23:思うこと。願うこと。③

◇  ◇  ◇




 結局、その日は響花の家に泊まることになった。


 泊まれる客間がさっきの仏間しかないのは、少し居心地があれだが、仕方がない。


 遺影の二人の視線が突き刺さるように感じるのは、俺の心持ちのせいだろう。


 大事な一人娘を預かっていて本当に申し訳ありませんでした。


 再度仏壇に手を合わせ、電気を消して床につく。


 枕に頭を預けながら、考えるのは響花の事だ。結局、何故この家に戻ることにしたのか、理由を聞けていない。


 まあ、だいたい想像ができるけど……。


 仕事の電話が降りかかってきた次の日のことだ。勝手に責任を感じて俺から離れようとしたのは、想像に難くない。


 それは間違いであることは、彼女に言ってあげないといけない。


 そんなことを考えていると、襖を叩く音が聞こえた。


 何事かと思って、立ち上がり襖を開ける。


「長島?」


 パジャマ姿の響花がそこに立っていた。その腕には枕を抱えており、上目使いで響花はもじもじとしている。


「あ、あの光太郎さん……その、一緒に寝ても、いい?」


 小さくため息をつく。


「この寂しがり屋め。今回だけだぞ」


 そう言って俺は響花を中に招き入れた。


「ありがと」


 どうにも俺は響花に甘いなと思う。思うが、彼女の状況を考えれば、そう邪険にもできない。


 急にひとりになって、ひとりぼっちで過ごしてきて、辛くないわけがない。高校生といっても、まだ子供だ。一人立ちする覚悟すらできないまま、放り出された子だ。


 そんな身の上を聞かされてなお、彼女の甘えを突き放せるほど俺の心は強くない。


 それは同情ではあるが──。


 今日くらいはいいだろう。


 響花は枕を並べると、敷布団の端に陣取る。


「ほら、光太郎さん。寝よ?」


「あ、ああ」


 今までベッドの上と下だったから、一緒の布団というのは少し緊張する。心なしか、遺影の二人の視線が厳しくなったように感じるのは、きっと俺の心持ちのせいだ。


 やましいことは絶対にしません。と一言謝ってから、響花に背を向けて体を横にする。


「じゃあ……おやすみ」


「うん。おやすみ」


 と言っても、寝れるわけがない。


 響花の吐息がすぐ後ろから聞こえてきて、落ち着かない。


 少し足を動かせば、響花の足に触れ、慌てて引っ込める。


 この状況で響花は寝れるんだろうか。


 そう思ったとき、背中にかかる声があった。




※  ※  ※




「光太郎さん、起きてる?」


「……ああ」


 背を向けたまま、光太郎さんは答える。


「その……お仕事どうだった?」


「なんだそんな事か。仕事はうまくいったよ」


「ほんとに?」


「嘘ついてどーすんだよ。もしうまく行ってなかったら、平日に休みなんてとれねぇよ」


 苦笑混じりに光太郎さんは言う。


 それでも大丈夫だったのか、心配になると、光太郎さんは「それより」と話を区切った。


「……なんで急に出ていこうと思ったんだ?」


「それは──」


 聞かれ、背を向けられているのに視線をさ迷わせる。


「仕事に影響を与えたのは自分が負担になったからだってか?」


「…………」


 光太郎さんがそう言い当てたのは、たぶんL○NEでのチャットが記憶に残っていたからだろう。


 光太郎さんは身を起こしてあぐらをかくと、顔と視線を私の方に向けた。私もつられて身を起こし、光太郎さんの視線に私の視線を合わせる。


 光太郎さんの目は少し怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。


「自惚れんなばーか。お前ひとり抱えたぐらいでダメになるくらいなら、とっくの昔にクビになってるわ」


「で、でも……光太郎さん、私のために仕事早く切り上げて帰ってきてくれたんだよね? それって私が負担に──」


「阿呆」


 私の言葉をその一言で遮った。


「俺は一度も、お前が負担になったとか思ったことはない。けど──」


 光太郎さんが手を伸ばす。


 大人の男性の、ごつごつとした手が私の頭に触れ、そして少し乱暴に私の頭をなで回した。


「わっ、な、なに!? なにすんの!?」


 光太郎さんの腕を掴んで抗議するが、光太郎さんは私の頭から手を離さない。そのせいで光太郎さんの顔が見えず、どんな表情をしているのかわからない。


 けど、伝わってくる雰囲気は穏やかで、決して悪くなかった。


「なあ──」


 光太郎さんが──────


「響花」


 ──私の、名を呼ぶ。


 それが信じられなくて、光太郎さんの表情を見ようと、顔をあげようとするが、頭に置かれた光太郎さんの手に阻まれて見れない。


「あー、その、なんだ……えっとだな」


 光太郎さんにしては珍しい声色で、戸惑いや、気恥ずかしさが伝わってくる。


「俺は響花が家で待ってくれていることの方が、嬉しい」


「────」


 頭に置かれた光太郎さんの手は温かく、熱を帯びている気がした。


「……響花が居なくなって、正直寂しかった」


 彼の苦笑が聞こえる。


「情けない男だろう。居候ひとりいなくなったくらいで慌てふためいてさ」


「……うん……そうだね」


「いや、おいおい」


 光太郎さんの手が緩む。


 その隙をついて私は彼の手を取り、その手を自分の頬に擦り付けるように押し当てた。


 ちらりと見た光太郎さんの表情は、夜闇でもわかるくらい赤くなっていた。


 それがなんだかかわいくて、クスリと笑う。


「笑うなよ……こっちだって結構恥ずかしくていっぱいいっぱいなんだ」


「ごめん。でも私、光太郎さんのそういう情けないところ、嫌いじゃないよ」


「……そうかい」


