43:二人の見ていたもの


 朝ごはんの米を口の中で噛みながら、俺は目の前で談笑している二人を見ていた。


 話している内容が光太郎さんがとか、光太郎がとか俺の話題中心で、目の前にいる身としてはなんだか居心地が悪い。別に悪口を言われているわけではないのだが……。


「光太郎ったら昔から無愛想でね? 小さい頃はコロコロ表情を変えてたのに」


「あぁ、わかります。別に怒ってるわけじゃないんですけど、表情、険しいですよね」


 悪口を言われているわけではないんだよな?


「別に、俺だって笑うときぐらいある」


「笑うとか、笑わないとかじゃなくて……なんというか、暗い?」


「暗い……」


 いや、自覚はしてたけど、そうはっきりと言われるとショックなんだが……。


「ああ、でも、そうね。去年に比べれば、まだ表情が和らいだんじゃないかしら?」


「そうか?」


 自分の顎に触れる。暗いという自覚はあったが、明るくなった自覚はない。


「それも響花ちゃんのお陰かしら?」


「んなわけないだろ」


「…………光太郎さん?」


「え、笑顔で青筋たてるのやめろよ。怖いだろ」


 俺が軽くのけぞって響花から距離を取る動きをすると、さも愉快そうにお袋が声をあげて笑った。


「光太郎が悪いわね。女の子は褒めておくものよ?」


「そうですよねー」


 ねーっと笑い合う二人を見て、俺は困惑する。いや、二人ともそんな仲だったか? というか昨日まともに会話してないよな?


 考えられるとすれば、俺より早く響花は起きていたから二人で何かを話したのだろうか。それにしても、仲がよくなるの早すぎるとは思うが、女性はそういうところがあるよなとも思い直す。


 まあ変にこじれるより仲が良い方が、いいに決まっている。俺は気に止めないことにして味噌汁をすすった。うん、お袋の味がする。


 響花とお袋が談笑しているのを眺めながら、俺は朝食の残りに箸を進めた。




◇  ◇  ◇



「すこし、出掛けるか?」


 朝食を食べて少ししたあと、俺は響花にそう話しかけた。


 夏の球児の勇姿を見ていた響花は、俺の声に振り向くと小首をかしげた。


「どうしたの? 急に」


「いや……なんだ。家の中に居たって暇だろう?」


「んー……そんなことないよ?」


「そうか?」


「光恵さんが光太郎さんの子供の頃の写真見せてくれるって言ってたし……楽しみ!」


「よし。今すぐ出掛けよう。早急に出掛けよう。さっさと行こう」


「って、ちょ、引っ張らないでってばあ!」


 冗談じゃない。誰が子供の頃の写真など恥ずかしいものを見せられるか。それはまだ見せられん。見せるには俺の心の準備が必要だ。


「あら? お出掛け?」


「ああ、昼過ぎには戻るから」


「あら。そ。じゃあついでにお買い物お願いできるかしら」


「む。いいけど……何を買うんだ?」


「今晩のおかずの材料よ。そうねぇ……ちょっと多いから後でメールしておくわ」


「わかった」


 響花の背中を玄関の方に押しながら頷く。


「それで、だ。お袋」


 そして俺はひとつ釘を差す。


「そのアルバム。俺の許可なしに響花に見せないこと」


「えー!」


 響花が抗議の声をあげるが、当然無視する。


「あら。いいじゃない」


「よくない。恥ずかしいんだよ。とにかく、ダメなものはダメだから」


 そう言い残して、俺は響花を押して玄関を出た。


 響花を促して車にのり、エンジンをかける。


「あっつうーーーい!」


 まだ九時過ぎではあるが、車の中は陽光に当てられサウナのように蒸し暑くなっていた。


「直ぐに涼しくなるから、我慢しろ」


 カーエアコンが轟音をたてて風を吐き出す。温い風が次第に冷たい風を出し始め、その風を受けるように響花は風出口に顔を近づけた。その間に車を発進させ、ゆっくりと田舎道に車を進める。


