42:ごあいあさつ



 バッグを抱えた目の前の響花の姿を見て、まず浮かんだのが疑問だった。


「どうやってここに? 終電なんてとっくに無いだろ」


 田舎なこともあって終電は早い。それに駅からここまで結構な距離があるはずだ。


「あ、それなら丸山さんが……」


「ん?」


 響花の背後、少し遠くに一台のミニバンが見える。そのミニバンは俺の視線に気がついたのか、一度クラクションを軽く鳴らすと、走り去っていってしまった。あれはマルの家のミニバンだろう。見た覚えがある。


「なるほど……」


 何となく事情を察する。おおかたマルから情報を聞いてここまで来た感じだろうか。


 あの野郎、俺に内緒でこんなことを。


「あの……ごめんなさい急に押し掛けてきちゃって……」


 先程のきちゃったとのたまった態度から一転して、響花は縮こまる。


 俺は軽くため息を付くと、


「ほら、そこにいると虫が入ってきちまうだろ。入りな」


 体を少しずらして響花を招き入れる。


「お、お邪魔します……」


「そんな借りてきた猫みたいにしなくても」


「だって……」


 眉しりを下げて彼女は唇を尖らせる。


「緊張しちゃうよ。ここには──」


 そう口を開き書けたところで、居間への引き戸が開いた。


「あら……?」


 起きたのだろう。お袋が玄関先で話している俺たちを見て、怪訝そうに眉をしかめた。


「どちら様?」


「ひゃい!?」


 驚いたのか響花の体がピクンと跳ね、髪やら服やらパタパタと叩いてたたずまいを直す。


「あ、あああああの!」


「落ち着け」


 面白いぐらいに混乱している響花の頭に手をのせ、俺はお袋に顔を向ける。


「お袋。この子、長島響花って言うんだ。世話をしている子でな。悪いが、泊めてやってもいいか?」


「んん?」


 ますますお袋は怪訝そうな顔をする。だが断られるわけにもいかない。


「ほら、上がって……ってなんでそんな不満そうな顔してるんだ」


「お世話してるのは私だと思うんだけどなぁ……」


 ぼそっと小声で聞こえてきた言葉を俺は無視した。


「光太郎。この子どちら様の子なんだい?」


「中で説明するから」


「んん。それにしてもねぇ」


「あ、あの!」


 渋る母親の前に、響花は一歩踏み出した。


「これ、つまらないものですが!」


 何かを差し出したかと思えばひよこまんじゅうだった。


「お前、お土産にひよこまんじゅうって……」


 定番も定番過ぎて、今時これで喜ぶ人はそんなにいないんじゃないだろうか。いや、俺は好きだけどねひよこまんじゅう。食べるとなんだか子供の頃を思い出す。


「あの、あの! 夜分遅くに本当にごめんなさい! ご迷惑なのは百も承知ですけれど、その──」


 響花が伏せぎみだった顔をあげ、お袋の顔を見る。その顔は真剣そのもので、緊張はしているもののしっかりとお袋を見据えていた。


「どうしても今日、ここに来たかったんです」


 お袋と響花は数秒、真顔のまま見つめあっていたが、先にお袋が値をあげたようにため息をついた。


「そう。とりあえず上がんなさい」


 そう言ってお袋は居間の方に消えていった。


「は、はい! お……お邪魔します」


 響花からバッグを受け取り、その間に響花が家に上がり靴を揃える。頬に垂れる髪をかき上げて立ち上がる彼女の姿を見て、あることに気がつく。


「どうしたの?」


「ん? ああ……ヘアピン付けてるんだなって」


「あぁ……バイトあったしね」


 響花はその赤いヘアピンを撫でると、はにかんで見せた。


「あと、そんな服持ってたっけ?」


「これは……お母様に会うから、一応ちょっとはよく見える服にしようと思って……へ、変かな?」


「いや、そんなことはない。その、なんだ。似合ってると思うぞ」


 最後のほうは絞り出すような声になってしまった。


