29:俺と彼女と立花マリー



 そのキッチンは小さな戦場だった。


「はいこれ! 3番テーブル!」


「6番テーブルのお客様オーダー聞いてる? 聞いてない? 早くいってきて!」


「チーズケーキ品切れ! ホールの皆に伝えておいて!」


「10番の料理まだ!? いつまで待たせるの!?」


 そこは洋食レストランであった。4人がけテーブルが15席ほどの中規模なレストランだ。店内は木目がきれいな床も、木製のテーブルもアンテーク調に仕立てあげられ、天井からは鞠のようなガラスの照明がいくつも店内を彩っており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。


 そんな店内のテーブルは全部埋まっており、店の外には列が出来上がっていた。


 カップルもいれば女性だけのグループも多い。比較的若い子が多く、各々のテーブルでの会話で店内はざわめきが絶えなかった。


 その中をブロンドヘアーのウェイトレスが、背筋をピンとたてて早足に動いていく。


 お冷やを出し、注文を取り、キッチンから料理を運び、お客が去ったテーブルの皿を手早く片付ける。


 その凜とした姿に、何人かの客が目を奪われ、その動きに視線を向けられる。


 特に男性からの視線が多いことを、彼女は──立花マリーは自覚していた。時おり、視界の端で彼女に怒られている男性の姿が見える。


 あらあら、お気の毒に。とは思うが、マリーはそんなことを気にかけていられる余裕がない。


 ひっきりなしにくる客からのオーダーと配膳、片付けで間違えないようにするのが精一杯だ。


 大きなホールというわけではないが、流石に3人で回すには人手が足りない。


「マリーちゃん、ここはいいから外の列整理お願いできる?」


 キッチンに戻ると店長から耳打ちされる。


「わかりましたわ。それより店長、少し休憩なされた方が……」


「あはは、だ、大丈夫よ」


 この店のオーナー兼店長は女性の方だ。ひとりで立派にこの店を経営しているのだが、最近疲労の色が濃いように見える。隈を隠す化粧が、日に日に厚さを増しているようで、少し心配だとマリーは思う。


 何とかならないものかと、マリーは店の外に出ながら思った。

 

 

「バイトが集まらない?」


「そうなのよねぇ~」


 夜の閉店時間を迎え、店内の掃除をしながら店長がそうぼやいた。


「求人だしてるんだけど、全然来なくて……それなりにお給金弾んでるつもりなんだけどねぇ」


 重々しく店長がため息をつく。


 新宿のオフィス街で人の往来が激しいとはいえ、他にも多くの競合店もあり、案外思ったように人は集まらない。飲食のバイトは歌舞伎町方面がやはり強く、こっちまで流れてこないのだ。


「あと一人、昼間のホールスタッフ欲しいんだけど、みんな都合悪くてねぇ。マリーちゃん誰かいい子いない?」


「そう言われましてもね……そんな急には」


 声はかけてみたが、友人知人は既に他のバイト等で忙しいらしい。


 しかし、店長が困っている以上、なにか力になってあげたいとマリーは思う。そうでもしないと、この店長は本当にぶっ倒れてしまう。


「あと一ヶ月。この夏を乗り切れば客足も落ち着くと思うのよ。それまでの間でいいんだけども!」


 そう店長が言うのもマリーは納得できる。


 というのもこの繁盛は元からではない。ここ最近公開された映画の舞台として使われ、その映画がヒットした結果、聖地として訪れる人が多いのだ。


 しかもここ数日さらに客が増えたのは、学生が夏休みに入ったからだろう。


 元々この店はオフィスに勤めるサラリーマン向けに開かれた店だ。


 映画の公開時期が終わり、学生の夏休みも終われば自然と客足は元に戻るだろう。


 一ヶ月乗り切るだけでいい。しかし、一ヶ月だけのバイトというと短期にしては長いし、長期にしては短い中途半端さだ。


 マリーは顎に指をあて、考える。高校生が多いのであれば、高校生のバイトを迎えれば良いのではないだろうか。ちょうど一か月というのも夏休みの期間だ。その間だけのバイトと言うのも需要があるのではないだろうか。


 しかし、自分に都合よくそんな知り合いは──。


「あ……」


 いや、居た。


 ある黒髪の少女のことを思い出す。


「店長。一人あてがあるんですが……いかがします?」


「ぜひ連れてきて!」


 店長の目がピカーンと光った気がした。



 

※  ※  ※




「ん? マリーさんからだ」


 夏休み初日の朝。光太郎さんと朝御飯を食べていると、珍しい人からメッセージが入ってきた。温泉にいった当時にやり取りをして以来だ。


 なになに……?


