20:俺と彼女と踏切

◇  ◇  ◇



 響花の家の住所は、以前見せてもらった学生証おおよその位置を覚えていた。


 自分が普段使っている線路ではあるが、池袋よりに近い。


 雨のなか傘をさして、駅からしばらく歩き、たしかここら辺だよなとスマホのマップを見る。


 割りと新しめの家が立ち並ぶ、小綺麗な住宅街だ。雨のせいか、それとも午後だからか、人通りも少なく静かな住宅街だと思った。


 細かい番地までは覚えてなかったので、家の表札を見ながら歩く。


 静かだからか、雨に濡れた地面を蹴る俺の足音がやけに響いて聞こえた。


 響花の家はすぐに見つかった。表札に長島と書いてあるから、ここだろう。白い壁に西洋風な木枠の窓が特徴的な家だった。


 インターフォンを押そうとして、手が止まる。


 いや……これで親とか出てきたらどうするんだ。オッサンが女子高生目当てに訪ねてきたら、いかにも怪しすぎて警察案件ではないのか。


 やっぱりL○NEで連絡とって駅前で待ち合わせるか。


 踵を返して駅前まで戻ろうとする。


 ふと、長島家の車庫に目がいった。二台分の駐車スペースには一台のセダン車しか停まっておらず、もう一台スペースが空いている。


 恐らく買い物かなにかで、今出掛けているのかもしれない。


 残っているセダンは国産車だが有名な高級ブランド車だ。


「……?」


 しかし、一点気になる点があった。


 この車、車検が三ヶ月前に切れている。


 車を常用しているものであれば車検は気にするし、三ヶ月も放置している理由がわからない。飾りで買ったのであればずいぶんと贅沢な話だが、それであれば外車の高級ブランドを買うだろう。


 妙だなとは思ったが、俺は探偵でもなんでもないただのサラリーマンだ。今得られる情報で何かわかるわけもない。


 疑問はあるが、響花に聞くのが一番手っ取り早いだろう。


 そう思い、駅までの道を戻る。戻りながら響花にメッセージを送り、様子を見る。


 既読はすぐにはつかなかった。見てくれることを願いつつ、スマホをポケットに仕舞う。


 傘に当たる雨の音に耳を傾けながら、冷静になっていく自分を自覚する。雨で冷やされた風が頬をなで、俺の熱を奪っていく。


 随分と勢いだけでここに来たような気がする。


 やってることがほとんどストーカーだよなと、冷静になった頭に突き刺さる。


 間違っているのか、正しいのか、迷いがあり──己の人生経験の無さに絶望する。


 俺は人付き合いも良くなければ、友達も多くない。女性と親しくなるなんてことも殆どなかった。そんな俺が今起こしている行動は本当に正しいものであるのか、そんな迷いが心のどこかにある。


 見上げた空は厚い雲に覆われ、ビニール傘に雨粒を落としていた。


 角を曲がり駅方面に視線を向けると丁度電車が通るところだったのか、踏み切りが警告灯を点滅させていた。耳慣れた警告音を聞き流しながら遮断棹まで歩を進め、足を止める。


 すぐに電車が走ってきて、俺の視界を防いだ。


 踏み切りの先にあるホームに入っていく電車は、ブレーキ音とともに過ぎ去っていき──電車で隠れていた踏み切りの向こう側があらわになる。


 数多の雨粒が視界の先を落ちては、地面に跳ねる中──


「────」


 ──響花がいた。


 友達だろう。もう一人同じ学校の制服の女の子と談笑している。


 響花は友達に向けていた視線を前に向け、俺と視線が合った。くりっとした目が更に見開き、呆然とも言える表情を浮かべる。


 俺は響花に向かって歩を進める。一歩、二歩と雨に濡れた地面を蹴り、彼女に近づく。


「響花? 何ボーッとしてんの?」


「えっ、あっ、何でもない。ちょっと考え事してただけ」


 そんな会話を交わしながら響花たちも前に進む。


「響花。今度カラオケいこーよ」


 靴が水を叩く音とともに俺たちの距離は近づき──


「うん。そうだね」


 その視線は縫い付けられたように互いに離れず──


「…………」


 しかし──


「…………っ」


 互いに言葉を交わすことなく、俺たちはすれ違った。


 近づいた水音は次第に離れていく。


 俺は踏み切りが終わる直前で立ち止まり、振り返る。並んだふたつの傘がゆっくりと遠ざかっていく。


 ……俺は、何をしている。


 追いかけなければとチラリと思うが、足は金縛りにあったみたいにピクリとも動かない。


 …………俺は──何故ここにいる?


 響花に会いに来た。そうだ。


 けど──それは響花の生活に石を投じてまで必要なことなのか。


 友達と一緒にいる響花の姿を見た途端、俺の思考は真っ白になった。


 彼女にも彼女の生活と日常がある。そんな当たり前のことを、こんなタイミングで理解する。


 彼女は友達と笑いあっている。その事実だけで、俺が彼女の生活を気にする必要はないのではないのか。あの子は幸せそうなんだから、俺が声をかけても邪魔なだけではないか。


 結局、俺と彼女は一時の家主と居候の関係で、男女の仲というわけでもない。そんな俺が、彼女の生活に口を挟む権利などあるのか。


 俺は、いったい何をしたかった────?


 力なく、傘を下ろす。雨粒が顔に当たり、俺の服を濡らす。


 俺と響花を引き裂くように、黄色と黒の遮断棹がゆっくりと下りていった。


 踏み切りの警告音がどこか遠くで鳴っていた。




※  ※  ※




 光太郎さんだ。


 光太郎さんがいる。


 友達が何か言っているが何も耳に入ってこない。


 光太郎さんが会いに来ている。


 信じられないという気持ちと、なんでという疑問が脳内を支配し、しばらくボーッとしてしまった。


 ──ボーッとしている場合じゃない!


「敦子! ごめん! 学校に忘れ物しちゃったみたいだから、私戻るね!」


「は? マ? 今から!?」


「ごめん!」


 手を合わせて謝り、私は振り返る。急ぎ足で来た曲がり角を戻り、踏み切りに視線を戻す。


 少し先の踏み切りに光太郎さんは居たままだった。


「────!?」


 しかし、その居る場所は──遮断棹の内側だ。


 そして──電車の到来を知らせる警告音が鳴っている。


 ──何やってんのあの馬鹿!?


 傘を放り出して私は走り出した。大量の雨粒が私の髪を、頬を、制服を濡らすがそんなこと気にしている場合じゃない!


 光太郎さんは雨に濡れたまま、呆然とどこかを見ている。


「っ──!」


 警告音が鳴っているということは電車が来ているということだ。あの位置では轢かれてしまう。


 私は全力を振り絞って駆ける。


 現役女子高生の脚力──なめんなぁ!


 遮断棹を潜り、電車が来る方向にチラリと視線を向ける。ホームから出発した電車がこちらに向かってきている。


 恐怖が来る。しかし、今はそれどころじゃない。


 間に合え──。


 光太郎さんの方に手を指し伸ばし──そこでようやく光太郎さんの目が私を捉えた。虚ろだった瞳に光が戻り、その表情が状況を理解したのか、驚愕に目を見開く。


「響花!?」


 光太郎さんが名を呼ぶ。


 馬鹿! こんな時ばっかり名前で呼んで!


「っ──!」


 音が聞こえる。電車が迫ってくる。


 間に合え──!


 間に合え──────!


 私は光太郎さんを突き飛ばし──私の手を、光太郎さんは掴んで引っ張った。


 電車の甲高いブレーキの音が、辺りに轟いた。

 

 

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