 こういうのもっとスムーズに言えればいいと思うが、どうにもこうにもそんな経験値がないことに、内心自分に呆れ果てる。


 響花を見ると、少し恥ずかしげに髪先を指でいじりながら、小さな声で「ありがと」と呟いた。


 少し気恥ずかしくなりながら居間に入ると、お袋が半目で俺たちを見ていて、俺はつい苦笑いを返してごまかした。


 お袋の対面に響花を座らせ、三人分の麦茶を持って響花の隣に座る。


「で、だ」


 咳払いをひとつする。


「改めて紹介すると。この子、長島響花。今うちで預かってる子」


「えっと、はじめまして! こ、光太郎さんにはいつも良くしてもらっていますっ」


 机に頭をぶつける勢いで響花が頭を下げる。


「いつも。良く」


 なにか含みを持たせた言い方でお袋がおうむ返しに答えた。


「んで、こっちが」


「光太郎の母の光恵みつえです。よろしく」


 お袋が、軽く頭を下げる。


 その態度に俺はわずかな違和感を覚える。


「お袋、なんか怒ってないか?」


「そんなことはありません」


 いや、わざとらしく敬語にされたら怒っているように感じるだろ。


 俺が口の端をへの字に曲げているのを見ているのか見ていないのか、お袋は響花に笑みを向ける。


「あなたおいくつ? どこから来たの?」


「え、ええっと。十七です。いちおう、東京から……」


「じゅう、なな」


 母親が呆然とし、冷や汗が垂れるのが見てとれた。


「あんた……」


 そして冷ややかな視線を俺に向ける。


「なにもやましいことはしてない」


「どうだか」


 いや本当にしてないんだけどなぁ。


「ちょっと事情があって俺の方で面倒を見ている。今日はいちおうお袋にも紹介したくて、こんな時間になったけど無理矢理来てもらったんだ」


「ちょ、こ、光太郎さん?」


 響花が目を丸くして俺を見る。俺はいいからと目配せをして響花を制した。本当は無理矢理来たのは響花の方だが、元から俺が連れてこようとしたのだ。変に勘ぐられるよりは良いだろう。


「面倒を……ねぇ。なんでまた、あんたがそんなことしているのかしら」


 当然の疑問だった。


 俺はもう一度響花に目配せをし、わずかに頷いたのを見て、響花の事情を話す。両親が他界していること。周りに大人がおらず、まだ高校生の身では生活に不安があることを、だ。


「ふぅん……」


 俺の言葉を聞いて、しかし信用していないのかお袋は響花に視線を向ける。


 響花はその視線を受け止めながら、眉尻を下げた表情を見せた。


「両親が居ないのは本当です。私一人で暮らしてることも」


「…………」


 言葉の審議を確かめているのか、お袋は響花の目を暫しの間見つめ、そして長く息を吐いた。


「まあいいわ。今日はもう遅いし、お風呂入ってゆっくり休みなさい」


「あ、ありがとうございます!」


 まだ少し棘のある言葉遣いだったが、それでもある程度は納得したのかお袋は響花に微笑みかけた。


「それじゃ悪いけれど、私は先に寝るわ。光太郎。長島さんのお布団はお願いするわね」


「あ、ああ」


 お袋はそう言い残すと、居間を出ていってしまった。本当に寝る気なのだろう。


 深いため息が出る。自分の母親相手なのに思った以上に緊張していたようだ。


 響花を見ると、気まずそうな顔をしていた。


「やっぱり、迷惑だったかな」


「んなこたぁねぇよ」


 沈む声に気がついて、俺は勤めて明るい声をかける。


「すまんな。普段はもっと気楽な人なんだが……まあ、多分寝起きで機嫌が悪かっただけだ」


「うん……」


 俺もいささか軽率過ぎただろうか。そんな気持ちが今更ながらわいてくる。


 しかし今さらだ。もう寝るところを呼び戻してはさらに期限が悪くなるだろう。明日改めて話す場を設けるしかない。


 とりあえず響花に風呂に入ってくるよう伝えて、その間に布団の準備をしておく。自分の部屋……はもう片付けてしまって物置になっているから、客室に自分と並べて響花の布団も敷いた。


