40:俺と彼女と小さな背を押す手




 そのメッセージは丸山さんからだった。


『マル:光太郎こっちに来てるけど』


『マル:響花ちゃんは来てないのー?』


『きょーか:ごめんなさい。バイトとかあったので……』


 なるほどというスタンプが送られてきた。


『マル:バイトってお休みとれる?』


『きょーか:いちおう明日からお休みですけれど』


『マル:それなら!』


『マル:Youこっち来ちゃいなYO!』


 ええっ、と私は戸惑いを見せる。丸山さんまでそんなこと言うの?


 そう慌てていると郵便番号がついたメッセージが丸山さんか送られてきた。


『マル:これ、光太郎の実家の住所ね』


『きょーか:丸山さん! 個人情報! 個人情報!』


『マル:あー……細かいこと気にしちゃダメだよ』


 良いのかなぁ。そんなので……。


『マル:響花ちゃんなら知る権利はあると思うよ』


 うーん…………。


「どうしましたの?」


 スマホの画面に視線を落としながら眉をしかめる私を見て、マリーさんが声をかけてくる。


「あ、いや……光太郎さんの実家の場所がわかりました……」


「あら。それは天の恵みですわね!」


 嬉しそうにポンっと手を叩く。


「でも……」


 一方私は眉尻を下げてコーヒーに視線をおとした。


「急に押し掛けたら光太郎さん迷惑じゃないかなって……」


「でも最初は北条さんが誘ったんですわよね? なら大丈夫ですわ」


「そうですけど、一度断っちゃってますし……」


「もう、うだつがあがらないですわね」


 マリーさんは席を立ち、私の背後に回る。


「もう一度聞きますわ」


 諭すような、優しげな声が降りかかる。


「あなたは──どうしたいんですの?」


「…………」


 その言葉は、ただ行きたいのか行きたくないのかを問うているわけではないように感じた。


 マリーさんの顔が見えているわけではないから、その言葉にどこまでの意味が込められているのか、どんな感情を置いているのかはわからない。けれど、肩に置かれた手の温もりや、その声色から、私のある感情を後押ししてくれるような、そんな気がした。


 その感情の名は。


「私は──」


 私の中でくすぶる、その感情は──。


「やっぱり光太郎さんと一緒にいたい……です」


 ──恋心だ。


「なら。決まりですわ!」


 私の答えに満足がいったのか、マリーさんは明るい声をあげる。


「ちなみに場所はどこですの?」


「えっと……」


 丸山さんからのメッセージに書いてあった県を読み上げる。


「それなら……急げば今日中に着きますわね。であれば、今行ってしまいなさいな」


「えっ!? きょ、今日!? っていうか今!?」


「思い立ったが吉日ですわ!」


「いやいやいや、でも、流石に迷惑じゃ──」


 今からでは到着する頃には夜になってしまう。それは流石に非常識ではないだろうか。


「あら、かわいい子が訪ねてきて嫌がる人はそう居ませんわよ?」


 それってマリーさんだけじゃないのかなぁ。


「それにディナータイムのバイトは……?」


「そんなもの私に任せてもらって構いませんわ! 大丈夫。ディナータイムならランチタイムほど混みませんもの」


 マリーさんの顔を見上げると、にっこりと優しげに笑う顔がそこにはあった。


 軽く肩を叩かれ、彼女の身が一歩下がる。それを見て、私はそれでもちょっと迷った。


 やっぱり迷惑じゃないのかとか、今日中に本当に着くのだろうかとか、明日じゃダメなのかとか──。


 けれど、結局それは単なる言い訳でしかなくて。


 私はどうしたいのか──。


 それは既に出ている答えだった。


 私は椅子を押して立ち上がる。


「さ、お行きなさいな」


 マリーさんが私の背中を押すように触れた。


「恋はいつだって真っ正面から立ち向かって、ドーンとぶつかっていくものですわよ」


 自信満々に言うマリーさんに私はつい笑ってしまう。


 彼女らしい言葉だと、そう思った。


「うん。マリーさんありがとう! 私、行ってみる!」


「ええ。頑張ってきなさいな」





※  ※  ※





 真夏の日差しの下、新宿のオフィス街を走っていく小さな背中をマリーは見送る。


「いっちゃった?」


 店のドアを開け、店長が顔を覗かせた。


「ええ」


 駅に向かって走っていったその姿は、もう曲がり角に消えて見えなくなっていた。代わりにマリーは手をかざして眩しそうに真夏の青空を見上げる。


「全く。何度も何度もため息をつかれてはたまったものじゃありませんわ」


「いちおうお客様の前では顔に出さないようにしてたみたいだけどね」


「それでも、ほっとけませんわよ」


 マリーが呆れたように言うと、店長はクスクスと笑った。


「マリーちゃん気に入ってるのね。響花ちゃんのこと」


「…………」


 マリーは軽くため息をつく。


「見ていられないだけですわ」


 恋愛はなにも付き合って終わりじゃない。そこはスタートラインでしかない。


 言葉を重ねて。手を重ねて。心を重ねて。体を重ねて……そうしないと見えないものがたくさんある。なにひとつとして欠けてはならない、大切なことだ。そしてそれを知るためには、やはりぶつかっていくしかないのだ。そういうことを、マリーは経験の上で知っている。


