看病

 ここはフレデリックの寝室。

 そこで私はベッドに寝かされているフレデリックを見つめ、医師が診断を終えるのを不安な気持ちで待っていた。


「これは疲労と寝不足による発熱ですね」

「……え? 疫病ではなく?」

「はい。検査したところ、疫病の反応は出ませんでしたから」

「そう、ですか……よかった」


 重大な病気ではなかったことにホッと胸を撫で下ろす。


「ただまだ高熱が続いていますので、しばらく目を離さないでくださいね。もし容態が悪化するようでしたら、すぐにお知らせください」

「わかりました。ありがとうございます」


 私は頭を下げてお礼を言い、医師も一礼してから部屋から出ていった。

 すぐに椅子をベッドの脇に置いて座ると、私の隣にアスランが立つ。


「兄上、すごく無理して薬の完成急いでたからな~」

「そうなのですね……」


 タオルでフレデリックの顔に浮かぶ汗を拭き取りながら、完成が遅くなったことを悔いていた姿を思い出す。

 そんな私をアスランは黙って見つめてきた。

 するとその時、扉の向こうが騒がしくなる。


「どうしたのかしら?」

「ん~、ちょっと見てくるね~」


 アスランは不思議そうにしながらも、扉に近づいていった。

 しかしアスランの目の前で扉が大きく開き、そこからソフィアが部屋の中に飛び込んで来たのだ。

 ソフィアの後ろでは侍女達が困った表情でオロオロしていた。


「アスラン、ちょっと退いて頂戴。ああフレデリック様。病気になられたとお聞きしましたけれど、私が来ましたからもう安心ですわよ! すぐに治して差し上げますわ」


 アスランを押し退け、大きな声を出しながらベッドに近づいてきた。

 私はそんなソフィアにムッとしながら立ち上がり、手を横に伸ばしてフレデリックを庇う。

 ソフィアは私を見て顔をしかめた。


「なんでここにテレジア様がいるの?」

「殿下が倒れられた時にそばにいましたから」

「……そう。まあいいわ。あとは私に任せて貴女は戻っていいわよ」

「……」

「……何よその目は」


 険しい表情でソフィアを見つめたまま、ここを動く気にはなれなかった。


(確かにソフィアの癒しの力なら、すぐに殿下を治すことができるのはわかっているよ。でも……ソフィアには治して欲しくない! だってあの保護施設でのソフィアの行動が酷かったから……いや違う。私が殿下のそばに近づいて欲しくないと思っているからだ)


 自覚した私は鋭い視線をソフィアに向けた。


「ムカつくわね。いいから退きなさいよ!」

「嫌」

「貴女がここに居ても何も役に立たないのよ? それぐらいわかるでしょ? でも私なら、フレデリック様を助けることができるわ」

「……っ」


 ソフィアの言葉に唇を噛みしめる。


(それぐらいわかっているわよ。私にはソフィアのような癒しの力なんてないんだから。でも……)


