22:思うこと。願うこと。②

◇  ◇  ◇




「光太郎さん、よかった。まだ居た」


 ほっとした表情を見せながら響花が、灰色のノースリーブワンピース姿でリビングに入ってくる。ちゃんとシャワーを浴びてきたのだろう、シャンプーの匂いが香ってくる。


「何か飲む? っていっても水かコーヒーしかないけど」


「ああ、じゃあコーヒーで」


「はーい」


 コーヒーを入れて響花がソファーに座っている俺の前に置き、自らは一人かけのソファーに座った。


 俺の家の百均で買ったマグカップとは違い、高そうなカップとソーサーを持って、コーヒーに口をつける。味はいつものインスタントで何故だかほっとする。


「…………」


「…………」


 何と声をかけて良いかわからず、二人の間に沈黙が降りる。


 家出の事とか、家出を止めた理由とか、助けてくれたこととか、家族の事とか、聞きたいことがありすぎて、どれから口にしていいのか迷った。


 だが、黙っていても仕方がない。


 俺は意を決して口を開き──、


「なあ」


「あの」


 響花と言葉が被った。


「……な、長島から言えよ」


「……こ、光太郎さんからどうぞ」


 その言葉すら被る。


 互いに顔を見合わせ、視線で「長島から」「光太郎さんから」と牽制し合うがらちが明かない。


 ため息ひとつつき、じゃあ俺からと手をあげた。


 色々と聞きたいこと、言いたいことがあるが、まずは──。


「長島。助けてくれてありがとう。そして、本当にすまない」


 響花の方に体を向け、俺は深く深く頭を下げた。


「光太郎さん?」


 この子が知る範囲で親しい……かどうかは微妙だが、見知った顔が命を落とすなんてことはしちゃいけないことだと思った。


 あんな線路の真ん中で立ち尽くすなど馬鹿の極みだ。


 顔をあげ、響花の顔を見る。その表情は何の色も浮かべず、ただ無表情に俺を見ている。


「本当にごめん。ボーッとしていたとはいえ、あれは本当に酷かったと思う。気が済むなら、殴ってくれても構わない」


 そう言って俺は目を伏せる。罵倒か平手か。それぐらいは覚悟していた。


 だが──、


「まったく、しょうがないなぁ光太郎さんは」


 代わりに聞こえてきたのはため息だった。


 ハッと顔をあげると、響花は眉尻を下げ困ったように微笑んでいた。


「二度とあんなことしない?」


「しない。約束する」


「絶対?」


「絶対にしない」


「そ。なら許してあげる!」


 そう言って彼女はほがらかに笑った。


「ね。私からも質問いい?」


 響花は俺の肯定を待つように一拍置き、俺は頷いてその先を促す。


「光太郎さんはなんでここに来たの?」


「……そんなの、お前に会いに来たに決まってるだろ」


「へっ」


 響花の頬が少し赤くなる。


「お前が家出をした理由。それぐらいは知りたいと思ったんだ」


「でも、そんなのL○NEでだって……」


「ちゃんと会って話さないと、はぐらかされそうな気がしたからな。だから、こっちまで来た」


 俺は首もとに手をやり、


「これも謝らないとな。ストーカーみたいなことをして申し訳ない」


「いや……それはいいんだけど。確か、前に生徒手帳見せたし」


 今度は彼女が視線をそらす。


「私が家出をした理由は、最初に言った通り家に居るのが辛かったからだよ。それ以外の理由なんて──」


「本当にそれだけか?」


 俺の言葉に、彼女は目を丸くして顔をあげる。


「なあ、長島。お前の両親、会わせてくれないか?」


 そんな無茶ぶりをする。


 響花は信じられないと言った目で俺を見て、俺の言葉を笑おうとして──失敗した。


「光太郎さん、どこまで知ってるの?」


「知ってるわけじゃない。ただ、この家を見ればだいたい想像がつく」


「そっか……」


 響花は少し考えるように目を伏せ、どこか諦めたかのように息をつくと、立ち上がった。


「わかった。着いてきて。お父さんとお母さん紹介するね」


 俺はその小さな背についていく。


 リビングを出た向かい。階段の下に襖があり、響花はそこを開け中に入って明かりをつけた。畳間だ。


 俺もその畳間に入る。そして、右手に仏壇を見たとき、俺の予想は確信へと変わった。


 響花は仏壇の前に正座する。その一歩後ろで俺も正座をして仏壇と向かい合った。


 まだ真新しい仏壇の前には小さなテーブルがあり、そこに遺影が二枚飾られ、線香立てが置かれている。


 遺影は先ほどリビングでみた男女だ。


 仏壇の中には、やはり二つの位牌が鎮座していた。


