41:まだ、口に出していないその感情



 どうしよう。


 運転を見合わせているという電光掲示板の文字を見て思ったのはそれだった。電車が止まっているという事実は私を絶望させるに十分だった。


 さっきの雷……!


 近くに落ちたかもと思ったあれのせいだ。落ちたような轟音だったが、まさか線路内に落ちているとは思わなかった。


 今すぐ新宿に行かなきゃならないのに──!


 多少時間的な余裕があったとしてもそれは平常通りに運転していればの話だ。止まっているとなれば話はがらりと変わる。


 間に合わないかもしれない。そう思うと、血の気が引くような、手足が冷たくなっていくような感覚に教われる。


 そうだ。復旧。直ぐに復旧するなら。そう思い、私は駅員のいる窓口に駆け込む。


「あ、あの電車って直ぐに復旧しますか?」


 真面目そうな駅員さんは私の言葉に眉をしかめると、


「申し訳ありません。ただいま状況を確認中でして……。恐らく復旧には最低二時間はかかるかと……他の交通機関をご利用することをおすすめします」


 二時間──。そんなに待たされては今日中に光太郎さんのところにたどり着けない。


 どうしよう……。


 ふらふらと窓口から離れて棒立ちになる。周りには私と同じように改札で通せんぼされた人たちが集まり出してきた。


「どうするー?」


「バスって出てたっけ?」


「わかんね」


「タクシーでいいんじゃね?」


 タクシー。バス。そうか何も電車にこだわる必要ないんだ。


 私は慌ててタクシープールがある改札口に向かう。


「うっ……」


 タクシーは1台も止まっていなかった。みんな考えることは一緒だ。電車が使えないなら、そりゃあ別の交通手段を使う。


 代わりにタクシー乗り場には長蛇の列を作って人が並んでいる。タクシーもひっきりなしに来ているわけでなく、1台に人を乗せたら次は数分後とかだ。すでに何十人と並んでいる状況を見れば、私が乗れるのは恐らく1時間後ぐらいだろう。そこから車で新宿に行くとしてどれぐらい時間をロスするのか予想がつかない。


 どうしよう──!


 バスプールに張り出されているバスの時刻表を確認する。


 が──、ダメだ。新宿方面に向かうバスがない。全部練馬を中心とした縦のラインか所沢までの西のラインだ。そのルートでは意味がない。


 そうだ。縦のルートがあるなら、西武新宿線は……とスマホをとりだし運転状況を確認する。


『西武新宿線は線路内に立ち入った人の影響により、大幅にダイヤが乱れております』


 スマホで検索すると同時に真っ赤な背景の文字で表示され、私は肩を落とした。


 どうしよう…………。


 呆然と立ち尽くす。がむしゃらみたいな雨が傘に当たり音を立てて弾けていく。雨以外の音が聞こえなくなる。なんだかそれが、この世にひとり取り残されたような感覚になり、心細くなっていく。


 いい、のかな……。別に、今日じゃなくてもいいのかな。


 明日になれば電車も復旧している。何も今日必ず行かなければならないって訳でもない。何も光太郎さんが居なくなるってコトでもない。明日、改めてゆっくりと行けばいい。


 そうだよね……。


 そうすれば、お土産だって選んでいられる時間もある。もっと光太郎さんのお母様に会うに相応しい服を選んでいる時間もある。


 何も、慌てる必要……ないよね。


 けれど──けれどそれは──。


 諦める、ってことだよね。


「────っ」


 下を向いて、唇を噛む。


 別に今日じゃなくたっていい。そんなことはわかっている。


 だけど、悔しいと思うのはなぜだろうか。


 足元で無数の波紋を広げる水溜まりが視界に映る。


 ──ああ、そっか。


 こんな天気ひとつに私の想いが否定されたような気がして、それが悔しいんだ。


 水溜まりを見る視界が、じわりとにじむ。


 涙だ。喉元が苦しくなるような感覚と共に、せり上がってくるそれを私は必死に飲み込む。ここで泣いてしまったら、この天気に敗けを認めたみたいで、それがまた悔しさを加速させる。


