第5話 愛ちゃん、それは鈍すぎるよ
――トントントントン
包丁のリズミカルな音がリビングに響く。
あまり家にいない両親に代わり、今日も理央が二人分の朝食とお弁当を用意してくれているのだ。
理央が作ってしまうのは、私が料理を得意としているわけではないこともあるけど、私がやろうとする前に道具やら場所やらを奪ってしまうのだ。
「おはよ、今日は何作ってるの?」
「それはお昼のお楽しみですー」
「じゃあ楽しみにしまーす」
何かなぁと思って聞いた質問の答は、はぐらかされてしまった。
お弁当用のメニューと朝食用が別々の時と、そのまま変えずに流用する時があり、たぶん理央の気分か予定で決まっているのだろう。どちらにしても美味しいことは確かなので、弁当箱を開けるのが楽しみなのは違いない。
「あ、そうだ理央。おでこ出して」
「うん、なにー?」
作業の手を止めて私の方を向く理央に、例のアレをしてあげる。
「ふええええぇ!?お姉ちゃんからなんてどうして……!?」
理央が言うよりも前にしてあげると、慣れない事態が起きたせいか取り乱していた。
これは昨日、実乃里に相談した後のこと。実乃里が「愛ちゃんからしてあげるのはどう?」と提案したのである。
私からしてあげたところで、理央のためになるとは思えないけど。
「く~っ、気合いが入っちゃうよ!」
気分が落ち着いた(?)理央は袖を捲り、テレビに出演するシェフばりの包丁捌きを披露した。なおみじん切りにするような食材は並んでいなかった。
包丁の音や具材が焼けるパチパチという音をBGMにしながら着替え、並べられた朝ごはんを食べ、愛用の弁当箱を持って家から出る。
「手繋ごう?」
「ん、いいよ」
扉の鍵を閉め、鞄を持っていない方の手がフリーになったところで、私より一回り小さい手を優しく包み込む。
この日は出発から手を繋いで登校することになったのだが、手を繋ぎながらの登校は気恥ずかしいものがあった。予想より視線は感じなかったが、少なくともながら歩きしていなかった人からはちょくちょく見られていた気がする。
早朝の教室でそれを実乃里に報告する。
「愛ちゃんからしてあげた結果は、ずばり~?」
「昨日までと同じかなぁ……」
「尊さは現状維持、と」
「尊さ?」
また妙なことを言っているな……。どういう意図でこの子は質問してきたのだろう。
春休みが明けてからというもの、この幼馴染は尊いとかなんだとか、ニンマリしながら言うようになった。以前は分かりづらいだけだったけど、現在はそれに加えて別種の分かりづらさを感じる。
これは後々どういうことなのか問えばいいとして。
「あ、でも一つ言い忘れてたかも」
「何々?」
「私からしてあげたら動揺してた。この前キスした時もぽわぁって感じ」
「ほぉ~……」
実乃里は目を瞑り、興味深そうに何度も頷いていた。
私より答を悟っているような態度だけど、この者には理央の考えていることが分かるのだろうか。
「理央ちゃんってば、相手から来られるとヘタレになっちゃうのか~。そのギャップが最高だよ~。良い収穫だよ~」
「君はさっきから何を言ってるんだ」
「愛ちゃんに聞きます!」
「は、はい」
何やらボソボソ呟いていた実乃里からいきなりビシィ、と勢いよく人差し指が向けられた。
「愛ちゃんには分からないの?理央ちゃんのことが」
「う~ん……」
「とても分かりやすいと思うけどなぁ~。意外と当事者は気付かないものなのかなぁ」
この口ぶり、やはり私が相談していることに対して正解が浮かんでいる可能性が高い。教えてくれるとは限らないが。
「もうちょっと自分で考えるべし~」
案の定、実乃里は教えてくれなかった。
望んだ答を得られぬまま、朝のホームルームの時間が来てしまった。
◇
昼休み。
弁当箱の蓋を開けると、綺麗に整えられた品々が私の前に現れる。
アスパラガスのベーコン巻きに何層もある卵焼き、ハート形に切られた人参とグリーンピースで彩られたポテトサラダが隙間なく詰められ、ふっくら炊いたお米の上にはふりかけがこれまたハート型にまぶされている。
……ハート形?
「手が込んでるねぇ。理央ちゃん作でしょ~?」
「うん」
「また料理の腕を上げたんだねぇ」
「作り始めた頃から上手かったけど、お弁当まで作るようになってからは味も手際もさらに良くなったから驚きだよね。まだ上がる余地があったのかって」
ところどころ具材にハートの形を入れてくるのはさておき、理央の料理のレベルは高い。家庭科の授業で先生の説明を聞きながらでもやっとできるか否かの私なんか、足元にも及ばない。
ただ、技術以外にも言えることがある。気持ちというか精神的なものというか、そういうもの。
理央が作るのは二人分の弁当だけでなく、朝夜も含めた一日三食だ。理央は学校に通いながらほぼ毎日のように手を抜かず、早朝も夕方も、休日に至っても笑顔でこなしてみせる。
理央にそこまでさせるモノとは。
「二人とは長い付き合いだと思ってたけどねぇ~……まだまだ知らないことが多いものだねぇ。そんなにも鈍くていいのか~!」
「ほう、私が鈍いって?」
「誰に聞いても鈍いって言うと思うよー?愛ちゃんは勉強熱心だったから……ううん、けどこれから学んでいけばいいんだよ!」
先生のようなことを言い出す幼馴染。
私にも思い当たる節がない――ことはない。
だけど確信が持てるわけでもない。理央から直接言われているわけじゃないし、私の脳みそが「そんなアニメじゃないんだから」という指令を出しているのだ。
なんにせよ、まだまだこの答を得られそうにはない。
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