 仏壇に飾られているということは、響花の両親は、既に他界している事を示していた。


 仮説をたてられる事は出来た。


 家出中だというのに、響花には全く家族から電話がかかってきた様子がなかった。寂しかったと、彼女は言っていた。


 三ヶ月前に車検切れした車が放置されていたのは、乗る人がもう存在していなかったから。


 リビングが埃だらけだったのは、誰も掃除する人が居なかったから。


 写真立てが伏せられていたのは、響花が見たくなかったのだろう。


 響花は線香に火をつけて線香立てに突き立て、おりんを鳴らすと手を合わせた。


「お父さん、お母さん、ごめんね。長い間留守にしちゃって。私はとりあえず元気です。しばらくの間、後ろの彼に、光太郎さんに面倒見てもらっちゃってた」


 手を合わせ終わると、響花は横にずれる。


 俺も線香に火をつけ、おりんを鳴らし、目をつむって手を合わせた。


 申し訳ありません。ご息女をしばし預かっておりました。無事お返しいたします。


 心の中で、もう居ない二人にそう語りかける。


「…………」


 しかし、そこで言葉が止まってしまった。


 こうして死者に語りかけることに何か意味があるわけでもない。自己満足だ。


 けれど、俺は亡くなった二人を前にして、言うことがあるのではないのか。何か言わなければならないのではないか。そう思ったが、結局なんの言葉も浮かんでこなかった。


 

 

◇  ◇  ◇




 リビングに戻って出前でとったピザを囲みながら響花はぽつりぽつりと身の上を話始めた。


「だいたい一年前に事故でね。三人で買い物に出た帰りだったの。信号待ちしてる時に対向車が突っ込んできて……お父さんとお母さんはだめだった。私は、幸い軽傷で済んだけど……」


 あんまり二人ともピザに手は伸びず、冷え始めている。


「それでも暫く意識がなくて、入院せざるを得なかった。その間にお父さんとお母さんの葬儀は終わっちゃって、この家に戻ってこれた頃には二人は既に遺骨だけになってて……それからは殆どこの家で一人」


「……その、親戚の家とかに預けてもらわれなかったのか?」


 俺の言葉に響花は首を横に振る。


「お母さんは家と絶縁してて、お父さん方も随分と昔から親戚はいなかったみたい。あ、でもお父さんの弟さん……本当の叔父さんね。その人がお父さんたちが亡くなった後の、相続とかの色んな手続きしてくれたんだ」


「その叔父さんは?」


「叔父さんは海外。外国で医者していてたくさんの患者を見てるんだって」


 だから、


「私の面倒は見ることはできないって。困ったことがあったら相談に乗るけど、君はもう高校生だ。自由に生きなさい、だってさ」


「……親権は?」


「シンケン?」


「親の権利の事」


 ああ、と響花は納得し、


「それなら、多分叔父さんが持ってるんじゃないかな。不自由なく暮らせるようにはしたって言ってたし」


「そうか……」


 だが、響花は未成年だ。それに対して、そのやり方は育児放棄とも言える。響花はその状況を理解しているのか、いないのか。


「この家にいるとね」


 響花はリビングを見渡す。


「お父さんとお母さんが生きてた頃をどうしても思い出しちゃって」


 だから居づらかったんだ、と彼女は付け加えた。


「それで、家出を?」


 この場合、最早家出とは言わないのかもしれないが、他に言葉は思い当たらなかった。


「うん。そうだね。時々ふらっと出ていってネカフェとかに泊まってた」


「危ねぇな……」


 女の子ひとりふらふらと出歩いて、不用心過ぎる。よく補導とか、悪い大人に捕まらなかったものだ。


 俺は俺で、いい大人とは言えるのかね。


「光太郎さん……その、ごめんなさい」


 響花は、申し訳なさそうに目を伏せる。


「ん?」


「私、色々と嘘ついてた。お金の事とか、家出の事とか……」


「そんなもんだろ」


 響花が顔をあげる。


「見ず知らずの人間をいきなり信頼して、洗いざらい全部話す? そんな人間の方が稀だろ。それに、こうして話してくれるだけで十分だ」


 それにさ、と俺は続け、


「信頼している人からつかれる嘘の方が、辛いだろ」


「そういうものかな……」


「そういうもんだ。だから、まあ……気にすんなよ」


 そう言って俺は響花を安心させるように、響花みたいに笑おうとして……しかし不器用な笑みしか浮かべられなかった。


 それでも響花はどこかホッとしたような瞳を返してくれた。



 

 

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