疫病
私は最近の仕事内容に、医薬品関係が増えていることに気がついた。
(どこかで新しく病院ができるのかな?)
そんな風に思い、特に深くは考えなかった。
それから数日後、それは突然起こりだす。
辺境にある小さな村で疫病が流行り始めた。
するとどんどんと周辺の村々に広がり、あっという間に王都にまで到達してしまう。
すぐに国王陛下は各地に医師を派遣し、王都に住む街の人々を城の敷地内にある保護施設に受け入れた。
そしてほとんどの貴族は自宅で療養するか、感染しないように籠っている。
しかし一向に収まる気配を見せず、さらにどの薬も効かないということで、どんどんと状況が悪化していったのだ。
さすがにこんな状況なので仕事も一旦お休みとなっているのだが、フレデリックは忙しそうにしていた。
私もじっとしていることができず、お祖父様やヒースの反対を押しきり、ビビには屋敷で留守番するよう言いつけてから保護施設へ手伝いに向かうことにした。
◆◆◆◆◆
感染予防用に布を折り曲げて口元を覆うように頭の後ろで結び、看病の邪魔になるので髪を結んで帽子の中に入れ込む。
さらに簡素なワンピースとエプロンを身につけ、保護施設の扉をゆっくりと開けた。
「っ!」
マスクをしていても消毒液や薬、さらに人の体臭による様々な臭いに思わず顔をしかめてしまう。
そして目の前に広がる光景に言葉を失った。
(これは……酷い)
そもそもこの保護施設は、有事の際に避難所として使用する目的として作られていたため、中は広い広間となっている。
イメージ的には前世の世界にあった体育館みたいな所だ。
だから患者は皆、床に敷かれた布団に寝かされているのだが、人数が人数なだけにビッチリと埋まってしまっている。
さらには寝やすいようにと光を遮断するためカーテンが閉められており、どうやら窓も閉まっているようだ。
そんな劣悪な環境で患者達は熱にうなされ、至るところで呻き声が上がる。
そんな人々の間を看護師達と、患者の家族だと思われる人達が行き交っているが明らかに人数が足りていない。
だがそれは仕方ないことでもあった。
各地で起きている疫病に対応するため、医療関係者が派遣されている。
それにこの施設に入りきらなかった患者も、街の病院で入院しているためそこにも人が必要だった。
私は必死に看病する人達を見て気合いを入れると、中に足を踏み入れた。
「手伝いに来ました!」
「貴女は?」
私の声に振り返った一人の看護婦が、驚いた表情を向けてきた。
「私はテレジアと言います。とりあえず、まず何をすればいいかしら?」
「えっと……手を貸してくださるのは大変助かるのですが……貴族の方ですよね? そのような方に働いていただくのは……」
「確かに私は貴族ですが、病気の人を看病するのに貴族も平民もありませんわ」
キッパリと言い切ると、看護婦は目を見開いて私を見る。
そして真剣な顔で頷いてくれた。
「では額に乗せてある濡れタオルを、新しい物に替えてあげてください」
「わかりました」
私はすぐに水桶とタオルを持って患者の対応にあたった。
「大丈夫ですよ。必ず治りますから頑張ってください」
一人ずつ声をかけながら額のタオルを替えていく。
水が飲みたいと言う人には、背中を支え飲ませてあげた。
そうしてしばらく看病を続けるが、苦しそうにうなされている人々の多さに心が痛む。
(何か少しでもこの人達の辛さを和らげることができればいいのに……)
自分の無力さに悔しさを感じていた。
するとその時、扉が大きく開き光が広間の中に差し込んできたのだ。
私は驚いて扉の方を見ると、そこには大勢の教会関係者を引き連れたソフィアが立っていた。
(なんでソフィアがここに?)
戸惑っていると、ソフィアはすごく嫌そうな表情を浮かべ手で口と鼻を塞いだ。
「臭っ! それに汚いわね!」
それは広間の奥の方にいる私にも聞こえる声だった。
(いやいや、いくらそう思っても口に出すのは駄目でしょう)
その証拠に教会関係者もソフィアを見て慌てている。
しかしソフィアはそんなことに気がつかず、しかめっ面のまま中を覗き込んで何かを探していた。
そしてそれを見つけたのか、指を差しながら教会関係者に指示を出す。
すると教会関係者の男性二人が、広間の中に入ってきて一人の男性患者を両脇で抱えながらソフィアのもとまで連れていってしまった。
「なっ!?」
その行為に私は抗議しようと腰を浮かせたが、ソフィアが熱で朦朧としている患者に手をかざしているのを見て踏みとどまる。
(もしかして……)
私の予感は的中し、ソフィアの手から光が患者に注がれ全身が輝きだす。
そして光が消えると、患者は意識をハッキリとさせ信じられないといった表情で立ち上がった。
「治ってる……」
体に全く異常がないことを確認し、ソフィアを見て跪き手を合わせた。
「聖女様! ありがとうございます!」
その奇跡の瞬間を目の当たりした教会関係者や看護師から賛辞の声が飛び交い、ソフィアはいまだに口と鼻を塞いでいるが満足そうな顔を浮かべている。
私はこれで皆が助かると安心した。
すると他の患者達が布団から這い出て、ソフィアの方に向かっていったのだ。
「聖女様、私もお助けください」
「苦しいよ~苦しいよ~」
顔色の悪い大勢の患者がふらふらと歩いたり、床を這って動く光景はまるでゾンビ映画のようだった。
ソフィアもそう感じたのか、顔を青ざめ後退していく。
そして聖女にあるまじき暴言を吐いた。
