イベント?

 慌てて帰ってきたことに屋敷の皆は驚いていたが、とりあえず今は一人になりたくて自室に駆け込む。

 そしてベッドを背にして床に座り込み、膝を抱えて顔を埋める。


(なんで私、こんなに動揺しているの?)


 困惑していると、ふとフレデリックの笑みが脳裏に浮かぶ。


「っ!」


 私は思いっきり顔を上げ、振り払うように頭を高速で横に振る。

 そしてもう一度顔を埋めた。


(なんなのこれ? 意味がわかんないんだけど!)


 意味がわからなすぎて、段々と怒りが込み上げてくる。

 しかしそんな私の手を何かがペロリと舐めてきた。

 顔を上げて見てみると、心配そうな様子でビビが私の手を舐めていたのだ。


「ビビ……っ心配してくれてありがとうね!」


 私はビビを胸に抱きそのフワフワな毛並みに頬擦りする。

 するとその気持ちよさに、私は落ち着きを取り戻していったのだ。


「はぁ~、わからないことを悩み続けているのが馬鹿らしくなってきた。うん。多分あれは……物珍しいモノを見たからびっくりしただけなんだと思う。だってあの男、普段全然笑わないんだから」


 そう思うことにしないといつまでも悩んでしまうから、無理にでも納得することにしたのだった。


  ◆◆◆◆◆


 次の日、あの謎の感情は特に深い意味はないと考えたおかげで、フレデリックに会っても普段通りに接することができた。

 そのことにホッとしながら、今日も仕事を黙々とこなす。


「この書類の確認お願いします」


 私は出来上がった書類をフレデリックに手渡す。

 フレデリックはそれを受け取り、すぐに内容を確認する。


「特に問題はない」

「じゃあ、このまま届けてくるわね」

「ああ頼む。だがどこかで道草を食うなよ。まだまだ仕事は残っているんだからな」

「そんなことしないわよ! 届けたらすぐに戻ってくるわ」


 ムッとした顔でフレデリックから書類を受けとると、早足で部屋から出ていく。

 そしてビビも私を追いかけて一緒に来てくれた。







 書類を渡し終わると、総務部に戻るため急ぎ足で廊下を歩く。


(絶対遅いとか言わせないから!)


 そう思いさらに速度を上げて歩きだした。

 しかしその時、どこからともなく現れた蔦が私の体に巻きついたのだ。


「へっ?」


 腰にしっかりと巻きついている蔦を見て困惑していると、突然強い力で後ろへ一気に引っ張られた。


「ひゃぁぁぁぁぁぁ!」


 すごい速度で引っ張られているので、私の足は浮いている。

 まるで凧のような状態で移動させられていたのだ。

 ちなみにビビはこの速度に追いつけず、遠くの方で追いかけてきてくれているのが見えていた。

 そうして廊下を抜け庭の木々を避けつつ進み、最後に大きな葉っぱのクッションで受け止められようやく停止する。

 私はひどくぐったりとしながらうなだれ、気持ち悪さに耐えていた。


「アスラン……お願いですから、こんな風に呼びつけるのは止めて頂けませんか? 用事があるなら、誰かに頼んで呼んでください」


 そう言いながら、いつもの定位置である木の枝を胡乱げに見上げる。

 しかしそこに居たアスランは、私をちらりと見るとなんだか迷惑そうな表情で視線を移動させた。

 それを不思議に思い、アスランとは逆の方に体を向けて確認する。

 そして私は固まった。

 なぜならそこには、驚いた表情で私を見て固まっているソフィアがいたからだ。

 私達の間にしばし沈黙が流れる。


(えっと……この状況って、もしかしてイベント中だったりする?)


 木の枝に座るアスランとソフィアを見比べ、私はそう思った。

 おそらく木の上でお昼寝していたアスランに、ソフィアが声をかけ発生した会話イベントなのだろう。

 そこに私が現れたということは、悪役令嬢のように邪魔をしろということなのかも。


(ん? でも、アスランに無理やり連れてこられたのに邪魔をするのって、ちょっとおかしくない?)


 疑問に思っていると、ハッと我に返ったソフィアがふふんと笑ってきた。


「さすが悪役令嬢ね。私とアスランとのイベントに気がついて現れるなんて」

「いえ、そういうわけでは……」

(というか、望んで来たわけではないんだけど……見てわかるよね?)


