嵐襲来
今日も総務部で仕事の山に追われていた。
(なんでこんなに仕事受けてくるのよ!)
私は恨めしげにフレデリックをちらりと見ると、フレデリックは自分の机で黙々とペンを走らせていた。
しかしその机の上には、私以上に書類の山が積み上がっていたのだ。
「……」
その量を見て私はおとなしく自分の仕事に集中することにした。
そんないつもと変わらない時間が過ぎようとしていたその時、突如嵐がやって来たのだ。
「フレデリック様!」
突然の声に私を始め部屋にいた人々は、開け放たれた扉の方に顔を向ける。
(げっ)
そこにいた人物を見て、私は顔をしかめた。
なぜならそこには、ご立腹顔のソフィアが腰に手を当てて立っていたからだ。
するとビビが私の足元で唸り声を上げ始める。
「ビビ、ここでは駄目よ。お座り」
私は小さな声で言うと、ビビは渋々という感じでその場に座った。
「ふふ、いい子ね」
ビビの頭を撫で誉めてあげる。
すると小さく尻尾を振って反応を返してくれた。
その間にもソフィアは当たり前のようにズカズカと部屋の中に入ってきて、フレデリックの居る机の前で立ち止まった。
フレデリックはそんなソフィアを見て、迷惑そうな表情を浮かべる。
「ソフィア嬢、一体なんの用だ? 俺は見ての通り仕事中なんだが」
「フレデリック様、仕事よりも優先することが他にありますでしょ!」
「俺の記憶する限りでは、そんなモノはなかったはずだが」
「私との時間ですわ!」
「……」
キッパリと言い切るソフィアに、フレデリックは呆れた目を向ける。
しかしソフィアは尚も話しを続けた。
「そもそもどうしてフレデリック様は、図書室にいらっしゃらないの? 私、ずっと待っていましたのよ!」
「……特に約束をした覚えはないが?」
「約束がなくても来て頂かなくては! だってフレデリック様は、図書室で聖女に関する書物を探していた私に声をかけてくださって、そこで色んな書物を二人で読み合い楽しい時間を過ごすのですから。私、このイベントをとても楽しみにしていましたのよ!」
ソフィアの発言に、私とフレデリック以外の人達は、不思議ちゃんを見るような目でソフィアを見ていた。
(そういえば殿下、図書室への用事は必ず誰かに頼んでいたな……。もしかして、ソフィアがいることを知っていたの? ……まさかね。まあでもそれが偶然だったのか意図的だったのかは私にはわからないけど……あの様子からすると、ソフィアのこと相当苦手みたいだね)
まだまだソフィアに文句を言われているフレデリックは、眉間に皺を増やしながら無視してペンを動かしていた。
だけど明らかにイライラしているのが、そのペンの音でわかる。
おそらくいつ爆発してもおかしくない状態だと思う。
ただ相手が教会の後ろ楯のある聖女なため、下手なことが言えないのだろう。
(ノアが総大司教を務めているあの教会……ファランフィット教って、ほとんどの国民に支持されているんだよね。守りの加護も教会からしか受けられないし。だから扱い方を失敗すると、国民が暴徒化する恐れがあるんだよな……)
どの世界でも、宗教系は色々難しいことが多いなとつくづく思った。
「もういいですわ。図書室イベントはこの際諦めます。だから代わりにフレデリック様、私と一緒に城内を散策デートしましょう?」
ソフィアはそう言って、フレデリックの腕に自分の腕を絡ませ立ち上がらせようとした。
それを見た瞬間、なぜかわからないが私の胸がズキンと痛んだ。
その痛みに戸惑い、自分の胸を押さえる。
(なんだろう?)
しかし原因がわからず首を傾げた。
するとフレデリックの低い声が耳に届く。
「見てわからないのか? 俺は仕事で忙しい。城内を散策したいのなら、一人で行ったらどうだ?」
フレデリックは不機嫌そうにソフィアの手を外す。
だがソフィアはめげることなく、あろうことかフレデリックが書いていた書類を奪い取ったのだ。
「じゃあ、私がフレデリック様の仕事を手伝ってあげますわ。そうすれば私との時間を作ってくださるでしょ?」
「ソフィア嬢にそれは無理だ。返すように」
フレデリックはなんとか怒りを我慢している様子で、ソフィアに向かって手を差し出す。
だけどソフィアはフレデリックからサッと離れ、書類をじっと見つめる。
そして難しい顔に変わった。
「……全くわからないわ」
ソフィアは険しい表情のまま周りを見回し、私に気がつくと一瞬顔を歪めるがすぐにニヤリと笑い迷うことなくこちらに向かって歩いて来た。
その様子に、なんだか嫌な予感がする。
「そういえばテレジア様は、フレデリック様の部下でしたわね。だったらこれもやっておいてくださいね」
そう言いながらソフィアは、ドンと持っていた書類を私の机に叩きつけたのだ。
するとその衝撃で私の机に積まれていた書類の山が雪崩を起こし、机の上がぐちゃぐちゃになってしまった。
「あぁ……」
私は唖然と机の上に散乱した書類を見つめる。
そしてその惨状により、部屋の中はシーンと静まり返った。
(完了済みと未完了の書類が混ざってしまったよ……泣きたい)
余計な仕事が増えてしまい、ガックリと肩を落とす。
しかしソフィアは全く悪びれもせず、胸の前で腕を組み私を嘲笑った。
「あら~大変ですわね。でも貴女がちゃんと積んでいなかったのが悪いのよ。そうだわ! どうせ整理するのだから、フレデリック様の残りの仕事も貴女がやったらいいわ。そうすれば、私とフレデリック様はデートに出掛けられるから」