 急ぐ道筋でもない。まだ緑色の穂を実らせる田んぼを眺めるように、のろのろと車を走らせる。窓を締め切っていても関係ないほど、どしゃ降りみたいな蝉の声が聞こえてくる。


「夏だなぁ……」


「何をそんな当たり前の事──あっ」


 なにかに気がついたかのように響花は顔をあげると、唐突に車の窓を開けた。


 濃い草木の香りと共に、湿気を含んだ生ぬるい風が車内に入り込んでくる。


「なんだよ。どうした?」


 せっかく冷房をつけたのに……。


「空──」


 響花は開けた窓から、呆然と空を仰ぎ見る。


「空?」


 車を止めて、フロントガラスから空を見る。しかし、何か特徴的な空というわけでもない。山の向こうまで青い空が広がっていて、眩しい日光に目を細める。


「なんか、いつもよりすっごい高くて青い気がする」


「ん──ああ……」


 サイドブレーキを入れて車を固定し、俺は運転席から降りて助手席側に向かう。


 日光を遮るように手をかざして影を作り、俺は空を見上げる。西側の山には木曽山脈の峰が続き、その上は雲ひとつ無い青々とした空が広がっている。


 東京でも青い空や、澄んだ空というのは拝めるし別に珍しいものでもない。


 ただ、この田舎で見上げる空は──、


「なんだか、どこまでも突き抜けていきそう」


 そう響花が評するぐらい、青く突き抜けた空がある。


 霞がかってもいない。白くグラデーションがかかっているわけでもない。なにも邪魔することはない、突き抜けるような青い空がそこにはあった。


「田舎の空は初めてか?」


「うーん……昔スキーに行ったときの空に似てるかも!」


「そうかい」


 山場にあるスキー場の冬空とかさぞかしきれいだろう。


「すぅ────」


 響花が深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。その顔はなんだか満足そうだ。


「なんだか不思議な匂い。初めて嗅ぐのに、懐かしいような、変な感覚」


「ガキの頃嗅いだことがあるんだろ。キャンプ場とか。森林公園とか」


 草木の匂いなんて、都会でも無くはない。特に雨が降ったあとなど、いっそう濃く感じることができる。


「んー、それよりなんというか。すごく澄んでいる感じ?」


「……そうか?」


「そうだよ?」


 聞くと、響花はどこか得意気に笑って答えた。


 考えてみればキャンプ場なんて縁が無さすぎて、大人になってから数度しか嗅いだ覚えがない。でもなんとなく似ていると思ったが、俺の記憶が古かったのかもしれない。


 あるいは、俺が今吸っているこの空気を覚えていなくて、同じようなものだと勘違いしていたのだろうか。


 いずれにせよ、俺と響花は今同じ空気を吸っていても、少し捉え方が違うようだった。


 しかしそれは当たり前の事だ。俺と響花は性別も違ければ、歳も離れているし、生まれた場所も違う。同じものを同じように感じることなんて、滅多に無いことだ。


「そろそろ行くか」


 俺は運転席に戻り、クーラーの風を浴びる。少しの間しか外に出ていないのに、額や首筋からは汗が溢れ出ていた。


「はい。タオル」


「……サンキュ」


 タオルを受け取り、額や首筋の汗を拭っていく。鼻頭を拭いた時に香ったタオルの匂いがいい匂いで、俺はタオルを鼻に押し付けて、匂いを吸い込む。


「なにやってるの……?」


「あ、いや……なんかいい匂いがするから、つい。響花らしい匂いがするというか、安心するというか」


「な、なにそれ。恥ずかしいからタオル没収!」


 ジト目になりながらも頬を赤くした響花が、俺の手からタオルを奪い取る。


「そんな変な匂いしたかなぁ……?」


 響花は奪ったタオルを自分の鼻に近づけ、


「あ、光ちゃんの汗の匂いがする」


「それは嗅ぐな嗅ぐな!」


 俺がとっさにタオルを奪おうと手を伸ばすが、響花は逃げるようにタオルを遠ざけてしまった。


「おあいこですー。それに、私この匂い嫌いじゃないよ」


 いやそれはそれとして恥ずかしいのだが……これは響花も一緒か。


「────…………」


 響花が窓を閉める音を聞いて、サイドブレーキを下ろし、アクセルを踏む。アイドリングストップ状態だった車が、再度エンジンを吹かし、ノロノロと田舎道を進み始める。


 響花は外を眺めている。俺にとっては見慣れた光景であっても、彼女にとっては珍しいものなのだろう。


 俺と彼女では感じかたが違う。それは当然の事だ。


 けれど──


「山って、こうしてみてると綺麗だよね」


 地元を誉められるのは悪い気がしないものだと、俺は今更ながらに知った。

 

