28:俺と彼女と轍




『きょーか:夏休みだー!』


 昼休みに弁当を食べているとそんなL○NEが飛んできた。ついでに猫が地球らしき球体の周りをぐるぐると回っているスタンプも送られてくる。よほど嬉しいのだろう。


 そうか。今日は終業式だったか。


 羨ましいと思う反面、恨めしくも思う。だがそれを表に出したら響花も興ざめだろう。だから怒りマークのスタンプを押すのをグッとこらえる。


 まあ夏休みは学生の特権だ。俺だってその特権に甘えて生きてきた。ありがとう、親父、お袋。今、あなた方の当時の気持ちがちょっとわかった気がする。


『きょーか:光ちゃーん!』


『きょーか:夏だよー!』


『きょーか:やほーい!』


 …………。


「センパイ? どうしたんですか、そんなに箸折りそうなぐらい握りしめて?」


「いや……なんでもない」


 みしりと箸が軋む音がした。


 手の力を緩めながら、怒りスタンプの代わりによかったねとスタンプで返して、スマホを放り出す。


 代わりに卓上カレンダーを手に取った。


 えっと、今日が24日で、8月の末まで休み?


 うちの会社は8月の11日から14日?


 卓上カレンダーをそっと机の元の位置に戻す。


 はー、そうですか。そんなに休みですか。


 はー。


 あー……どちゃくそ羨ましい。


 椅子に背を預けて窓の外を見れば、夏の青空が広がっている。


 それを眺めながら、かつて自分にもあった学生の夏休みを思い出す。


 俺はあの時何をやっていたんだったか……。


 高校一年……ゲームばっかりやってた気がする。


 高校二年……やっぱりゲームばっかりやってた気がする。


 高校三年……それでもゲーム──と、さすがに受験勉強していた気がする。


 今思い返すとろくな夏休み過ごしてないな。いや、あの当時はあの当時で最高の夏休みだったはずなんだ。


 ──けど、もし。


 …………いや、やめよう。


 頭に浮かんだそれを俺は頭を振って打ち消す。


 代わりに俺は、夏の空を見ながら、今年は有給使って俺もいつもより長い休み取ろうかなと考え始めた。

 

 


 

 ◇  ◇  ◇


 

 