 ちらりとベッドで眠るフレデリックの顔を見て意思を固め、ソフィアの方を向いた。


「それでも嫌よ」

「なっ!? 貴女全然自分の立場をわかっていないわね! 今は悪役令嬢なんてお呼びじゃないのよ! 今すぐ出ていきなさい!」


 ソフィアは目をつり上げて怒鳴ってきた。

 するとその時、ソフィアの体を腕ごと蔦がぐるぐると巻きついてきたのだ。


「何これ!? うぐっ」


 驚くソフィアの口に蔦が巻きつきその口を塞ぐ。

 私は戸惑いながら視線をアスランの方に向けると、アスランが人差し指をくるくる回していた。


「ねぇ君、ちょっとうるさいよ~。兄上は病人なんだから、出ていてね~」

「うう!!」


 ソフィアは抗議の声を上げているようだが、完全に蔦が口を塞いでいるので唸り声しか出ない。

 アスランはそんなソフィアを見ながら、スッと腕を横に伸ばした。

 その途端、すごい勢いでソフィアは部屋から連れ出されあっという間にどこかに行ってしまったのだ。

 私は唖然としながらアスランに問いかける。


「えっと……ソフィアはどこに?」

「あの子の私室に送ってあるよ~」

「そ、そうなのですね……」

「あ~安心していいよ~。僕が部屋の前に見張りの植物置いておくから、もしまたあの子が来ても追い返しておくよ~」

「……ありがとうございます」

「お礼なんていいよ~。正直僕もちょっとあの子の発言にはムッとしていたし~。それに……」


 アスランは私をじっと見てきた。


「アスラン?」


 その視線の意味がわからず首を傾げる。


「……僕は、好きな人には幸せになって欲しいんだよね~」

「ん? 私もそう思いますが、なぜ今そんなお話を?」

「僕は兄上も好きだよ~」

「??」

「ふふ、兄上のことよろしくね~」


 アスランは笑みを浮かべて私に手を振り部屋から出ていった。

 しかしその去り際、アスランの表情が少し悲しそうに見えたのだった。


  ◆◆◆◆◆


 夜中になってもフレデリックの熱は下がらず、何度もその額の濡れタオルを替えていた。


(せめて少しでも熱が下がればいいのに……)


 苦しそうな寝息に胸が締めつけられる。


(やっぱり……ソフィアの申し出を断らない方がよかったのかな……)


 そんな後悔をし始めていたその時、突然フレデリックが苦しみだした。


「殿下!?」


 慌ててフレデリックに近づくと、何かうわ言を呟いていることに気がつく。

 私は耳を寄せてその言葉を聞いた。


「……行くな」

「え?」

「まだお前に……好きだと……伝えていない……」

「っ!」


 顔を勢いよく上げ、じっとフレデリックの顔を見つめる。


(これって……殿下は想い人の夢を見ているってこと? だけどこの苦しみ方からすると相手は……もうそばにいない。でも夢に見るほどに忘れられないんだ。それほどに好きな人が殿下に……)


 そう思うと胸が苦しくなり、とても悲しい気持ちが押し寄せてくる。


(何、この気持ち?)


 胸元のドレスをぎゅっと掴み苦しみに耐える。

 だけどなぜこんな気持ちになるのか理解できなかった。

 するとその時、フレデリックは右手を上げ悲痛な表情で叫ぶ。


「駄目だ! そっちに行くな!!」

「っ!」


 私は思わずその手を掴み握りしめた。

 そしてフレデリックの耳元で囁く。


「大丈夫よ。どこにも行かないから」


 その言葉を聞いて安心したのか、表情が和らぎ手をゆっくりと下ろしてくれたのだ。


(殿下が少しでも安心して寝れるのなら……今だけ私は、その想い人の振りをするよ)


 落ち着きを取り戻したフレデリックの寝顔を見つめ、泣きそうな気持ちで笑みを浮かべた。

 そして疫病患者の人達にしたように、風の魔法でフレデリックの体を清潔にする。

 しかしその間も、私はフレデリックの手を握り続けていたのだった。






 外から聞こえる小鳥のさえずりに私は目を覚ます。


「うう~ん」


 私は目を擦りながら布団から顔を上げ、ハッとした。


「私、寝てしまっていたんだ!」


 慌ててフレデリックの顔を見ると、規則正しい寝息を立て顔色もよくなっていた。

 さらにずっと握っていた手からは、もう高い熱を感じられなかったのでホッと息を吐く。


「もう大丈夫そうね」


 私はそっとフレデリックの手を離し、布団の中に入れる。

 もう一度フレデリックの顔を見つめ、静かに椅子から立ち上がった。


「殿下、もう無理はしないでね」


 そう呟くと寝室から出ていき、私が朝まで看病していたことは内緒にしてと侍女達に頼む。

 そして後のことは任せると、ランペール邸へと帰っていったのだ。


  ◆◆◆◆◆


 国内で流行った疫病は、特効薬のお陰であっという間に収まった。

 保護施設に居た患者も、次の日には全員元気になって帰っていったと報告を受ける。

 さらにフレデリックも、私が帰ったあの日の午後にはもう政務をこなしていたそうだ。

 その話を聞き、私は『あの仕事人間め……』と呆れて心の中でぼやいていた。

 そうして事後処理も終わり平常時に戻ったことで、総務部の仕事も再開した。

 だけど私は与えられた仕事をこなしながらも、フレデリックを気にするようになった。


(……今日もあんなに仕事を受けて。また倒れたらどうするつもりなの?)


