32:俺と彼女は苺のように



「ただいま──ん?」


 玄関を開け、家の中に入るといつも出迎えてくれる「おかえり」が無かった。灯りはついているし、靴もあるから家の中には居るらしい。


 部屋に入ると、響花がテーブルにうっぷしていた。


 俺の気配に気がついたのか、響花は顔をあげると、


「あ、おかえりぃ……」


 と、力なく出迎えた。


「初バイト。どうだった?」


 響花のその姿を見ながら苦笑する。


「し……死ぬかと思った」


 顎をテーブルにつけ、テーブルを占めるように彼女は腕を伸ばして再びうっぷす。


「どんだけミスった?」


「それはもう、いっぱい……。オーダー間違えたり、違う人に料理だしちゃったり……」


「怪我とかはしなかったか?」


「それは大丈夫だったけど……」


 彼女は珍しくため息をつく。


「あんなんでよかったのかなぁ」


「初日にクビになってなきゃ大丈夫だろ。新人なんてそんなもんだ。とりあえず、まあ……怪我なくてよかったよ」


 響花の横にコンビニで買ってきたものを置く。


「へ? これ、ケーキ?」


 響花は顔をあげてテーブルに置いたショートケーキを手に取ると顔を輝かせた。コンビニによくある二個ワンセットのシンプルなカットケーキだ。


「初バイトお疲れさま記念だ。まあ、コンビニのケーキだけど」


「ううん! ありがとう! 嬉しい!」


 響花の顔が花開いたかのように笑顔になる。


「……コンビニケーキで喜びすぎだろ」


 呆れを含んだ声で言っても、響花はへそを曲げることはなく、嬉しそうな笑顔のままだった。


「コンビニのでもいいの! 光ちゃんのお疲れさまって気持ちが一番嬉しいからっ!」


「そ、そうか……」


 そんなに喜ばれるとは思わなかった。なんだか買ってきた本人が気恥ずかしくなってくる。


「よし! ちょっと元気出てきた。ご飯作っちゃうね」


 ケーキを持って立ち上がる。今すぐ食べる訳じゃなく、冷蔵庫にいれるつもりなんだろう。


「あー……じゃあそうめんが良いな。今日暑かったし」


 俺の言葉に響花は一瞬きょとんとした顔になると、直ぐに微笑みを返し、エプロンを手に取った。


「ありがと。光ちゃん。光ちゃんのそういうところ好きだよっ!」


 そう言い残して響花はキッチンに消えていった。


「……恥ずかしげもなくよく好きって言えるな」


「もうっ」


 ボソッと呟いた言葉だったが響花には聞こえてしまったらしい。キッチンの方から覗かせた顔は少し赤くなっていた。


「恥ずかしくないワケじゃないんだからね!」


 それだけ言い残して再びキッチンに消えてしまった。




◇  ◇  ◇




 そうめんを食べ終え、響花はうきうきしているという表現がぴったりな表情でコンビニケーキを冷蔵庫から持ってきた。


 俺が買ってきた苺のショートケーキを小皿に取り分け、それぞれの前に置いた。コンビニケーキなので二個入りだ。


「俺はいいぞ響花」


「え、でも……」


「響花のために買ってきたんだし、一人で食べるといい」


「むむむ……」


 そういうと響花はちょっと悩むようにケーキを見つめ、


「太るかな……いやでも今日カロリー結構消費した気がするし……」


「気にしすぎじゃね?」


「もー、そんなこと言ってるとすぐ太っちゃうんだからね」


 俺は響花の体を一通り眺めて、


「……気に、しすぎじゃね?」


 最後に響花のジト目と目があった。


「光ちゃん、その視線いやらしい」


「今の話の流れだと見るだろ……」


 俺のジト目と響花のジト目がぶつかる。だが、すぐに視線をそらしたのは響花の方だった。


 響花は心持ち頬を染めながら、視線をさ迷わせた。


「……光ちゃんは、ぽっちゃりと痩せてるの、どっちが好み?」


「えぇ……」


 急にそんなことを言われてもだな……。


 俺は改めて響花の体を見る。


「ってジロジロ見るのはダメだってば!」


「見なきゃどっちがいいかなんてわからないだろ」


「わ、私は単純に光ちゃんの好みのタイプを聞いてるんだよ?」


「……あー……そうだな」


 ひとつ、いたずら心が芽生えた。


「俺は響花ぐらいのが好みだぞ」


「ふぅん……私ぐらいのが好み……光ちゃんも難しいこと言うなぁ。体型維持するのって大変なんだよ?」


「……響花」


「ん?」


「俺は自分の好みを言っただけだけど?」


「? ──あ」


 一瞬にして響花の顔がゆでダコのように真っ赤になった。


「俺は響花にそうなって欲しいなんて言──」


「あー! ケーキ美味しそうだなぁ! でもやっぱり二つは多いからひとつは光太郎さんに食べてもらわないとなぁ!」