 

 

◇  ◇  ◇

 

 

 

「まあ、見てわかると思うが、俺の地元は田舎だ。ド田舎と言っていい」


 田んぼと畑と、ポツポツとある民家を横目に俺は簡単に町の紹介をしていく。


「市なんてついてるが、昔に町村が合併して便宜上市となってるだけでほぼ農村だ」


 車は殆ど通らず人の姿も無い。特に夏場の日中なんかは熱中症を警戒して、いっそう外にでなくなっている。


「猪は出るし、猿も出る。たまに熊も出る」


「く、熊!?」


「ああ。そしてマタギが熊を狩っている」


「マタギ……?」


「狩人だよ。山の方にいくとたまに銃声が聞こえるぞ」


「はー。なんか凄い」


「そんな山から離れれば、一応町並みが広がっている。単純に駅前だからって理由だが」


「おー!」


 田んぼ道を抜け、学校の横を通りすぎれば本の少しだけこじゃれた街頭が並ぶ道が続いている。


「ただ、三階以上の建物が学校とイ○ンしかない」


「お、おう……?」


「そして駅前の店も七割ぐらいすでに閉店している」


「え、ええ……?」


 駅前の通りを車で進む。たいして長くもない駅の通りはほとんどの店がシャッターを閉めており、残っているのはスナックや飲み屋、呉服屋、花屋などだ。


「大丈夫なの? 買い物とか」


「まあ国道の方にホームセンターとドラッグストアはあるし、なによりイ○ンがあるからな。案外なんとかなっているものさ」


 三十分に一回しか開かない踏みきりを越え、暫く走ればイ○ンまで直進二十キロという看板が見えてくる。


「光ちゃん……」


「なんだ?」


「今、二十キロって看板が見えたんだけど」


「…………ほとんど隣町みたいなものだからな」


 もとより軽いドライブのつもりだったからちょうどいいと言えば、ちょうどいい。まあ不便であることは否めないが、仕方あるまい。


「向かってる間に蕎麦屋があったはずだから、そこで早めの昼食でも取って買い物しようか」


「お? もしかして信州そば?」


「…………すまん、たぶん違う」


 少しだけしょんぼりとする響花に、俺は苦笑して付け加える


「──また今度だな」




◇  ◇  ◇




 米やら水やらやたら重いもの中心だった買い物を終え、行きとはまた違うルートで家までの道を車で走る。


 響花は何が楽しいのか、窓を開けたままどこか嬉しげに空を見上げている。綺麗な黒髪が風になびいて、みずみずしさを含んだ草の匂いとともに、彼女の匂いが鼻に届いた。


 そんな事に意識を取られつつ、見飽きるほどに見慣れたのに、懐かしさしかない道を進む。


 信号なんてない。左手は田んぼ。右手には山と時おり家。北海道のようにどこまでも道が一直線に伸びているというわけではないけれど──時間から取り残されたように変わらない景色がそこにはある。