 冷房は扇風機だけだが、まあ俺が住んでいる場所より全然涼しいから大丈夫だろう。


 風呂から上がり、髪を乾かしてきた響花と並んで床につく。


「じゃあ電気消すぞ」


「うん」


 室内灯の紐を引っ張って明かりを消した。一瞬真っ暗になるが、直ぐに目が慣れ、じっと俺を見ている響花の目と視線が合う。


「──光ちゃん。ごめんね。急に訪ねちゃったりして……」


「ん? ああ……気にすんなよ」


 俺を見る響花の視線から逃れて、仰向けになって天井の木目に目を向ける。


「まあ、その……なんだ。悪い気はしなかったというか──」


 口に出そうとして、その言葉の気恥ずかしさにためらいが生まれ、しかし──


「──嬉しかった」


 それでも言葉は自然と出てくれた。


「光ちゃん……」


 響花の声が普段とはちょっと違って、艶っぽく聞こえ俺は背を向けるように横になった。


「寝るか。響花も長旅で疲れてるだろ」


「うん」


「それじゃあ、おやすみ」


「うん。おやすみ」


 背中に響花の声がかかる。その事に確かな嬉しさを感じながら、俺は目をつむった。


 やっぱりそれなりに疲れていたのか、意識はあっさりと闇に落ちた。

 


 

 

※  ※  ※





 朝。自然と私は目が覚めた。いつもなら光太郎さんにお弁当をつくってあげる時間だ。


 まだ光太郎さんは寝ていて、となりの布団でいびきをかいている。


 私はそれ以上寝る気になれなくて、光太郎さんを起こさないようにしながら、布団を軽くたたんで居間へと向かった。


「あら、おはよう」


「お、おはようございます!」


 居間の引き戸を開けるとすでに光恵さんが起きていた。


 クーラーのひやりとした空気が肌を撫で、思ったより客間も暑かったのだと気がつく。


 光恵さんの対面に座ると、光恵さんは腰をあげ、


「何か飲むかしら?」


「あ! いえ、お構い無く!」


「そういうわけにもいかないのよ」


 そういって光恵さんは私の前に麦茶を置いてくれた。光恵さんは自分の分の麦茶をテーブルに置き、私と向き合うように座り直す。


 私は、いただきますと言って麦茶に口をつけ、ちょっと驚いた。


「どうしたの?」


 私の表情の変化を見逃さなかったのか、光恵さんは首をかしげた。


「あ、いえ、いつも光太郎さんの家で飲んでいるのと一緒の味がしたので……」


「そう……たぶん同じメーカーのを使ってるのね。うちは昔からこれだったから」


 光恵さんは顔をあげ、引き戸の方に視線を向ける。


「あの子は?」


「光太郎さんなら……まだぐっすりと寝てます。いつも仕事で疲れているから、たまの休みぐらいぐっすりと寝かせておきたくて」


「そう……でも、あの子なかなか起きないでしょう?」


「んー、そうですね。起きないのもそうなんですけど、寝ぼけるのも結構酷くて……」


「寝ぼけて変なことしてない?」


「する! します! この間なんてズボンパジャマのまま家を出ようとしたりして! あ──」


 ついはしゃいでしまったと、私は言葉を止め、光恵さんの顔色をうかがう。


 光恵さんは私の視線に気がつくと、クスリと笑った。


「構わないわ。聞かせてちょうだい。あなたと、光太郎のこと」


「そ、そうですか? なら他には──」


 あの部屋で起こった、いくつかの光太郎さんのエピソードを私は語る。朝はカ○リーメイトで済ませようとしたりとか、風邪を引いたときは仕事を休んで看病してくれたりとか、失敗した料理を食べてくれたりとか、お弁当を持たせるとちょっと恥ずかしそうにしながら喜んだりとか──。