 黙々とペンを走らせるフレデリックと、その机に積み上がっている書類の山を見て目を据わらせる。

 するとその視線に気がついたのか、怪訝な表情で私を見てきた。


「テレジア、何か俺に言いたいことでもあるのか?」

「……じゃあ言わせて貰うわ」


 私は席を立ち、フレデリックの机の前に移動した。

 そんな私に、総務部の皆やビビが戸惑いの表情を向けてくる。

 フレデリックは机の前に立った私を、手を止めて見てきた。


「なんだ? 言ってみろ」

「この際だから言わせて貰うけれど、殿下は働き過ぎよ!」


 私の発言に、総務部の皆は一斉に頷く。

 フレデリックは私と皆を見て、小さくため息をついた。


「そんなことか」

「そんなことかって……殿下はついこの間まで過労で倒れていたのよ? また熱がぶり返すかもしれないからって、お医者様にしばらく休むようにと言われているのを私は知っているわ」

「平気だ。ただ侍医が大袈裟に言っているだけだ。俺の体は俺が一番わかっている」

「いや、わかっていないから倒れたのでしょ?」

「……」


 呆れて言うと、フレデリックはバツが悪そうな顔で視線を逸らす。


「……あの時はたまたまだ」

「はぁ~もういいいわ。でもさすがにこの量は抱え過ぎよ。半分手伝うわ」

「そんなことはしなくていい」

「いいから! 少しは私を頼って」


 私は書類の束を取ろうと手を伸ばす。

 しかしその手を、フレデリックに掴まれ止められた。

 その途端、フレデリックの寝室でずっと手を握っていたことを思い出し、今更ながらに恥ずかしくなる。


「は、離して!」

「何を焦っている? それよりもこれは俺の仕事だ。部下に負担をかけさせるわけにはいかない」

「……っ」


 部下という言葉に胸がズキンと痛み、あのフレデリックのうわ言が頭の中に流れた。

 すると段々ムカムカとした気持ちが沸き起こり、フレデリックをキッと睨みつける。


「ええそうね。殿下にとって私はただの部下よね」

「……なぜ怒っている?」

「怒っていないわ!」

「いや、怒っているだろう」


 フレデリックもイライラしてきたのか、語気を強くしていく。

 だけど私はどうしてもこのムカつきを抑えることができなかった。


「そもそも殿下は、なんでも一人で抱え込み過ぎなのよ!」

「俺一人の方が効率がいいからだ」

「そうかもしれないけれど、人には限度というものがあるわ!」

「だが俺は上司だ。上司が率先してやらなくては示しがつかないだろう」

「上司ならもっと上手く部下を使いなさいよ!」

「使っているだろう!」

「使っていないわ!」


 私とフレデリックはお互いを睨みつけ、一歩も引かなかった。

 そしてフレデリックは眉根を寄せて口を開く。


「……相変わらず可愛げのない奴だ。やはり俺は、お前のことが嫌いだ!」

「奇遇ですね。私もあなたが大嫌いよ!」


 売り言葉に買い言葉で叫んだのだが、私はそこでピタリと動きを止める。


(あれ? この言い合いどこかで…………あ、前世だ)


 私は既視感を覚えていると、ふと前世でも同じやり取りをしていたことを思い出す。

 そのことに戸惑っていると、フレデリックも困惑しているような表情で私を見ていた。

 そんなフレデリックを見つめ、思わずボソリと呟いてしまう。


「黒田部長」

「斉藤」


 同時に発した言葉に、私達はお互いを見つめ目を見開いたのだった。

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