 ──しかしその景色を変えるものが、走る車の先に現れた。


「ん……?」


 通行止めの看板だ。その先には鉄パイプで骨組みを組み立てる男たちの群れが見える。──屋台だ。かき氷やベビーカステラなどの色とりどりの看板がいくつか見てとれる。


 ──ああ、そういえばそんな時期か。


 こういった催しがあることをすっかり忘れていた。


 流石に通行止めのところを突っ切るようなロックなことは出来ないので、十字路を左折して遠回りをする。


 遠ざかっていく組み立て中の屋台の群れを、響花は振り返って興味深そうにみていた。


「明日花火大会があるんだよ。ここら辺人が集まるから、それの屋台」


 俺は簡単に説明する。


 響花は「はー……」と感心したように頷いたが、ひとつ首をかしげると「は?」と俺の方を向き、


「聞いてないんだけどっ!?」


「……そりゃまあ、言ってないからな」


「え。見たい。花火」


「明日には帰るつもりだったんだが……」


「えー! 見ようよ花火!」


「言っとくが、都内や有名どころみたいに派手だったり大玉たくさんとかじゃないぞ? 正直かなりショボい。ガッカリしても知らないからな」


 そう言うと、響花はわざとらしいため息をひとつ付き、


「もう、光ちゃんはニブちんだなぁ」


「あ?」


「私は光ちゃんと、花火が見たいんだよ?」


「あー……」


 チラリと横をみれば、悪戯っぽく笑う顔がそこにはあった。


「……ったく、しょうがねぇな」


 なんというか……殺し文句が過ぎるだろう。


「光ちゃん、顔、ニヤけてるよ?」


「うっせぇ」




※  ※  ※




 光太郎さんの実家に戻ってからはなんだか慌ただしかった。


 既に晩御飯の用意をしていた光恵さんに手伝いを申し出て、並んでキッチンに立つ。私のお母さんともこうして並んで料理するなんてなかったから、なんだか不思議な気分だった。


 そうしていると丸山さんが光太郎さんの家に訪ねてきた。それも家族連れで、だ。


 太っちょの丸山さんとは正反対の細身で長身の奥さんと、丸山さんの面影がある小学生ぐらいの男の子二人。


 なんでも毎年お盆と年末は集まって夕飯を一緒に食べるらしい。


 屈んで目線を会わせ、丸山さんの子供に挨拶をしていると、今度は光太郎さんの親戚らしい老夫婦が訪ねてきた。時おりこうして訪ねてくるらしく、光恵さんの一言で親戚のお爺様たちも晩御飯を一緒にすることになった。そこでようやく私は光恵さんが早くから晩御飯の準備をしていた理由がわかった。


 光恵さんは、酒盛りを始めた大人達に枝豆を、子供達にはおはぎを振る舞うと、次々と料理を作り始めた。天ぷら、唐揚げ、煮物、春雨のサラダ、茶碗蒸し、素麺、デザートのスイカや桃のカット……。途中まではお手伝いしていたが、下ごしらえはともかく調理の段階だともう手伝うことはなく、後半の方は子供達のゲーム相手になっていた。


 それでも何かしようと、ゲームの合間に光太郎さんと交代で出来上がった料理や食器を皆の前に運ぶ。


 日が暮れヒグラシが鳴く頃には、長テーブルいっぱいに光恵さんが作った料理が並んでいた。


 子供達が唐揚げを頬張り、「お母さんのより美味しい」と言って笑う。親戚のお婆様が煮物の味を褒める。丸山さんとお爺様が日本酒を飲みながら光太郎さんと私の関係をおちょくる。


 ──そうした時間は、私にとってはじめての時間だった。


 私の家は親戚付き合いなんてほとんど皆無と言って等しく、せいぜいお父さんの弟──叔父さんが居るくらいだ。それも小さな頃と、お父さん達が亡くなったときに会った二度だけ。


 だから、こうしてみんなで集まって家でご飯を食べるとか今まで無かったし、想像だにしていなかった。


 でもみんなで同じ食卓を囲みながらお話しするのは、すごく賑やかで私は嫌いではなかった。終始丸山さん夫妻にいじられている光太郎さんはおかしかったし、子供達もやんちゃではあったけれど、かわいい存在だった。親戚のお爺様方も、お爺ちゃんやお婆ちゃんが居たらこんな感じなのかなとも思った。


 なんというか、その空間はこそばゆくも陽だまりみたいに暖かい空間だと思った。


 たぶん、みんながみんな私に気を使ってくれたお陰もあると思う。


 そんな優しい時間もお開きを迎え、べろんべろんに酔ったお爺様をつれて親戚のお婆様が帰っていった。


 食べ終わったお皿をシンクに置き、余ったおかずをラップして冷蔵庫に入れる。そうして一通り後片付けをして賑やかだった居間に戻る。


 光恵さんは横になって既に寝息を立てていて、その身にタオルケットがかかっていた。子供達はまだ元気で、二人してバラエティ番組に釘付けになっている。丸山さんはまだお酒を飲んでいて、奥さんはテーブルを拭いていてくれていた。


