛え抜いた結果が、この漫画じみた高速調理である。

(金華猫には固形餌の上に蒸し鶏を薄く切ったものを……百グラムを五回に分けて、八匹分。普通の猫の量じゃないなコレ)

「切った蒸し鶏が宙を舞ってるだと!?そして均等に……ボウルに入った!?どんな技術なんだ!?新人くんは何者なんだ!?」

「栄さん、手を動かす!手を!」

「あっハイ」

 栄はしゅんと小さくなりながら、言われた通り作業に戻った。

 更に十分ほど経った頃、積み上がっていた食材は張景が宣言した通り綺麗に下ごしらえされ、容器に正確な量で入った状態で並べられていた。

 張景はもうやり残しがないことを確認すると、大きく息をついて栄に視線を向けた。

「終わりました!お疲れ様です」

 と、その言葉を言い終えた瞬間、見物していた職員達から拍手が沸き起こった。張景はその音にびくりと肩を強張らせ、振り返った。

「え、え、あれ、いつの間にこんなに人が!?なんで!?」

「……張く〜ん……」

 戸惑う張景の元に、栄が涙目でよたよたと近づいて来たと思うと、張景の両手をがしっと勢いよく掴んだ。訳がわからない様子の張景に構わず、栄はそのまま上下にぶんぶんと腕を振った。

「ありがとう!ありがとう!!あの量を!こんな短時間で……!本当に助かった!なんとお礼を言ったらいいか!」

「あ、あの……そんな大したことは……」

「謙遜しなくてもいい!誇ってくれ!この技術は俺達を救ったんだ!」

 張景がどう反応したらいいか困っていると、職員の野次が飛んできた。

「すごいぞ新人ーー!」

「かっこよかったぞーー!」

「準備室のメシアーー!!」

「も……もう!みなさんお仕事はーー!?」

 張景の問いもかき消すような歓声に溢れる準備室を、少し離れたところで見守る影があった。

「……なんだアレ」

「……」

 倉庫から戻ってきたスイと天明である。とても割って入れる雰囲気ではなかったため、通路の角から様子を見ていたのだった。

「ま、初日からみんなに愛されてるみたいだし、心配損だったってことだな」

 スイは天明の顔を見上げて笑った。天明の方は始終無表情のままだったが、スイの言葉に少し間を置いて、「ん」と小さく頷いた。

 かくして、トラブルこそあったものの張景の勤務初日は大成功を納め、次第に施設の一員として馴染んでいくこととなる。

 ちなみにこの騒動から数日間『メシア』と呼ばれ続け、張景が内心ちょっと辞めたくなったのは別の話である——。

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