 しかしソフィアにはそうは見えなかったようだ。


「でも残念でしたわね。ここではまだ貴女は登場しないのよ。アスランとの楽しい時間の邪魔になるから、去って頂戴」

「あ、じゃあそうさせて……」


 本来なら序列的に公爵令嬢の私に対して、伯爵令嬢であるソフィアの口の聞き方はだいぶ問題ではある。

 それでも関り合いたくない身としては、この場を離れることの方が重要だった。

 だからソフィアの言葉に、私は素直に従い立ち去ろうとした。

 しかし一歩足を踏み出し、進めないことに気がつく。


(そういえば、まだ蔦が巻きついたままだった)


 自分の腰に視線を向け、苦笑いを浮かべる。


「アスラン、この蔦外して頂けませんか?」

「……嫌~」

「嫌って……外して頂けないと戻れないのですが」

「戻って欲しくないから、外さないんだよ~」


 木の上のアスランに話しかけると、アスランは困った表情で訴えてきた。

 そこでようやく、なぜ私がここに連れてこられたのかを悟る。


(ああ、ソフィアをなんとかして欲しいんだね)


 ちらりとソフィアを見て納得する。

 ソフィアは不満そうな顔でアスランに話しかけた。


「アスラン、私は貴方と二人きりでお話がしたいのよ」

「だから~僕は、君と話すことなんてないんだよ~」

「それはまだ貴方が私のことを知らないからよ。今は距離を縮めていく段階なの。大丈夫、私を知ればすぐに私のことが気になってしょうがなくなるわ」

「……」


 アスランは助けを求めるように私を見てきた。

 その様子に、私は小さくため息をつくとソフィアに話しかけた。


「ソフィア、アスランは貴女とお話をしたくないようだし、今回のところは身を引いて貰えないかしら?」

「そんなはずないわ! だって私とアスランは、ここで楽しく会話をして次も会う約束をするんですもの!」

「……でも楽しく会話が弾んでるようには、とても見えませんでしたわよ?」

「これからそうなる所だったのよ! いくら悪役令嬢だからって、関係ない所で邪魔しないでよ!」


 ソフィアの発言に頭が痛くなってきた。


(駄目だ。全く引く気がないらしい……)


 どうしたものかと頭を悩ませていたその時──。


「ワン!」


 私の後ろでビビの鳴き声が聞こえた。

 振り返るとビビが、私を見上げながら尻尾を振っていたのだ。


「あ、ビビ追いついたのね」

「ワン」


 あんなに離れていたのに、私をちゃんと追いかけて来てくれたことが嬉しくなった。


「わぁ! 可愛い!!」


 その声に振り向くと、ソフィアは両手を祈るように組んで目を輝かせている。

 さらに両手を広げ、ビビに近づこうとしてきた。


「こんなワンちゃん出てこなかったけど……きっと描かれていなかっただけね。ふふ、ほら私の方にいらっしゃい。可愛がってあげるわ」


 完全にアスランのことはそっちのけでビビに夢中のようだ。

 そんなソフィアにビビを触らせたくなくて、ビビを後ろに庇おうとした。

 しかし突然ビビが姿勢を低くし、牙を剥き出しにして唸り声を上げだす。

 その姿は初めてビビと出会った時と同じで、完全に敵意を露にしていた。

 そしてすごい勢いでソフィアに向かって吠え出したのだ。


「きゃぁ!」

「ビビ!?」


 いつもと様子の違うビビに驚く。

 私は慌ててビビを胸に抱き落ち着かせようとするが、全然吠えるのを止めようとしなかった。


「なんなのその犬! 全然可愛くないわ!」


 ソフィアは顔を引きつらせ後退りする。

 それでもビビはソフィアに向かって吠え続けたのだ。


「飼い主に似て性格は最悪なのね! もういいわ。気分が悪くなったことだし、このイベントは捨てることにするわ。どうせこれぐらいなくなっても、そうたいして問題ないでしょう。それに私の推しは別なんだし。ふん、これで失礼するわ」