『Marry:お久々ですわ。元気にしていたかしら』


『Marry:響花さんはもう夏休みに入られまして?』


『Marry:突然で悪いのですけれど、バイトしてみる気はないかしら?』


『Marry:ちょっと人手が足りなくて、貴女の力が必要なんですの!』


 ……これは。


「光ちゃん。マリーさんからヘルプ入ったんだけど、バイトしてもいい?」


「!!? ゲホッ! ケホッ!」


 私の言葉に、コーヒーを飲んでいた光ちゃんが吹き出し──そうになるのをなんとか堪えて、飲み下し、代わりに盛大に咳をした。ちょっと器用だったと思う。


「な、何急に!? バイト? っていうかマリーって誰っ!?」


 一通り落ち着くと、光太郎さんはかぶりを振って問い詰めてきた。


「あれ? 覚えてない? 温泉に行ったときに会ったきれいな人の話」


「ん? ああ……そいやそんな話してたような。ブロンドのめちゃくちゃ美人な人だっけ?」


「そうそう。その人からバイトしてみないってL○NE来てさ」


 そう言って私はそのメッセージを光太郎さんに見せる。


 すると光太郎さんは眉をしかめ、


「いやこれ詐欺かなんかだろ!」


 私はもう一度メッセージを見返す。


 ……うーん。


「あはは、光ちゃん疑いすぎでしょ。ちょっと変な人だけど悪い人には見えなかったよ?」


「いや、お前の危機感の無さが怖いんだけど!?」


 光太郎さんがおかしいぐらいに真っ青になっている。


 それにしてもバイトかぁ。考えてみれば経験したことがない。


 今の状況も住み込みのバイトとも言えなくはないけどお給金が出ているわけでもない。


 来年の今ごろはバイトなんてしている余裕があるかわからないし、何より──。


 とある日付を思い浮かべる。


 あと四ヶ月くらいかぁ……あっという間だよね。


 別にお金に困っていると言うわけではないが、その日に送るものぐらい親が残したお金ではなく、自分が働いたお金で出してみたい。


「光ちゃん! 私、バイトしてみたい」


「はぁ? お前昨日成績どうしなきゃねって話したばっかりじゃねぇか。第一こんな怪しそうな──」


「あ──」


 光太郎さんが苦言を呈するのを遮るように、私のスマホから着信音が鳴った。マリーさんからのL○NEでの通話だ。


 私は思わず、その着信を取る。


「あ、ちょっ──」


 光太郎さんが止めようとして、失敗し、代わりに頭を抱えた。


「もしもし?」


『もしもし? 響花さん? お久々ですわ。既読が付いたからかけてみましたの』


「お久々です。マリーさんもお元気ですか?」


『私は元気ですわ! それよりメッセージをお読みになったからお願いしたいのですけど──』


「響花。スピーカーにしてもらえね?」


「え? あ、うん」


『? 誰か居ますの?』


 光太郎さんに言われ、スマホをテーブルにおいてスピーカーにする。


「あー、もしもし?」


『どちらさま?』


 光太郎さんの声にマリーさんの声が警戒するように強張った気がした。


「響花の保護者です」


『保護者──ああ!』


 しかし、それも一瞬の事でマリーさんの声に明るい色が戻る。


『あの、ねぼすけていたおじ様ですわね! あの時は挨拶できなくて申し訳なかったですわ』


「それは構わないんだが──それよりも、うちの響花を怪しげなバイトに誘うのはやめてくれねぇか。こいつはまだ高校生で──」


『ウフフフフ』


 光太郎さんの説教のような言葉が、マリーさんの笑い声に遮られた。


「……なんだよ?」


『大切にされているのですわねぇ』


「はぁ?」


『それに──フフッ』


 マリーさんは一拍置き、


『バイト先は普通のレストランですわよ?』


「……は?」


 スピーカーからクスクスとマリーさんの笑い声が聞こえてくる。


『いったい、どんな仕事だと思ったのかしら?』


「…………」


 光太郎さんの額に脂汗が浮かび始めた。


『まさかとは思いますが、いかがわしいお店だなんて……そんなことは思ってませんわよね?』


「いや、だって……はい……すいません。早とちりしました」


『フフフ、素直でよろしいですわね!』


「…………」


 よっぽど恥ずかしかったのだろう。光太郎さんが顔を真っ赤にして、顔を押さえて倒れ込んだ。


 光太郎さんがそうなってしまったので、代わりに私が質問をする。


「マリーさん。お仕事ってどういう中身になるんですか?」


『そうですわね……主に接客になりますわね。後は皿洗いやレジ打ちなどかしら』


「うーん。だったらやってみようかなぁ……」


『受けてくださいますの!?』


「ただ、私未経験なんですけど……いいんですか?」


『未経験者でも大歓迎ですわ! 急ですけど明日お店に来れます? 来れますわよね? 夏休みですものね? 店長と面接して欲しいんですの』


「えっ、明日っ!?」


『明日ぐらいしかないんですの。来てくださいまし!』


「まあ……いいですけど……」


『それに、もしよかったら──そこの過保護な保護者も如何かしら?』


 マリーさんの言葉に、光太郎さんは憮然とした表情のまま起き上がる。


「俺はサラリーマンだからバイトなんてしてられんぞ」


『ああ、そうではなく──彼女がどんな所で働くのか興味はありません?』


「む……」


 光太郎さんは首を手で触れ、少し考え込む。しかしそれはさほど時間はかからず、


「まあ、確かに」


 と、肯定した。


『なら決まりですわね! 明日の14時にお店でお待ちしておりますわ。場所は後でL○NEしますわね! それでは、楽しみにしてますわ!』


 そう言ってマリーさんからの通話が切れた。


「なんと言うか……」


 光太郎さんがなんだか疲れたような表情をする。


「嵐みたいな子だな……」


「あ、あはは……」


 その評価に、私は苦笑いを返すしかなかった。

 

 



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