 家に帰り、風呂に入って、晩御飯を食べ、お茶を飲んで一服したところで俺は口を開いた。


「響花。通知表」


「────え?」


 鼻唄まで歌ってご機嫌な様子だった響花の表情が一瞬にして凍りつく。


 いやホント、ご機嫌なところ悪いのだが、夏休みを迎える学生には洗礼がある。


 そう、通知表の開示である。


 ここら辺はご家庭にも寄るのかもしれないが、子供の成績を手っ取り早く確認するには通知表を見せてもらうか、テストの点数を見るぐらいしかない。


 テストの答案なんて逐一持って帰っているのか怪しい。だから、終業式から俺の部屋に直行したのを見計らって、俺は宣言した。


「えっと、その……見せなきゃダメ?」


「ああ」


「どうしても?」


「他界しているとはいえ人様の娘預かっておいて、成績の面倒見てません放置してました。なんて、俺お前の両親に顔向けできんわ」


「うっ。それは、そうかも……」


「別に怒ったりしないから」


「そんなこと言っても大人は怒るくせに……」


 そう言いながらも、響花はおずおずと通知表を差し出してきた。


 その通知表を開いてみてみる。


「…………うーん」


 平均は3.4点。正直よろしくない。


 現国は良いものの、数理系が弱い。これを見た感じだと文系か。


 何より欠席日数が響いている。コメントでも指摘を受けているくらいだ。


 二桁は既に休んでいる。これ、単位に響いてくるんじゃないだろうか。


「不良少女の通知表だな」


「ふ、不良じゃないし。ちょっと授業中に寝てるだけだし」


「寝るなら成績あげてから寝なさい」


「寝るのは良いんだ……」


 しかし、ううむ……。


「響花。この通知表を見て、響花はどう思う?」


 響花に通知表を見せながら、そう聞いてみる。


「え?」


 急に聞かれ、響花は一瞬ポカンと口を開けたが、すぐに通知表を睨みながら悩み始めた。


「うーん……普通に成績落ちたかな……。あとは出席日数。これはまあ、先生に呼び出されて心配されたけど」


 落ちたと言うことは……。


「ちなみに一年の時は?」


「細かくは覚えてないけど、もう少しよかったよ?」


「そうか……」


「光ちゃん?」


 眉をしかめる俺に対してどうしたの? と響花が小首をかしげる。


 俺は首に手を当てながら、


「いや、成績落ちたのも俺のせいだよな、と」


「へ? そんな、光ちゃんは悪くないよ!?」


「とは言ってもだな。正直学校の成績まで考えてなかった。テスト期間中だって普通に家事してもらってたし、というか今月先月のバタバタで勉強する余裕もなかっただろうし」


「それは、そうだけど……」


「テスト期間中ぐらい家事サボってもいいぞ。成績をおとしてまでするもんじゃあない」


「でもなぁ……私がしたくてしてることだし。押し掛けてまで来たのに、成績落ちたからってやめちゃったら、なんか意味がないというか……」


「しかし、学生の本分は学業だろう?」


 そう言うと、響花は思いっきり不満げに唇を尖らせ、


「その言葉嫌い」


「だろうな」


 俺だって学生の頃、嫌いだった。


「しかしねぇ……どうしたもんかね」


「私、両立するよ! 他の子だってバイトとかしてる子もいるし」


 それに、と彼女は目を伏せ、


「別に成績が上がらなくても……卒業さえできれば……」


 それは、どこかで何かを諦めているような、そんな表情にも見てとれた。


 まあ親が居ない以上、働かなきゃいけないって気持ちもあるのかもしれないが、その理由だけでは少々後ろ向きすぎる。


 だから、俺はあやすように響花の頭を撫でた。


「へ、こ、光太郎さん?」


「あ、すまん。嫌だったか?」


 女性ってあまり髪を触られるが好きじゃないとも聞く。少し軽率だったか。


「ううん。そんなことない! ただ、びっくりしただけ。えっと、その……撫でていいよ?」


「お、おう」


 彼女の柔らかい黒髪を、あまり器用とも言えない撫でかたをしながら、俺は諭すような口調で言う。


「大学には行っておきなさい。これは人生の先輩としての助言だ」


 ポンポンと案外小さな頭を撫でる。


「いい大学いけとかそういうんじゃない。けど自分がやりたいと思ったこと。進みたいと思った道は進むべきだ。でないと、俺みたいなろくでもない大人になっちまうぞ」


「…………」


「響花はなにか、やってみたいこととか、夢とかあるか?」


「……どうだろ、あんまり、考えたことなかったな」


「そうか。じゃあ、悩め。いっぱい悩め」


 響花が顔をあげる。それに合わせて俺も彼女の頭から手を離した。少しだけ驚いたような表情が、そこにはある。


「そうして悩んで選んだ道の方が、後悔は少ないだろうから」


「光太郎さん……」


 響花の目から──涙が一粒零れた。


「──響花!?」


 見ているそばから二粒、三粒と響花の白い頬を伝っていく。響花は一瞬何が起きたのかわからなかったのか、呆然と俺の顔を見上げていたが、その涙に気がつくと慌てて目元をぬぐった。


「こ、これは、ごめん、違うの」


「すまん! えっと、なんだ。俺、何か変なこと言ったか?」


 突然の涙に俺は目に見えて狼狽える。女の子を泣かせてしまったなんて、情けないことに人生はじめてのことで、自分が動転するのが嫌でもわかる。


「ごめんね。違うの。もう大丈夫」


 響花は涙を払うように首を振り、目元を拭う。少し赤くなった目は、すぐに涙が止まったようだった。


「ただ、少し情けなくなっちゃって……」


 泣いていたことを隠すかのように、彼女ははにかんで見せる。


「光太郎さんは色々私のこと考えてくれているのに、私、それに応えられてないなぁって」


「そんなことはない!」


 急に語気を強めた言葉に、響花は目を見開く。


 自分の言葉に、俺の方が恥ずかしくなって俺は目をそらした。


「響花は十二分に応えてくれている。むしろ俺が貰いすぎなくらいだ。だからこそ、お前には後悔してほしくないと言うか、好きなことやってほしいと言うか……」


「ふふふ……」


 何が可笑しかったのか、響花はクスクスと笑いだした。


「なんだよ……」


「光ちゃんのそういうところ、かわいいなって」


「……年上にそういうこと言うもんじゃない」


 こんな歳でも色々とはじめてで、いっぱいいっぱいなんだよ。


「ねぇ……光ちゃんは、進学とか就職とか、そういうので後悔してる?」


「…………わからん」


 俺は何かを思い出すかのように、天井を見上げる。進学や就職を考えていた、十数年前の事に思いをはせる。


 あの当時は後悔なんてしないように考えていた。その、つもりだった。けれど──、


「後悔していると言えば後悔している。もっと勉強していればいい大学進めたんじゃないかとか、もっと違う就職先はあったんじゃないかとか、転職すればよかったんじゃないかとか……ただ──」


「ただ?」


「どうあがいても、俺の人生はこうなるしかなかったんじゃないか。そう、思ったりもする」


 それは後悔という感情ではない。もっと後ろめたい、絶望感に似たものだ。


 どんなにいい道を進んだとしても、結局俺は目が回るような社会の波に飲み込まれて、仕事に追われる日々しか送れなかったのではないか。


 それはもう進学や、就職先などではない、もっと根本的なところから間違っていたのではないか。


 言うなれば形成された価値観や、性格がそうさせてしまったのではないか。


 だから、俺がずっとひとりで生きてきたのは仕方のないことだったのではないか。


 ──そう思うこともしばしばある。


「そう……なら私はよかったかな」


 そんな俺に対して彼女は──


「ん?」


「光ちゃんが違う道を歩んでたら、きっと私は光ちゃんに出会えなかっただろうから。私は光ちゃんと出会えた今が嬉しいよ」


「──────」


 響花は、どこか慈しむように微笑んで見せた。


 俺の後ろ向きな考えを、この生きざまを、響花は肯定した。肯定してくれた。


 それは本当に、彼女にとって何気ない言葉だったのかもしれない。


 けれど、まるでそれは、分厚い雲の切れ間から覗く一筋の光のような言葉で──。


「そうかい。なら、この人生も捨てたもんじゃないな」


 不覚にも、全くの不覚にも俺は響花の言葉に心を揺さぶられ──それが悟られないよう上を向いた。


 涙だけは零れずにすんだ。

 

 

 

 

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