その瞬間、部屋にいる人々から殺気がわき起こる。
ビビも牙を剥き出して唸り声を上げ始めた。
そして私も目が据わり、怒りが込み上げてきた。
「な、何よその目は……私は悪くないわ!」
皆の冷たい視線を受け、ソフィアは叫ぶ。
その時大きく机を叩く音が聞こえ、私達は驚きながら一斉にその音が聞こえた方を向いた。
そこには机に両手をついて立ち上がり、うつむいているフレデリックがいたのだ。
「フレデリック様? どうかなさったの?」
ソフィアは戸惑いながら声をかける。
するとフレデリックは勢いよく顔を上げ、ソフィアを睨みつけた。
「……出ていけ」
「え?」
「今すぐ出ていけと言ったんだ」
「なぜ私が出ていかないといけないの!?」
「仕事の邪魔だというのがわからないのか?」
「私はフレデリック様の邪魔などしていませんわ!」
「なぜこれで邪魔をしていないと言い切れるのか俺にはわからん。そもそもここに女がいること自体十分邪魔なんだが」
フレデリックは完全に目を据わらせている。
さすがのソフィアも、そのフレデリックの様子にたじろいでいた。
ソフィアは周りを見回しそして私を指差す。
「女の私が邪魔だと言うのでしたら、テレジア様はどうなのです? ここに女は一人しかいないようですけど、テレジア様も女ですわよ!」
そう、この総務部には女性は私一人しかいない。
なぜならほとんどの女性は、フレデリックを目当てに入ってこようとしていたからだ。
そんな下心のある者をフレデリックが採用するはずもなく、さらに過酷な仕事内容に普通の女性は耐えられない。
だから私という存在は異例中の異例だった。
「テレジアは俺が認めた唯一の女だ。ソフィア嬢とは全然違う」
「なっ!?」
キッパリと言い切ったフレデリックを見て、ソフィアは目を見開いて固まる。
そんな二人を見ながら、私は顔が緩むのを必死に抑えていた。
(殿下は私のことをそんな風に思ってくれてたんだ。わぁ~どうしよう。すごく嬉しいんだけど……)
そう思っていると、ソフィアが私を見てキッと睨みつけてきた。
「なんで皆この女ばっかり!」
今にも掴みかかられそうな雰囲気に私は身構えていると、私の前にフレデリックが庇うように立ってくれた。
さらにビビもソフィアを威嚇している。
よく見ると他の皆も、いつでも動けるような体勢で構えていたのだ。
その皆の様子に、ソフィアは悔しそうにしながらも一歩後退した。
「ふ、ふん! さすが悪役令嬢ね。私の神経を逆撫でしてくる状況を作ってくるんですもの。仕方ないから今日は引き下がって差し上げるわ。でも勘違いしないで頂戴。今日だけだから。今度は絶対諦めないわ。だって本命なんですもの!」
ソフィアはちらりとフレデリックの顔を見る。
「……ソフィア嬢、いい加減出ていってもらおうか」
「わ、わかりましたわよ」
フレデリックの気迫にソフィアは顔を引きつらせ、もう一度私を睨んでから慌てて部屋から出ていった。
「はぁ~厄介な相手だ。まあいい。お前達、騒がしくしてすまなかったな。仕事に戻ってくれ」
フレデリックはため息をつくと、皆に声をかける。
その言葉を聞き、皆はお互いの顔を見てから自分の仕事に戻っていった。
するとフィンが私のもとに駆け寄ってくる。
「テレジア様、片付けるのをお手伝いいたしますね」
「ありがとう。でも一人で大丈夫よ。フィンも仕事があるのだから、そっちを優先してね」
「でも……」
「フィン、ここは俺に任せてお前は戻れ」
戸惑うフィンはフレデリックを見て何かを察し、頷いてから自分の机に戻っていった。
そしてフレデリックは、私の机の上で散らばった書類を集めだしたのだ。
「殿下!? そんなことして頂かなくてもいいわ!」
「俺の書類を探すついでだ。気にするな」
「気にするなと言われても……」
ちゃんと完了済みと未完了に仕分けしてくれているのを見て、申し訳ない気持ちになりながらもその優しさが嬉しかった。
「ありがとうございます」
お礼を言って私も一緒に片付けを始める。
「……テレジア、もしソフィア嬢が何かしてくるようだったら、すぐに俺に言え。俺が対処する」
「殿下……」
「大切な部下を守るのも、上司の務めだからな」
「っ、ありがとうございます!」
私はさっき聞いたフレデリックの認めている発言を思い出し、さらに嬉しさが込み上げてきた。
そして顔がにやけるのを抑えることができない。
するとフレデリックは、怪訝な表情を私に向けてきた。
「どうした?」
「な、なんでもないわ!」
「だが、変な顔になっているぞ?」
「なっ!?」
「時々奇妙な表情をする時があるが、今日はいつにも増して変だな」
「奇妙? 変? ……っ、女性にそのようなことを平気で言う殿下の方が変よ!!」
「なんだと?」
目をつり上げて叫ぶと、フレデリックもムッとした顔になる。
(せっかく見直したのに!)
結局そのまま私達は、いつものように言い合いを始めてしまったのだ。
しかし私の中で大嫌いだったはずのフレデリックへの想いが、少しずつ変化していったことにまだこの時の私は気がついていなかったのだった。
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