 マリーは空を見上げながら目を細める。遠くに雷鳴を響かせる黒い雲が見える。


「ひと雨来ますわね」


 暗雲とは思わなかった。


 ほっとけなくても。見ていられなくても。それでも二人なら大丈夫なのではないかという妙な信頼はあった。


 足りないのは、一歩の勇気だけ。


「さて、お仕事しましょ」


「ええ。もうひと頑張りしますわ!」


 そう言ってマリーは店の中に戻っていった。




 

 ※  ※  ※




 

 丸山さんから光太郎さんの地元までの交通手段の連絡を受けて、私は少しほっとした。時間的にすっごいギリギリと言うほどでもない。新宿のバスターミナルから長距離バスに乗って、片道4時間ぐらいの道のりだ。


 それならば一旦家に帰って準備をしてからでも間に合うぐらいの時間だと思った。かなり、というわけではないが、家に行って新宿に戻ってからでも、1時間ほどなら余裕があると思った。


 やっぱり光太郎さんのお母様に会うのだし、バイトに行くぐらいのラフな格好ではなく、もうちょっときれいな格好をしていくべきだと思ったのだ。


 最寄り駅を降りて、私の家の方に走る。いつの間にか青空だった空には厚い雲がかかり、ポツポツと滴を落とし始めていた。


 家の玄関を閉じると共に、外から轟音のような雨音が聞こえてきた。日傘ぐらいしか持ってないから間一髪だった。


 でも今はそんなことに安堵している場合じゃない。


 私は自分の部屋に駆け込むと、タンスやクローゼットを漁り始める。


 この服はちょっと子供っぽいかな。これは丈が短すぎる気がするし……あ、この水色のブラウスはいいかも。でもこれに合うスカートで手持ちで良いのあったかなぁ。


 悩み、考え、そうだと思い付く。


「お母さんの服ならいいのあるかも」


 幸い私とお母さんは背格好が似ていたから、着ていた服も入るだろう。少しは時間が余っていても、ぐずぐず悩んでいる場合じゃない。


 ブラウスとその他数着を持ってお母さんたちの寝室に向かおうと廊下に出る。それと同時に窓の外がカッと明るい光が一瞬差し込む。


 何の光? と窓の外に視線を向けた瞬間──


 ──轟音が鳴り響いた。


「きゃっ!」


 その音に私はびっくりして身を縮ませる。わずかな振動を足元に感じ、続いて引き裂くような雷鳴が耳に届いた。


 たぶん雷がどこかに落ちたのだ。そうとわかるぐらいの音だった。


「あー……びっくりしたぁ」


 胸がドキドキといっている。それを私は無視した。


 両親の寝室に入り、タンスを開ける。うん。全体的に濃い目の色合いが多い。黒とかブラウンとか。あーでも、この白いスカートはいいかも。


 その他もう一着だけ拝借して、自室に戻り、大きめの鞄に服や下着とか日焼け止めやらコスメも詰め込む。


 いざ、と家を出ると外はどしゃ降りのままだった。空は時おり光り、ゴロゴロと唸りをあげている。あんまりな天気だと空を見上げ眉をしかめる。けど、気にしている場合じゃない。私はぐっと前を向くと、傘を広げて駆け出す。


 泥とか跳ねなきゃいいけど……ああもう、センスだけで選ぶんじゃなかった! でも急ぎたいし……。なんで急に夕立が降ってくるの。いや夕立ってそういうものだけど!


 そんな愚痴を心の中で唱えながら駅にたどり着く。


 改札の前でスマホを取り出そうと、鞄に手を突っ込み、思いの外奥の方に入ってしまっていたスマホに手間取る。


 時間、まだあるよね?


 私は少し不安になって電光掲示板にある時計に視線を向けた。よかった。まだ時間的には余裕がある。これなら──と思ったところで気がつく。


 電光掲示板の池袋行きという文字の下に流れる文字が流れている。それは緊急時の案内で見るものだ。


≪西武池袋線は、富士見台駅付近に落ちました雷の影響により──≫


「え……?」


 その文字を見て、私は鞄を漁る手を止めた。






≪──上下線共に運転を見合わせております≫






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