 ソフィアはツンと顔を背けると、そのまま振り返らず去っていってしまった。

 その姿が見えなくなって、ようやくビビは吠えるのを止めた。

 その頭を撫でながら、不思議そうに問いかける。


「ビビ、一体どうしたの? 今まであんなに吠えたことなかったのに……」

「クゥン」


 怒られたと思ったのか、耳がしゅんと垂れてしまう。


「怒ってないから大丈夫よ。でも……ある意味助かったわ」


 どうしようかと思っていたので、ソフィアを追い返してくれたことに感謝した。

 するとビビの耳がピンと立ち、嬉しそうに尻尾が揺れる。

 その様子にクスッと笑い、頭上のアスランに声をかけた。


「ソフィアはもういませんので、そろそろこの蔦を外して貰えませんか?」


 ソフィアと話している間もずっと腰に巻きついたままだったので、正直情けない姿だった。

 しかしアスランはじっと私を見つめると、人差し指をくるりと回した。

 途端私の体は蔦によって上に引っ張り上げられたのだ。


「なっ!?」


 離してくれるのかと思ったら逆に持ち上げられ、困惑しているうちに私はアスランの隣に座らされた。

 そうしてようやく蔦が、私の腰から離れていってくれた。


「アスラン、私そろそろ戻らないといけないのですが……」

「少しだけ一緒にいて欲しいな~」


 いつもの眠たげな表情だが、目だけはしっかりと私を見ている。

 そんなアスランに、私は小さくため息をついて頷いた。


「少しだけですよ。まあ確かに、ソフィアがもう戻ってこないとは言いきれませんから」


 そう言いながら戻ったらきっとフレデリックに、遅いと怒られるのだろうなと半分諦めモードになっていた。


「あの子……僕がここでお昼寝をしていたら、突然大きな声で話しかけてきたんだ~」


 その様子がありありと思い浮かぶ。


「眠いから~って言ったのに全然帰ってくれなくて、ずっと一人で喋り続けていたんだよ~」

「あ~なんとなく想像出来ます」


 アスランの様子などお構いなしに話し続けるソフィアの姿に、苦笑いを浮かべる。


「だからテレジアを呼んだんだ~」

「そもそもその呼び方に問題あるのですが……まあその話は今はいいです。それよりも、なぜ私を呼ばれたのですか?」

「ん~テレジアならなんとかしてくれるかな~と思って~」

「その信頼は一体どこから……」

「でもちゃんと助けてくれたよね、ありがと~」

「まあ正確には、追い払ってくれたのはビビですよ」


 ビビを両手で持ち、アスランに見せつけるように突き出した。


「ワン!」


 そのビビはまるでわかっているかのように、誇らしげに吠えたのだ。

 アスランはそんなビビを見て顔を緩ませ、その頭を撫でた。


「ありがとうね~」


 ビビは嬉しいのか、尻尾が大きく揺れている。


「はぁ~、それにしても疲れたな~」


 アスランはそう言うと、私の膝に頭を乗せ腰に両手を回して抱きついてきたのだ。


「アスラン!?」

「やっぱりテレジアと一緒にいるのが、一番落ち着くよ~」

「いや、だからって抱きつかれなくても……」

「ふふ、テレジアの体柔らかいね~」


 膝に頬擦りをしてくるアスランに、私はどうしたものかと困ってしまう。


「アスラン、くすぐったいです。それにいくらここが人目につかない場所とは言え、誰もこないとは限らないのですよ? さすがにこの姿を見られるのはちょっと……」


 ちらちらと周りを気にしながらアスランに言うが、なぜかもっと強く抱きつかれてしまった。


「ちょっ、アスラン!?」

「べつに見せつければいいと思うけどな~」

「いいわけないですから!」

「気にしな~い。気にしな~い。ふわぁ~眠くなってきた~。僕寝るね~。おやすみ~」

「なっ、アスラン寝ない……本当に寝ちゃった」


 気持ちよさそうに寝息をたてはじめたアスランを見て、私はガックリと肩を落とす。

 そしてしっかりと抱きつかれてしまっているため動くに動けず、だからといって無理やり起こすのも気が引けたので結局諦めてその場に居続けた。

 そのうちビビも私の傍らで眠りだしてしまい、全然起きる様子もないアスランを膝に乗せたまま途方に暮れていた。

 するとそんな所に、フレデリックが現れたのだ。


「……お前はそこで何をしている?」

「私に聞かないで……」


 胡乱げな眼差しを向けられ、私は目を据わらせる。

 そんな私の様子に何か察したフレデリックは、小さくため息をつくと人差し指を立てくの字に曲げた。

 途端アスランの頭のすぐ上に拳大程度の氷の塊が現れ、そのまま頭に落ちたのだ。


「痛った~」


 目を覚ましたアスランは、頭を擦りながら身を起こし私から離れてくれた。


「ようやく起きたか」

「兄上……もっと優しく起こして欲しいな~」

「こうしないとお前はなかなか起きないだろう。それよりも、そろそろテレジアを返してもらうぞ」


 フレデリックはそう言うと、今度は私に向かって手をかざしてきた。

 するとそこから氷の蔦が出現し、私の腰に巻きつく。

 そしてそのまま引っ張られるように落とされたのだ。


「ひゃぁぁぁぁぁ!」


 本日二度目の叫び声を上げながら落下していく。

 しかし地面に激突する前に、私はフレデリックに受け止められた。

 横抱きに抱えられながら、私は涙目でフレデリックを睨みつける。


「もう少しマシな方法はなかったのかしら」

「これが手っ取り早いと思ったからだ」


 全く悪びれる様子のないフレデリックに、私はガックリと力を落とす。


(この兄弟は……)


 もうなんでもいいと諦めながら、地面におろしてもらった。

 そんな私のもとに、器用に木を降りてきたビビも到着する。


「ほらテレジア、行くぞ。追加の仕事も入ったからな。時間がないぞ」

「……はい? もしかしてまた引き受けてしまったの!?」

「そんなたいした量じゃない。だがお前が奇声を上げ、どこかに連れて行かれたと報告を受け探しに来たからな。時間が押しているのは事実だ。急いで戻るぞ」

「くっ、そもそも私は巻き込まれただけなのに……」


 正直納得はできないが、それでも戻るのが遅くなるだけ大変になるのがわかっているので、私は素直に歩きだした。


「テレジア、今日はありがとうね~」


 振り返ると、アスランが木の上から手を振って見送っている。

 そのアスランに軽く手を振り返すと、私はフレデリックと共に大急ぎで総務部に戻って行ったのだった。

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