第30話 あたしとあいつの夢の中(ラスティーナ視点)

 目が覚めたら、そこはあたしの部屋だった。


「……は、はぁ⁉︎」


 ガバリとベッドから飛び起きると、やっぱりそこはエルファリア邸のあたしの寝室。

 おかしいわ。どう考えたっておかしいわ!

 あたしは昨日までルーシェと一緒に北へ向かっていて、今日はひとまず野宿をすることになっていたはずで……。

 それなのに、どうしてあたしは屋敷に戻ってるの? もしかして、寝ている間にお父様に連れ戻された……?

 混乱する頭をフル回転させながら、ベッドの上から降りようとしたその時。


「おはようございます、お嬢様」


 ガチャリとドアを開けて入って来た、見慣れたミルクティー色の髪。

 優しい目元は子供の頃から全く変わっていない、あたしの大切な幼馴染──


「レ、オン……?」


 絞り出したか細い声に、目の前の青年が不思議そうに首を傾げた。


「……おいラスティーナ、どうかしたのか? 何だか顔色が悪いみたいだが……ゴードン先生を呼んで来ようか?」

「ち、違うの。そうじゃなくて……!」


 屋敷の皆の前では滅多に崩さない従者モードから、あたしの前では素を出してくれる彼。

 自然とあたしの体調や些細な変化も感じ取って、何かあればすぐに対応してくれるその姿は、どこからどう見ても……あたしが今、会いたくて会いたくてたまらない、彼その人だった。

 あたしは居ても立っても居られなくなり、寝起きで乱れた髪もそのままに、レオンの元へ駆け寄っていく。


「レオンっ、どうしてあなたがここに居るの⁉︎ あなたはもう、あたしには二度と関わるなって……そう言ってたはずなのにっ!」

「い、いきなり何を言い出すかと思えば……。あのなぁ、俺はこれまでもこれからも、ずっとお前の従者であり続けるに決まってるだろ?」

「えっ……?」


 あたしの剣幕に戸惑いながらも、彼は平然とそう宣言した。

 そんなはずない。あなたはあたしを置いて、従者を辞めて屋敷を出て行った。それは絶対、間違い無い。

 なのに……どうしてあたしはここに居て、レオンもいつも通りの格好であたしを起こしに来ているの……?


「……お前、何か悪い夢でも見てたんじゃないのか?」

「悪い、夢……?」


 聞き返したあたしに、レオンは心配そうにあたしの頭を撫でながら言う。


「だって、どう考えてもあり得ないだろ? 俺とお前は子供の頃からずっと一緒で、今度だって二人で遠乗りに行く約束だってしてるじゃないか。それなのに、どうして俺がお前を置いて屋敷を出て行くだなんて思うんだ?」

「あ……ああっ……、あた、しっ……!」


 寝癖の付いた髪をそっと直しながら、レオンの大きくて温かい男の子の手が、何度もその温もりを伝えてくる。

 もう片方の腕であたしを抱き締める、陽だまりのような彼の匂い。


 二度と彼に会えないんじゃないか。

 レオンはもうあたしのことなんて忘れて、どこかで可愛い女の子と出会って恋をするんじゃないか。


 そんな誰にも言えなかった不安の塊が、彼に頭を撫でられる度に、ゆっくりと溶けて無くなっていくような気がした。

 彼の温もりをもっと感じたくて、あたしはネグリジェ姿であることすら頭の片隅に追いやった。

 自分からレオンの背中に腕を回して、今目の前に居る彼がどこにも行かない存在なのだと、しっかりと心に刻み付ける。


「レオン……レオンっ、もうどこにも行かないで……! ずっとずっと、あたしの側に居てほしいの……‼︎」


 彼の胸に顔を埋めてそう訴えれば、それに応えるようにレオンの腕に力が込められた。


「ああ、勿論だよラスティーナ。俺はどこにも行かない。例え死んでもずっと、俺は永遠にお前の側に居るよ」

「うん……絶対に、約束だよ……!」


 ああ……レオン、レオン、レオン……!

 あたしの大好きな、世界で一番素敵な男の子。

 そうよ。これまであたしが見ていたのは、全部ぜんぶ、悪い夢。

 レオンがあたしの側から離れるなんてはずないし、レオンがあたしと縁を切るなんて、絶対に起こり得ないもの。


 ……だから、まだもう少しだけ。

 このままあなたの体温を、すぐ近くで感じ続けていたいから──




 *




「レオン……レオンっ……!」


 ティナの……ラスティーナお嬢様の様子が、どうにもおかしい。

 お嬢様と共にエルファリア邸を飛び出した自分・ルーシェは、エルファリア侯爵家の抱える警備騎士の一人だ。

 自分とお嬢様は、身分を隠してレオン殿を探す旅に出た。

 そして今日。レオン殿の魔法の師が住むという北方の里へ向かう最中、今夜は途中で見付けた洞窟で休むことになむたのだが……。


 火を焚きながら寝ずの番をしていると、洞窟の奥から声がした。お嬢様の声だ。

 もしや何か異変があったのではと思い確認に向かうと、お嬢様は涙を流しながらうなされていた。

 寝言の内容は、どうやら自分達の探し人……レオン殿に関することらしい。

 何度も彼の名前を呼びながら、身体を包む薄手の毛布ごと、自分の身体を抱き締めるお嬢様。


「レオン……もうどこにも、いかないで……ずっと、あたしの側に……」

「お嬢様……」


 ……正直に言って、自分はレオン殿のことをよく知らない。

 というか、お嬢様以外の人物には興味が無いのだ。

 自分はひょんなことからお嬢様に救われて、拾われた身。その恩を返す為ならばと、自分は血を吐くような努力を重ねて護衛騎士試験に合格した。

 本来ならば、自分は王都の路地裏で死体となって転がっていても、特に不思議ではなかった人間だ。

 両親に借金のカタとして売られ、娼館で好き放題されていた。

 毎日、生きているのか死んでいるのか、そんなことすら分からなくなるような地獄の日々。

 そこからどうにか逃げ出したかった。だから自分は、死を覚悟して……自由を求めて、外の世界に飛び出した。


 娼館から逃げ出した後のことは……実のところ、当時の記憶がほとんど飛んでいる。

 ただ覚えているのは、痛む身体に鞭を打って走り回ったこと。

 そして──ふと気が付いたら、お嬢様の膝の上で目が覚めたことだけだった。


「……自分は、貴女の為に何が出来るのでしょうか」


 熱に浮かされたように、想い人の名を呼び続ける少女。

 じわりと目尻から垂れていく雫を一つ、自分の指で優しく拭ってやる。

 彼女のそれは、その一度だけで止まるような想いではないけれど。

 それでも自分は、彼女の流す涙をそっと拭うぐらいしか出来なくて。


「……レオン殿。貴方はお嬢様にこれだけ愛されておきながら、自分の欲してやまないお嬢様からの寵愛ちょうあいを、いとも簡単に手放してしまった人……」


 彼女に必要とされるなら、自分はどんな罪だって塗り重ねていく覚悟がある。

 目の前で眠る、我が麗しの姫君。

 自分は……は、貴女が愛して止まない男が、憎くて憎くて仕方がありません。

 ラスティーナお嬢様は、何の理由も無く他人をいたぶるような方ではない。

 それを一番知っているはずの貴方が……自分よりも長い年月をお嬢様と過ごしてきた、幼馴染の貴方が。


「どうして……どうしてこの小さな手を、離してしまわれたのですか……?」


 誰の返事もない、暗く長い夜。

 自分はただ、焚き火に照らされる白の少女の泣き顔を、夜が明けるまで見守り続けていた。

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