「近寄らないで! 気持ちが悪い! もうゲームに登場したモブキャラを治したのよ。あなた達は登場していないのだから助ける義理はないわ! そもそも本当は、このイベント自体やりたくなかったのよ。でもフレデリック様に私の偉大さを知らしめて、私が大切だと思わせるのに必要だったからやっただけなの!」
その発言に、この場にいる人々は唖然とする。
「あ~もう一秒でもこんな所にいたくないわ! さああなたたち、行きますわよ」
ソフィアはそう言うと、振り返ることなく去っていってしまった。
その後ろを教会関係者も慌てて追いかけていく。
そうして後に残されたのは力なくその場に倒れ込む患者達と、その人々に駆け寄る看護師達だった。
その間にソフィアに治して貰った患者は、居づらくなったのかこっそり出ていったのは知っていたが、特に何も言う気はなかった。
私は布団に戻されていく人々の絶望している顔を見て、段々と怒りが沸き起こる。
(なんなのあの子! 助ける力があるのに、それを使わないってあり得ないんだけど!! それも殿下に自分を選ばせるために一人だけ助けて、あとは関係なって……いくらヒロインでもやっていいことと悪いことがあるよ! ちょっとでもソフィアに期待した私が馬鹿だった。もういい。私にできることをしよう)
憤慨した私は両手を真横にかざす。
その途端、カーテンが一気に開き光が広間全体に差し込む。
次に窓を全て開け空気の入れ替えをした。
「テレジア様、一体何を?」
最初に話しかけてくれた看護婦が、戸惑った表情で問いかけてくる。
「このような陰鬱な空間では、治るものも治らないわ。太陽の光を浴びて換気は大事よ。さあ次は清潔な体にするわ」
私は両手を前に差し出し、頭の中で体を綺麗にするイメージを浮かべた。
すると広間中に爽やかな風が行き渡り患者の体を包み込む。
「ああ、ベタベタだった体がスッキリしていく」
「あの嫌な臭いがなくなった!」
「心地いいわ~」
さっきまで暗かった患者の顔が、明るくなってきた。
そんな皆の様子に、ホッとしながら手を下ろす。
「皆さん、私には病気を治す力はありませんが、少しでも快適に過ごせるよう手助けはしますからおっしゃってくださいね」
そう言って安心させるように、にっこりと微笑んでみせた。
すると皆はなぜか私を見つめ惚けている。
その様子を不思議に思い小首を傾げていると、ここにはいないはずの人の声が聞こえてきた。
「お前はすごいな」
「え?」
驚いて顔を向けると、そこには医師を数人引き連れたフレデリックが立っていたのだ。
「殿下!?」
「お前だけだぞ。率先して看病をしようと動いた貴族は」
「べつに貴族とか関係ないかと。私は私のやるべきことをしたまでよ」
「……そうか」
「っ!」
フレデリックが嬉しそうに笑った。
その瞬間、私の心臓が大きく動き息を詰まらす。
(ま、また珍しい表情を見たから驚いたんだね)
そう自分に言い聞かせ落ち着きを取り戻していると、フレデリックは医師を連れて中に入ってきた。
「では俺も、俺のできることをしよう」
フレデリックはそう言うと、後ろの医師達に合図する。
すると医師達は持っていた大きな鞄を床に置き、中から薬の瓶を取り出した。
「それは?」
私はフレデリックの近くに移動し、不思議そうにその瓶を見つめる。
「疫病の特効薬だ」
「え!?」
「少し時間はかかってしまったが、事前の調査とアスランの植物魔法のお陰で完成することができた」
「……ああそれで、最近の仕事に医薬品関係が多かったのね。でもあれ? その仕事は疫病が流行る前からだったような……」
「……用心に越したことはないと思っていたからだ。しかし、本当はここまで広がる前に食い止めたかった」
フレデリックは悔しそうな顔で手を握りしめる。
その視線は布団に横たわる人々を見ていた。
「殿下……」
きっと薬を完成させるために、すごく苦労をしたのだろう。
(ちゃんと寝れてるのかな? 普段も仕事であまり寝ていないと聞くし……)
なんだかフレデリックの体が心配になってきた。
すると患者に薬を飲ませようとしていた医師の一人が、驚いた声で私達に話しかけてきた。
「フレデリック殿下、ここにいる患者全員当初よりも状態がよくなっています」
「まだ薬を飲んでいないのにか?」
「ええ。おそらくこの薬を飲めば想定よりも早く回復するでしょう」
「そうか。まあいい方向に向かうのであれば、それに越したことはない。頼むぞ」
「はっ」
返事をした医師は、看護師に指示を出し手分けして薬を飲ませていった。
その光景に胸を撫で下ろしていると、後ろから声がかかる。
「どお~? 上手くいってる~?」
「アスラン!」
「やあテレジア、君もここにいたんだね~」
「アスランも来たのか。お前が手伝ってくれたお陰で順調にいっている。ありがとう」
「兄上、そんなお礼なんていいよ~」
アスランはちょっと照れた様子で頭を掻いた。
そんな二人を微笑ましく見ていた私は、ふとフレデリックの顔色が悪いことに気がつく。
「殿下、どこかお体の具合が悪いのですか?」
「……いや、どこも悪く……っ」
突然フレデリックは手で頭を押さえ、体をふらつかせて前のめりに倒れる。
「殿下!!」
「兄上!!」
慌てて私とアスランがフレデリックの体を支えるが、完全に意識はなく体がとても熱くなっていることに気がついた。
その瞬間、悪い考えが頭を過り血の気が引く。
「殿下! 殿下! 嫌、目を覚まして!!」
私の悲痛な叫び声が広間中に響き渡ったのだった。
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