 そのひとつひとつに、光恵さんは呆れたり、驚いたり、笑ったりして、相づちをいれてくれた。


「あっ、ごめんなさい。私一人でなんか語ちゃって……」


 ハッとして言葉を止めると、光恵さんは構わないといったように首を横に振った。


「いいのよ」


 ──その表情に昨日のようなちょっと冷たい感じはない。ただ、たおやかに微笑む姿は、何故だか少しだけ寂しげに見えた。


「昨日はごめんなさいね。変な態度をとってしまって」


「い、いえ! 私こそごめんなさい! 急に夜遅くに訪ねちゃったりして……」


 慌てて私は手と首を振り、そして──


「あの、光太郎さんはああ言ってましたけど、本当は私、夜遅くなるのわかってて無理矢理ここに来たんです」


 怒られるかなと思って首をすくめる。しかし、上目使いで見た光恵さんは、目を細目ながら首をかしげた。


「どうして?」


「それは……」


 あんまり具体的な理由じゃないんですけれど、と前置きをし、


「──どうしても来なきゃいけない気がして」


「そう……」


「本当は、迷ってたんです」


 コップについた水滴を、私は指でなぞる。


「私はまだ十七で、実はまだ光太郎さんと恋人って関係でもなくて……それなのに実家に挨拶にいくような真似して大丈夫なのかなって」


 それでも──


「いくつかの人が背中を押してくれて、こうして光恵さんとお話しして……」


「…………」


 光恵さんは黙って聞いてくれている。


「もしかしたら私は勢いだけで突っ走って、いろんな人に迷惑をかけたかもしれませんけれど──ひとつだけ赦して欲しいことがあるんです」


 顔をあげる。


「私、光太郎さんの傍にいてもいいですか?」





 ◇  ◇  ◇


 

 

 

 しばらくの間、私と光恵さんはじっと見つめあっていた。


 だがその均衡を破ったのは光恵さんの笑い声だった。抑えきれなくなったかのように吹き出すと、クスクスと笑い始めた。何が受けたのかわからず、私はキョトンと首をかしげる。


「あらごめんなさい。ふふっ……若いわねぇ」


「……はいっ。若いです。小娘です」


 それでも、なお──


「認めてもらいたくて、ここに来ました」


「……あなたは、その選択に後悔はない?」


「わかりません」


 その問いに即答する。


 だってそうだ。後悔があるかどうかなんて今はわからない。


 だから、ただ今言えることは、確かなことは──。


「でも、光太郎さんに後悔はさせたくないです」


「…………」


 光恵さんは、軽くため息をつきながら、しかしそれでも優しげな笑みを浮かべた。


「やれやれ……こんな老婆の事なんて気にしなくていいのに」


「そんな! そんな事……」


 私の言葉を、光恵さんは手で制すように止める。


「いいのよ。あなたたち二人の問題だもの。二人で決めなさい。私から言えるのはそれだけよ」


 その言葉は遠回しに光恵さんは関与しないということであり──暗に認める言葉でもあった。


「さ、朝ごはんにしましょうか。光太郎を起こしてきてくれる?」


「はい! あ、あの──」


「ん?」


 立ち上がる光恵さんを私は見上げる。


「ありがとうございますっ」


「感謝されるようなことは何もしてないわよ?」


 そう言って、光恵さんは台所の方に消えていった。


 それを見て、ようやく私は自分の肩が強ばっていたことに気がつく。その力を抜くように私は長く息を吐いた。


 軽く自分の頬を叩き、腰をあげる。


 さあ光太郎さんを起こしに行こう。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る