忠犬

「さて元気になったことだし、あなたのことをこれからどうするか考えないとね」


 私の膝の上に座り、気持ちよさそうに私に撫でられている子犬に話しかける。

 すると子犬はきょとんとした目で私の顔を見てきた。


「くっ私だって本当は、このままあなたを飼ってあげたいのよ? だけど私もここでは居候の身なの。ごめんね。でも心配しないで、絶対優しい飼い主を見つけてあげるから!」

「クゥン……」


 子犬は何かを察したのか、耳と尻尾が下がりとても悲しそうな表情で鳴いた。

 そんな姿は見て、私は思わずぎゅっと子犬を抱きしめる。


「べつに飼ってもいいぞ」

「え!?」


 突然の声に驚いて顔を上げると、扉付近でお祖父様が苦笑いを浮かべながら立っていたのだ。


「お祖父様!? 飼っていいと言われるのは……」

「もちろんその子犬だ。テレジア、お前が飼っていいとワシが許可しよう」

「ほ、本当ですか!? お祖父様!」


 私は子犬を抱いたままソファから立ち上がり、急いでお祖父様のもとに駆け寄る。


「ああ本当だ。それにこの子犬もお前から離れたくないようだしな」


 お祖父様はちらりと子犬に視線を向けたので私も見てみると、小さな手でしっかりと私のドレスを掴み離れないといわんばかりに体をくっつかせていた。

 その姿が愛らしく、もう一度ぎゅっと抱きしめる。

 そして笑顔でお祖父様にお礼を言った。


「お祖父様、ありがとうございます!」

「礼などよいよい。しかし珍しい見た目の犬で少し驚きはしたが……よく見ると賢そうではないか。ふむ、お前しっかりとテレジアを守るのだぞ」

「ワン!」


 お祖父様に頭を撫でられていた子犬は、返事をするように力強く吠えたのだ。

 それを見てお祖父様も頷き、笑みを浮かべる。


「テレジア、この子犬に名前を付けてやらんのか?」

「ええもちろん付けますわ! う~ん、どんな名前がいいかしら……」


 私はじっと子犬を見つめ、ある名前が頭に浮かんだ。


「ビビ……ビビにします!」

「ビビか……いい名だな」


 お祖父様は名前を呟き、そして頷いてくれた。


(実はこの名前、前世の実家で飼っていた犬の名前なんだよね~。だから馴染みがあって呼びやすいかな~と。まああの子は雌でこの子は雄なんだけど……でもビビなら、どっちでも変じゃないと思ったからさ。それに前世で一度調べたことがあるんだけど『viviビビ』の意味が、ある国では『生きる』って言うらしいんだよね。だからこの子には、長生きして欲しくてこの名前にしたんだ)


 私はビビを見ながらにっこりと微笑む。


「あなたの名前はビビよ。これからよろしくね」

「ワン!」


 ビビは嬉しそうに吠え、尻尾をブンブンと振りだした。

 その時なぜかわからないが、心臓がほんのり温かくなったように感じたのだ。


(なんだろう?)


 不思議に思いちらりと視線だけ自分の胸元に移すが、特に変わった様子はなかった。


(気のせいかな? 今は温かくないし)


 そう思い、気にしないことにした。


「それよりもテレジア、随分のんびりしているようだが今日は休みなのか? ヒースは早出だからと言ってもう出ていったが」

「え? ……ああ! 遅刻する!!」


 私は部屋にある時計を見て慌てて支度を始めた。

 そして準備を終えると、お祖父様へ出発の挨拶をして部屋から飛び出す。


「あ、おいテレジア……まあよいか」


 何か後ろの方でお祖父様が言っていたが、確認している時間はもうなかった。

 急いで玄関扉を開けると、そこには見慣れた馬車が一台停まっていたのだ。


「遅くなってごめんなさい!」

「いえいえ、昨日はあれから大変だったと、執事長のセバスさんからお聞きしていますから」


 すっかり顔馴染みになった御者が、馬の体を撫でながら笑顔で振り返り答えてくれた。

 しかし御者は私の足元を見て、ぎょっとした顔になる。


「どうかしたの?」

「いえ、あの……そいつは昨日の子犬ですか?」

「え?」


 私は御者の視線を追い自分の足元を見ると、そこにはお行儀よくお座りをしているビビがいたのだ。


「ビビ!?」


 名前を呼ぶと嬉しそうに尻尾を振られた。


「も、もしかしてビビ……ついてくるつもりなの?」

「ワン、ワン」


 ビビは立ち上がりその場でくるくると回ると、一目散に開いていた馬車の中に駆け込んでしまった。


「ちょっ、ビビ!」


 私は慌てて馬車まで駆け寄り中を覗き込むと、ビビが椅子の上で寛いでいる光景がそこにあった。


「ビビ、駄目よ。あなたは連れて行けないわ」


 そう言ってみるが、ビビは聞こえてませんというようにそっぽを向いて動こうとはしない。


(……昨日の今日だし、まだ私と離れるのは不安なのかもしれないわね)