「あれ? 光太郎さんは?」


 そこに光太郎さんの姿がないことに気がつく。


「光太郎ー? さっき酔いを冷ましにいくって外に出ていったよぉー」


 丸山さんが目を細めて私の疑問に答えてくれる。


「たぶん、真っ直ぐ行ったところの橋の所にでもいるんじゃないかなぁー」


「橋?」


「田んぼの用水路用だから小さい石橋だよぉ」


「そう遠くはないと思うけど、連れていこうか?」


「あ、いえ、大丈夫です! 一人でも行けます」


 丸山さんの奥さんが聞いてくれるが、私は手を振ってやんわりと拒んだ。


「そう? じゃあ行ってらっしゃい」


「頑張ってねぇー」


「お姉ちゃんがんばってー!」「頑張ってー!」


 含みを持たせて笑っている丸山さんを少し警戒しながら、それぞれの言葉に背中を押される形で私は居間をでる。


 いやまあ、待ってたら戻ってくるだろうからわざわざ探しにいくのもどうかと思った。だが、光太郎さんもだいぶ酔っぱらっていたみたいだし、側溝に嵌まって寝落ちなんてしてたら、あまりにもみっともない。


 しょうがないなぁと思いつつも、私はなんだか逸る気持ちで自分の靴を履き、夜の中へと飛び込んだ。




 外に出ると同時に夜風が吹き、私の頬を撫でる。思った以上に涼しい風に軽く驚く。そういえば昨日も涼しかった気がする。夏は夜でも暑いと思っていたからなんだか意外だ。


 周りからは家の中にいる時より、鈴虫の声がより大きく聞こえた。まるで降ってくるような密度の声だ。夜なんて静かなイメージが強いからか、煩いほどの声がこれまた意外だった。


 虫の声に囲まれながら道路に出ると、辺り一面真っ暗闇だった。街灯のひとつもない。それでも人の目は便利なもので、夜目がうっすらと道と周りの景色を浮かび上がらせている。


 ただ、道は見えても目から伝わってくる雰囲気は昼間とはまるで別物だった。


 暗い道がおどろおどろしく続いている様は、恐怖心が沸いてくる。おばけでも出てくるんじゃないかという雰囲気に、軽く身震いがする。


 恐怖という本能に従って、引き返したくなるのを抑えて私は歩を進める。


 初めて辿る夜の田舎道だというのに、私は妙な既視感を覚えていた。


 辺り一面闇の中で、道だけが一本続いている。暗い、くらい一本道。目印と呼べるものはなく、道の先に目指すべき明かりもない。その中を私は歩いていく。

 

 すぐと近くにいるだろうと思っていた光太郎さんは、案外遠くまでいっているようで、まだ言われてた小さな石橋は見えてこない。


 振り返るとそれなりに歩いてきたようで、光太郎さんの家の明かりは──陽だまりのようだった光は小さくなっていた。


 何となく──この光景は何かに似ていると思った。


 振り返った光は小さく遠く──。


 進む先は暗く──。

 

 目指す光はなく──。


 今、自分がいるのは──心細く怖さすらある闇の中──。


 それぞれが、過去と未来と現在の……人の人生の縮図のような、そんな錯覚を覚える。


 生まれたときの日溜まりだけが遠くにあって、一人進む道は、先もろくに見えぬ闇の中。


 そこでようやく私は既視感の正体がわかった。それはお父さんとお母さんが居なくなったときの感覚に似ていた。

 

 小さなころ、迷子になった感覚にも似ている。頼る人はいなくて、真っ暗闇の中にひとり放り出されて、この世界にひとり残されたような、置いてけぼりにされたような心細さと、不安と、悲しい気持ち。


 お父さんとお母さんがいなくなってからの私は、なんとか生きる事は出来ても、目指す未来も見えず、変わってしまった日常に必死についていくことしか出来ず──ただただ暗い闇の中をあてもなく進んでいたように思える。


 ずっと──どうしたらいいのだろうとか、何が最善だっただろうかとか、あの時こうしていればなんて考えても仕方ないことでずっと悩んでいた。


 この暗闇は、そんな悩んでいた私みたいだと思った。

 

 暗闇の中、前に進んでいるのか、後ろに歩いているのか、道がそれているのかもわからず、ただただ歩いていた。


 そして──そんな闇の中ひとり、ポツンと夜空を見上げている人の姿があった。


「光太郎さん……」


 人生の縮図みたいなあてのない暗闇の先にいたのは────この人だった。


 

 

 

 

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