「な、泣く、もんか!」


 こんなところで立ち止まっている場合じゃない。まだ、手はあるはずだ。そうだ。となり駅まで走れば、タクシーがあるかもしれない。


 諦めたくない。その気持ちと共に顔をあげると、一台の軽自動車が私の目の前に止まった。


「響花ちゃん? ねぇ、響花ちゃんでしょ?」


 助手席の窓が開き、運転席に座る女性が声をかける。その顔に私は見覚えがあった。茶色のボブカットのその女性は──、


「敦子のお姉さん!?」


「やっほー。どったの? こんなところでぇ」


 神田和美さん。私の友達である敦子のお姉さんで、たまに敦子と一緒にいるところを見かける人だ。


「神田さんこそ、どうしたんですか?」


「いやぁーあっちゃん……妹の迎えに来たんだけどぉ、この雨でしょ? 妹もいつ来るか分からないしぃ暇をもて余してたところ」


「あの……敦子は今日どこに……?」


「新宿だってさぁ」


 その言葉に私はピンと来た。


「神田さん! あの! あの! 敦子を迎えに行くついででいいんです! 私も連れていってもらえませんか!?」


「えっ、新宿まで!?」


「はい! 私、どうしても今日の18時までに新宿にいきたいんです!」


 私の剣幕に彼女は驚いたのだろう。目を丸くして私を見る。しかし、次に瞬間にはなんだか楽しそうな笑みを浮かべていた。


「わかった! 乗って!」


 促され私は助手席のドアを開けて乗り込む。神田さんはウィンカーを出してロータリーを離れると、飛ばしぎみに駅を離れた。


「あの、ありがとうございます! あと急に変なお願いをしてごめんなさい」


「ん? いーよいーよ。どうせ暇だったしねぇ」


 そういう彼女の表情は穏やかだ。


「それにさ、あたしも響花ちゃんに聞きたいことあったんだよね」


「え? 私に、ですか?」


「そ。響花ちゃんさ、北条光太郎って人知ってる?」


「えっ……ええっ!? どうして神田さんが光太郎さんの事知っているんですか!?」


「あ、その反応、やっぱり知り合いなんだぁ。私、会社の後輩なんだよね。同じ部署の。──響花ちゃんは、どういう関係?」


「え、えっと……その……叔父と姪です」


 最近よく紹介するようになった答え方で誤魔化す。ただ独身男性の家に居候していると答えるより誤解がないだろう。


「ふぅーん。恋人じゃないんだぁ」


「こ、こい! ……恋人!?」


 真っ赤になった私に、神田さんは面白そうに笑う。


「な、なんで!?」


 なんで私と光太郎さんが知り合いだということを知っているのだろうか。あんまり光太郎さんとデートらしいデートもまだしてないし、見つかるようなところなんて──。


「この間さぁー、敦子が水着買いに行くからって響花ちゃんも連れていったじゃん。あのとき、あたし近くに居たんだよねぇ」


 一息をつき、


「あーセンパイだーと思って声をかけようとしたけど、さっさと車に乗って行っちゃうしぃ」


「あー……」


 そういえば敦子の家もそんなに遠くないから、私の家に光太郎さんが来ていれば見かけることはあるかもしれない。


「その……ご期待しているような関係じゃないです。私たち」


 逃げるようにして雨粒が当たる窓に視線を向ける。窓の外は、大通りに入り次第に車も増えてきた。


「ふぅん。不満そうねぇ」


「えっ!?」


 ドキリとして視線を神田さんに戻す。私の顔を見て、神田さんは少し意地悪そうな笑みを浮かべた。その顔を見て、私はしまったと思う。


「図星なんだー」


「う……うぅ……」


 頬が赤くなるのを自覚しながら、私は再び視線を窓の外に逃がす。そこで私は並走する車の速度が遅くなっていることに気がつく。


「あっちゃー! 混んできたぁ。まあこんな天気だとみんな車使うよねぇー」


 前方を見れば車が長蛇の列をなしている。進むことは進むが、ノロノロとした動きだ。


「どうしよう……」