 光太郎さんの手を撫でる。頬から伝わる感触はざらざらとしていて、ちょっとくすぐったかった。


 その手を私は少しだけ力を込めて握る。


「光太郎さん。私、きっと身勝手だった。光太郎さんの事考えてるようで、全然考えられてなかった」


 光太郎さんは私の言葉に、はっと息を飲んだ。


 自分の言葉を反芻し、悔しさに涙が滲む。


 けど、泣いてなんかいられない。


「私の身勝手で勝手に逃げ出して、光太郎さんを傷つけちゃってた」


「響花……」


「だから──」


 零れそうになる涙を、拭って抑える。


「もう一度、頑張ってみても良いですか?」


 光太郎さんは驚いたように目を見開き──そして、小さく笑って見せた。それは、いつもの不器用な笑みではなく──自然な笑みだった。


「やってみな。相手が俺で良いかわかんないけどさ」


「うん」




◇  ◇  ◇




「それじゃ、いってらっしゃい」


「ああ、いってきま──いやこの場合、いってきますなのか? 俺、この家に帰っては来ないぞ」


「いいからいいから。私、朝のやり取り好きだよ?」


「まあ、いいけどさ」


 私の家の外で光太郎さんを見送る。


 もう日が登り、平日の朝だ。


 光太郎さんはこれから一旦帰って、着替えてから会社に行くらしい。


 社会人は大変なんだなと思う。


「響花。時々、この家に来ても良いか?」


「え? うん。いいよ」


「もちろんお前も、俺の家に来て全然かまわない。まぁ──」


 光太郎さんは呆れたように口許を緩めると、


「寂しくなった時は、呼べば駆けつけるさ」


 その余裕たっぷりな態度に、私はなんだか意地悪を言いたくなる。


「んー……ホントかなぁ? 仕事でドタキャンしたりしない?」


 そう言って顔を覗き込むと、光太郎さんは視線を逸らした。


「たぶん、大丈夫だろ」


「私の目を見て言ってくれないかな」


 光太郎さんの態度に苦笑が漏れる。


「それより、今度こそいってくる。電車乗り遅れる」


 あ、逃げた。そう思うが、いつまでも立ち話で捕まえておくのも悪いかとも思う。


「うん。いってらっしゃい」


 だから私は手を振って彼を見送る。


 手を振り返して光太郎さんは歩き出す。次第に小さくなっていくその背を、私は見えなくなるまでずっと見ていた。


 その背を見ながら、私は思う。


 ──強くなりたい、と。


 いつか光太郎さんを支えてあげられるくらいに、強くなりたい。


 そんな、願いにも似た感情が生まれるのを自覚する。


 それは、もしかしたら生まれてはじめて得る感情だったかもしれない。


 時に迷ったり、間違いを犯したりするだろう。それでも、その願いのゴールさえはっきり見えていれば、いつかたどり着けるはずだ。


「んんーー……っ」


 朝の空気の中、私は腕と背を伸ばし、空を仰いだ。


 吸い込んだ空気は、朝の香りがした。


 

 

※  ※  ※




 いつもの駅から外に出ると、雨は上がっていた。


 会社を出るときまでは降ってたのに……。


 傘を差そうとした手を止め、夜空を見上げる。街の明かりに照らされた空は、数は少ないものの星が瞬いていた。


 響花と出会った踏み切りを越え、家路を辿る。


 どこからか、雨上がり独特の草木の濃い匂いが漂ってきて、少しだけ爽やかな気持ちになる。そう感じるのは、俺が田舎で育ったからなのか。


 今度響花にでも聞いてみるか。何それ、と理解を示されないかもしれないが。まあ、話のネタぐらいにはなるだろう。


 そういえば、とひとつ思い出す。


 合鍵、そいや返して貰ってないな。


 それも、今度でいいだろう。


 焦る必要なんてない。会う機会なんてたぶんこれからもたくさんある。


 そう思いながら、俺はアパートの階段を登る。


 足音をたててアパートの特に長くもない廊下を歩き、いつしか香る匂いが、草木の匂いから醤油と出汁の匂いへと変わっていることに気がつく。


 ご近所さんは、今日は肉じゃがかなとそんな事を思いながら、俺は玄関の鍵穴に鍵を差し入れて──


 ────鍵が開いていることに気がついた。


 鍵は閉めて出てきたはずだ。だから──


 その一つの可能性に思い当たり、俺は玄関を開ける。


 ポニーテールにした、艶やかな黒髪が視線の先で揺れ、俺を認めたその表情が笑顔に変わった。


「──おかえりっ!」


 キッチンに、制服でエプロン姿の響花が立っていた。

 

「お、おま……なんで?」


 呆然と口を開けていると、響花は悪戯っぽい笑みを見せる。

 

「やっぱりひとりは寂しいから、来ちゃった」


「来ちゃったって、お前なぁ」


 キッチンの奥、部屋の方には大きなキャリーバッグが見える。今回は家出どころじゃない。がっつり居座る気だ。


「だから──」


 目の前で響花は膝をついて、三つ指をつき俺を見上げる。


「ふつつか者ですが、またよろしくお願いします! 光太郎さん」
















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<あとがき>

ここまでお読みいただきありがとうございます。

ひとまず第一部完!といった感じです。

引き続き、第二部もお楽しみいただけるよう頑張ってまいります。


また応援頂いた方々、フォロー頂いた方々にこの場をお借りして

お礼申し上げます。

まことにありがとうございました。


もしこの物語がお気に召しましたら評価の★など頂けると大変励みになります。

もうちょっとだけ、響花と光太郎のお話にお付き合いいただければ幸いです。

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