 いや、ずいぶんとわざとらしく俺の言葉さえぎったな、おい。


「じゃあ光太郎さん! せっかくだからあーんしてあげるね、あーん! ほら、あーん!」


 響花がスプーンを手に取り──ケーキの半分以上を無理矢理のせて、俺の方に差し出してきた。


「おい、まて。これ多すぎ──」


「いいから口開けましょうねぇ! こぼしちゃうからね!」


「ちょ、ま! フゴ! フゴゴゴゴ!」


 待てと口を開いた隙に、無理矢理ケーキをねじ込まれた。


「あっ、さっすが大人! まだ入るね!」


「ムゴゴゴゴゴゴ! ムゴ! ムゴゴ!」


 開きっぱなしの口に残りのケーキもねじ込まれる。


 ヤバイ。苦しい。っていうか気持ち悪っ。


 しかし吐き出すわけにもいかず、涙目になりながらなんとか咀嚼する。喉奥から競り上がってくるものを押さえつけるように、ティッシュで口を押さえつけ、周りについたクリームを拭き取った。


 俺が食ってる間に響花は半目で俺を睨みながら、自分の分のケーキを食べていやがった。おおかた俺に同じことをされるのだと思ったのだろう。


 だが最後の最後にイチゴを残したのは失敗だったな!


「いただきだ」


 俺は隙をついてそのイチゴを指でつまむ。


「ククク……先ほどの狼藉、謝ればこのイチゴを返してやるぞ」


「え。光ちゃんちょっと寒いよそれ。いいからイチゴ返して」


 うっわ、すげぇドライな反応返ってきた。


 もう少しノリのいい反応が返ってくると思っていたので、予想外の反応に戸惑っていると響花の目が光った気がした。


「隙あり!」


「おあ!?」


 響花がしがみつくように俺の手を取り──俺の指ごとイチゴにかぶり付いた。


 響花の舌と歯でイチゴは俺の指を離れ、代わりにぬめりと生暖かい感触に包まれる。


「んー……」


 ホンの少しの間響花は赤ん坊のように指に吸い付き……棒つきのキャンディーを引っこ抜くように指を口から離した。


 響花はイチゴを咀嚼し、飲み下すと、


「ふふ……食べちゃった」


 と、小悪魔のように微笑んだ。ただ、その頬はほおずき見たいに真っ赤で自分でやっていて恥ずかしかったようだ。


「……光ちゃん、顔真っ赤だよ?」


「お前もな……」


 流石にあんな行動取られたら、こっちも恥ずかしい。というか変な気分になってくる。


「光ちゃん」


「……なんだ?」


 響花は小悪魔っぽい笑みから、優しげに微笑む。


「ケーキ、美味しかったよ。ごちそうさま」


「……どーいたしまして」


 まあ、なんだ。響花が満足しているならそれでよしとしよう。





◇  ◇  ◇





 初バイトで疲れもあったのだろう。響花はあの後すぐに船をこぎ始め、ベッドに移動させるとすぐに寝息をたててしまった。


 その体にタオルケットを被せ、点けていたテレビの音量を下げ、俺はベッドに腰かける。


「……ふぅ」


 ひとつ息を吐く。それは疲労感も含んだものだがどちらかというよりは──


 満足感や安心感、だな。充実感とも言うべきか。


 響花と居ること。響花が居てくれていることに、俺はいつからかそういう感情があることを自覚していた。


 昨日のマリーさんとの会話を思い出す。


 俺と響花の関係──。


 俺は響花とどうなっていきたいのか。


 そして俺は響花のことをどう思っているのか。


 けれど──。


 けれどそんなこと、深く考えずとも答えなんてとっくに出ていたのだと思う。それは多分、あの夜。響花がこの部屋を出ていったときから。


 昨日どうしたいのかを答えられなかったのは、恥ずかしさもあり、迷いもあるが──


 まず最初に響花に伝えないと、な。


 それが順序だと俺は思う。


 後ろを振り返る。安らかな寝顔がそこにはある。


「っていうか涎……」


 苦笑し、指でそれを拭う。


 ティッシュで指をふいていると、


「光太郎、さん……」


 名を呼ばれ、再び視線を響花に戻す。が、彼女は寝たままだ。


「寝言か……」


 けれど、寝言とはいえ彼女に名を呼ばれることは好きだった。


 もちろんそれだけではなくて──。


 響花が向けてくれる笑顔も、艶やかな黒い髪も、くりっとした目も、近づくと香ってくる匂いも、彼女が作ってくれる不馴れだけど一生懸命作った料理も、子供っぽくいたずらを仕掛けてくるところも、この部屋でくつろいでいる姿も、怒った顔も、泣いている顔も、そして──


「おかえり」と俺を出迎えてくれることも──。


 全部、大切で、全部、好きだ。




 ああ、そうだ。

 

 

 

 俺は響花が好きなんだ。

 

 

 

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