 思わず私は呟いた。これでは新宿までたどり着くのが一体いつになるかわからない。


「んー……響花ちゃん。今から言うところ、ナビ入れてみてくんない?」


「え? あ、はい」


 神田さんは前を見ながらそう言うと、ひとつの駅名を口に出す。


「うん……うん。こっちならそんなに混んでなさそうかなぁ」


「そっか!」


 ナビに示された駅名を見て気がつく。


「地下鉄!」


 環状線外で地下鉄を使うことが滅多にないから、存在を忘れていた。そうだ。近くには都営大江戸線が走っている。


「地上がダメなら地下ってねぇ。混んでることは混んでるだろうけ、ど!」


 神田さんが車の列に割り込み、左折して細い道に入っていく。


「とりま、最短で行くよぉ!」


 時おりナビを見ながら縫い目をたどるようにすいすいと車は進んでいく。ほどなくして別の大通りに出ると、神田さんは車を停めた。もう地下鉄の近くだ。ここからなら歩いても直ぐに着く。


「神田さん! ありがとうございます!


「いえいえどーいたしましてぇ。うちの妹もこっち経由なら帰ってこれるっしょ」


「そっか。そうですね!」


 車を降りて、少し開けてくれた窓から神田さんに頭を下げる。


「でも、本当に助かりました。あの、このお礼は今度──」


「あー、いいよいいよー」


 私の申し出に神田さんは手を振って拒否った。


「この借りは、センパイに請求しておくからぁ」


 その言葉に私は、あー……っと苦笑してしまう。


「ほら、そんなことより行った行ったぁ。急いでるんでしょ?」


「はいっ。あの、本当にありがとうございました!」


 私はもう一度だけ頭を下げ、走って地下鉄の入り口に向かう。


 そこからは順調な道のりだった。


 地下鉄は少し混んでいたが遅延はなく、通常通り運行していた。それに飛び乗りながら、丸山さんに今日そちらに向かうことを伝える。


 その後、丸山さんが教えてくれた乗車ルートを確認する。ホームに降りてからバスタ新宿までのルートを調べて、ロスが少ないルートを考える。一時間ほどあった余裕は、もう無い。長距離バスを使うのは初めてだから、少し緊張してしまう。


『次は新宿~。新宿~』


 スマホの画面とにらめっこをしているうちに、もう新宿駅に着いてしまった。


 一斉に降りる客の流れに乗りながら、私は足早にホームを離れ、駅を出てバスタ新宿を目指す。


 建屋に着き、エスカレーターで上に昇ると屋上にバスターミナルが広がっていて少し新鮮な光景だった。


 発券所で乗車券を発行し、乗り場に着くとちょうどバスが来たところだった。多分これが最終だから本当にギリギリだ。


 もう遅い時間だからか、そんなに多くないお客と共にバスに乗り込み後ろ側の座席を確保してひといき付く。


「はぁーーっ」


 盛大なため息が出た。とにかく疲れた。バイトからずっと動き回ってたせいで足が棒のようだ。


 運転手の「出発します」という低音ボイスと共にバスがゆっくりと動き出す。ここから光太郎さんの地元まで大体四時間弱の道のりだ。


「ふぁ……」


 背を座席に落ち着けると同時に盛大なあくびが出る。まだまだ時間はあるから、少しだけ眠ろうと思う。


 目をつむりながら思う。


 急に訪ねたら、光太郎さんはどう思うだろうか。


 怒るだろうか。それとも呆れるだろうか。一度断った後だから、少しばつが悪い。


 ああ、こんなことなら今朝断らなければよかったと思う。


 でも、たぶん私ひとりじゃきっと光太郎さんの実家に行こうなんて覚悟は持てなくて。背中を押されてようやく、ようやく動くことができたのだと思う。


 自分でもばかだと思う。何も今日じゃなくてもとも、やっぱり思う。


 それでも──それでもこの胸に宿る衝動は止められなくて……きっと諦めていたら後悔していたような気がして──。


 だから怒られてもいいやと思う。


 光太郎さんにだって、この感情は止められやしないのだから。



 