 人間に虐められ酷く警戒していた様子を思い出し、私は肩を竦ませる。


(仕方ない、とりあえず今日は殿下に事情を話して一緒にいるのを許可して貰おう)


 そう決め、御者に声をかける。


「悪いのだけれど、今日はあの子も一緒に乗せて貰うわね」

「え? ま、まあ、それは構わないのですが……本当にあの子犬は昨日の子犬なのですか?」

「そうよ。ああ昨日よりも毛並みがフワフワで驚いているのね。あそこまでするのにすごく苦労したけれど、綺麗に洗えているでしょ?」

「いや、そういう意味では……確か結構怪我が酷かったと思うのですが」

「ああ、あれね。よくわからないけれど一晩で治ったの」

「治った!? それもたった一晩で!?」


 御者が驚きに目を瞪り、ビビを見る。

 しかしビビはなんてことない顔で、あくびをするとそのまま眠りだそうとしていた。


「……もう深くは考えないことにいたします。さあ、そろそろ出ましょうか」

「あ、そうね。じゃあ今日もよろしくお願いするわ」

「はい」


 御者の手を借り馬車に乗り込むと、ビビは私の膝の上に移動し今度こそ完全に眠りだす。

 そんなビビを見てクスッと笑うと、フワフワの毛並みを確かめるように撫でながら、城につくまで至福の時間を堪能していたのであった。


  ◆◆◆◆◆


「遅くなってごめんなさい!」

「……何かあったのか?」


 仕事場に入った私は、素直に遅刻したことを謝る。

 するとフレデリックが、怪訝な表情で私に問いかけてきた。


「何かあったというか……」

「どうした? ……というか、なぜ犬を一緒に連れている?」


 私の足元に寄り添うビビを見て、フレデリックは眉間に皺を増やす。


「えっと……この子に関したことなの。実は……」


 そうして私は、昨日から今日にかけてあったことを説明したのだ。

 私の話を聞き終えたフレデリックは、ビビを見て小さくため息をつく。


「事情はわかった。それにもう連れてきてしまっているからな。今日だけ認めよう。だがもし仕事の邪魔になるようなら、無理にでも使用人に預からせるからな」

「殿下、ありがとうございます。ビビ、よかったわね。でもいい子にしているのよ」

「ワン!」


 まるで返事でもするようにビビは吠えてくれた。

 そんなビビを、フレデリックはじっと見つめる。


「しかしこの犬……何かに似ているような……」

「殿下、何か言われました?」

「いや、なんでもない。それよりも遅れた分、しっかりと仕事してくれよ」

「もちろんわかってるわ。さあビビこっちよ」


 私はビビを連れ、自分の机に向かう。

 するとそこに、フィンがクッションを持ってやって来た。


「テレジア様、よかったらビビちゃんに、このクッションを使ってあげてください」

「あら、フィンありがとう。使わせていただくわ」


 フィンからクッションを受け取り床に置いてあげると、ビビはその上に座って寛ぎ始めた。

 そんなビビにフィンは、にこにこと笑みを浮かべ頭を撫でてあげる。

 そしてビビは嬉しそうに尻尾を振りだした。


(くっ、ワンコが二匹!)