◇  ◇  ◇




 寝て起きたら、バスの外はとっくに日が沈んでいて暗かった。高速道路を降りたバスは、街灯もないような知らない道をひた走っていく。


 バスの室内が明るいせいか、それとも外が暗すぎるのか、バスの中からでは、暗すぎてどのような景色が広がっているのかうかがい知ることができなかった。


 時計を見ると、もうそろそろ到着する時間だ。


 程なくして寂れた寄り合い所見たいな場所にバスが停まり、到着場所を告げる。そこが目的地の場所だった。


 私はバックを抱えてバスを降りる。「ありがとうございましたー」と運転手の低音ボイスが背中にかかる。


 降り立った場所は街灯ひとつと、人の居ない小さな事務所があるだけの場所で、どこかもわからない所に心細さを覚える。


 だが、確か丸山さんが迎えに来てくれるはずだ。


 回りを見渡すと、一台のミニバンから丸山さんが降りてくるのが見えた。それに私はほっとする。


「やあ響花ちゃん。待ってたよぉ」


「丸山さん! ごめんなさい、こんな時間に」


「いいよぉいいよぉ。でも今度話を聞かせてね」


 丸山さんが柔和な笑みを浮かべる。


「じゃ、車に乗って。光太郎の家まで送っていくから」


「すいません。お世話になります……」


 丸山さんのミニバンに乗り込む。


「だいたい光太郎の家まで十五分ぐらいだからぁ」


「はい」


 返事をして、そこでようやく私は気づく。


「…………あー! こ、光太郎さんに行くこと伝えるの忘れてたぁ!」


「え? 言ってないのぉ?」


「バタバタしてて……バスの中では寝ちゃってたし……」


 そう言うと、丸山さんは声をだして笑った。


「いいじゃぁん。そのまま行って光太郎をびっくりさせよぉ」


「お、怒ったりしませんかね……?」


「大丈夫でしょぉ」


 っていうかもう今さらだ。怒られる覚悟はでき……ていると思う。たぶん。


「にしても急だったねぇ。まさか今日来るとは思わなかったよぉ」


「……なんか、居てもたってもいられなくなっちゃって」


 私のその言葉に、丸山さんは軽く吹き出す。


「若いっていいねぇ……」


「な、なんですかそれ」


 私はなんだか恥ずかしくなって、やっぱり窓の外に視線を向ける。なんだか今日はこうしてばかりだ。


 誰に話しているわけでもないのに自分の心が他の人にばれていくような感じがして、こそばゆさを感じる。でもまあいいか。私のこの感情に後ろめたいことなんて無い。それに──


 大事な言葉は、まだ誰にも言っていない。それだけは一番最初に光太郎さんに伝えたい言葉だ。


「よし、着いたよぉ」


 丸山さんが道路の途中で車を止める。


「あそこが光太郎の家ね」


 指し示した指の向こう。庭のある家に見覚えのある車が停めてあった。光太郎さんの車だ。


「あの、ありがとうございました!」


 私は車から降り、丸山さんに頭を下げる。


「いいよぉ。頑張っておいでねぇ」


「はいっ」


 その家に近づいて、光太郎さんの車を近くで見る。ナンバーも合っているから確かに光太郎さんの車だ。ここで実は違う家でしたなんて勘違いは無さそうだ。


 玄関に立ち、インターフォンを前にする。ドキドキと高鳴る心臓を押さえるようにして手を当て深呼吸をする。


 少し震える手でインターフォンを押す。


 押してから気づく。


 いやこれ、お母様が先に出てきちゃったらどうしよう!? 何て言おう!? ヤバイ、そういうこと微塵も考えてなかった。光太郎さんの知り合いですなんて言って通じるだろうか。歳も離れた子が訪ねてくるなんて普通怪しむよね!?


 暫くすると中で動く気配があり、私はドキリとする。


 しかし、玄関のガラス越しに写る影を見て私はホッと胸を撫で下ろす。その影は見慣れた大きさと動きで、何となく誰だかわかってしまった。


 カラカラと音をたてて玄関が開く。


 驚きに見開く光太郎さんの目を見ながら、私は微笑む。


「え、えへへ。きちゃった」


 出した声は、少しだけ震えていた。




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