 あまりの可愛さに、身悶えしそうになる。


「テレジア……仕事の邪魔になるようなら」

「っ! 仕事するわ! ほらフィンも」

「あ、はい! じゃあビビまたね」


 ビビに手を振りフィンは慌てて席に戻り、私も机に積み上がっている書類に手を伸ばした。

 そうしてしばらく書類整理をしていたのだが、ふとあることに気がつく。


「誰かこの書類を向こうの机に……お、おい、これはおもちゃじゃ! …………ありがとう」

「あ~また俺のペンがどっかに! へっ? 見つけてくれたのか?」

「誰だオレの所にまだ未処理の書類置いたのは!」

「あ、ごめんごめん。それまだだったか」

「ちゃんと確認しろよ! ほら持って……」

「あ、ありがとう」


 いたる所で戸惑いの声が上がっている。

 なぜならビビが、皆の手伝いをしていたからだ。

 書類を口に挟んで運んだり、無くしたと騒いでいる人の私物を見つけてあげたりと大活躍している。

 私は驚いた表情でビビを見ていると、私に気がついたのか嬉しそうに戻ってきた。

 そしてちょこんとお座りをして、まるで何かを期待しているかのような目でじっと私を見てくる。


「……もしかして、私のお手伝いがしたいの?」

「ワン!」

「えっと……これ、書き終わったから殿下のもとに持っていってくれる?」


 するとビビはわかりました、というように口を開け、私が渡すのを待っていた。

 私はそっとその口に書類を持っていくと、破れないように丁寧に口を閉じフレデリックのもとに向かっていく。

 そしてビビはフレデリックのもとに到着すると、机の脚を前足で器用にカリカリと掻いて音を鳴らす。

 さすがに他の人にやっていたような、机の上に飛び乗る行為はしないようだ。


「……俺にか。ありがとう」


 フレデリックも戸惑いながら書類をビビから受け取る。

 見届けたビビは、やったよ! といわんばかりに急いで私のもとに駆け戻ってきた。

 そして尻尾をブンブン振って私を見上げてくる。


「ありがとうね、ビビ!」


 本当ならぎゅっと抱きしめたいのを抑え、代わりに頭を激しく撫でてあげる。

 それが嬉しいのか、さらに尻尾の振りが早くなったのだ。

 その瞬間、部屋の中はとても和やかな雰囲気に包まれたのだった。








 終業時間となり、皆がそれぞれ帰宅していく。

 しかし必ずといっていいほど皆は、ビビの頭を撫でてから部屋から出ていった。


「正直オレ、この見た目だから最初ちょっと怖かったんですよ。でも全然怖くなくて、むしろビビちゃん可愛いですね!」


 そう言ってくれる人もいたのだ。

 それが嬉しくて、結局見せびらかすように皆が帰るのをビビと共に見送る。


「ビビちゃん、今日は色々ありがとうね! ボクのミスをカバーしてくれて」


 フィンがビビを抱きしめると、ビビも嬉しそうに尻尾を振る。


(確かにビビのサポートはすごかったな~。フィンが部屋の中で盛大に転んで持っていた書類をぶちまけたけど、すかさずビビが駆け寄ってあっという間に書類を集めたからね~)


 その時のことを思い出し、感心しつつもまるで漫画のような転び方に思わず顔が笑いそうになる。

 それでもなんとか笑うのを抑え、フィンを見送った私にフレデリックが声をかけてきた。


「テレジア」

「あ、殿下。今日はビビを置かしていただきありがとうございます。明日は連れてこないようにします……多分」


 今朝のビビの様子を思い出し、ちゃんと留守番させられるか不安が残る。


「そのことだが、明日からもその犬……ビビを連れてきていい」

「え?」

「今日1日を見て、ビビは十分な働きをしていたと思う。さらに部下達の癒しにもなっていたようだしな。だから明日から、正式にここの一員になってもらことにする。これが契約書だ」


 そう言ってフレデリックは一枚の紙を私に手渡してきた。

 それを戸惑いながら受け取り、中を確認する。


「仕事内容は今日やっていたことと同じことだ。基本的に皆の補助をしてもらう。もちろん今日みたいに、どういう原理かはわからないが紙類を唾液で濡らさないこと。それ以外はまあ、寝てていい。それに人間ではないのだから、無理やりやらせるつもりはない。あくまで自主性に任せる。だがさすがに給料を支払うのは、納得しない者も出てくるだろう。その代わりと言ってはなんだが、ビビ専用のご飯を用意させるがどうだ?」


 フレデリックの説明と契約書の内容が一緒であることを確認し、呆れた目をフレデリックに向ける。


「なんだ?」

「あの忙しい中で、わざわざこのような物を作っていたのね」

「何事も契約書は大事だ」

「まあそうなのだけれど…………はぁ~頭の固い人」

「なんだと?」

「あ~怒らない怒らない。じゃあここにサインすればいいのね? ビビの肉球でも押せばいいのかしら?」

「いや、飼い主であるテレジアのサインでいい」

「わかったわ」


 私はすぐにペンを持ち、サラサラとサインする。


「はい、どうぞ」

「確かに受け取った。ではビビ、明日からも頼むぞ」

「ワン!」


 ビビは元気よく吠えて返事を返す。

 そんなビビを見て、フレデリックはふっと表情を和らげて笑ったのだ。


「……っ」


 初めて見る表情に、なぜか私の心臓が大きく跳ねた。

 その突然の鼓動に驚き、思わず自分の胸を手で押さえる。


「どうした?」

「え? な、なんでもないわ!」

「しかし、顔もなんだか赤いようだが? 熱でも出てきたのか? だったら部屋を用意させるから少し休んでいけ。後で俺が屋敷まで送っていこう」

「だ、大丈夫よ! ほらビビ、帰りましょう!」


 なぜかフレデリックの顔が見れなくなってしまった私は、ビビを抱え上げ辞す言葉を言う。


「殿下、お先に失礼します!」

「あ、ああ。無理はするなよ。もし体調が悪いようなら、明日は休んでいいからな」

「ありがとうございます」


 私はペコリと頭を下げ、急いで部屋から出ていく。

 そんな私の背中を、フレデリックがじっと見ていることには気がついていた。

 だが私は振り返ることはせず、早足でその場を離れたのだった。

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