19:俺と彼女とひとりの時間



「なるほど。内容理解できました。こちらであれば御社製品に問題はなさそうです」


 客先の部長から出てきた言葉に、俺は表には出さず、内心でほっと胸を撫で下ろした。


「それでは今お見せいただいたデータ後程送ってください」


「わかりました」


 俺は日曜だというのに客先の小さな会議室の中に上司と共に説明に伺っていた。この間の資料のミスとその弁明の証明の為だ。


 こちらの説明を受け、ようやく納得してくれた客先は心なしか安堵の表情を浮かべていた。向こうも不安だったのだろう。


 それもそうだ。こちらの製品に問題があれば芋づる式にうちの製品を使っている相手の製品にまで影響を及ぼしてしまう。それがないことに安堵しているのだろう。


 ともあれ仕事の問題は解決だ。


 客先の会議室を出て、相手と別れを告げて上司と共に車に乗り込む。エンジンをかけると共に、俺は長い息を吐き出した。


「お疲れさん。一時はどうなるかと思ったけど、相手が納得してくれてよかったよ」


「いえ、こちらこそ余計な手間をかけさせてすみません」


 上司も安心したのか、珍しく労いの言葉をかけてくれる。


「まあ俺も確認不足だったけどさ。あのお客細かいところ突いてきすぎなんだよ。特に心配ねーって」


「あ、あはは……」


 上司から出てきた愚痴に、愛想笑いを返す。


 下道から首都高に入るまでその愚痴が続いたが、俺は適当な相づちをうってかわしていた。


「ところで、振休どうする?」


 その言葉を待っていた。


 しかし、焦って回答はせず、少し悩む振りをして、


「明日……じゃダメですかね?」


「明日? まあ、いいけど。そうだな。今回疲れたもんな」


「ええ。流石に中一日でもないときついので……」


「わかった。明日休んでいいよ」


「ありがとうございます」


 よし、とりあえず一日フリーな日は確保できた。


「しかし、あれか? 彼女か?」


「え?」


 突然の上司の言葉に、俺は動揺する。一瞬ハンドルを握る力加減を間違え、車がふらりと揺れた。


「危ねぇんだけど」


「すいません……」


 じろりと睨まれ冷や汗が出る。


「ちなみに、その……彼女ではないです」


「ほーん……ま、いいや。頑張ってきなよ」


「だから、彼女とかじゃないですって」


「彼女、とか……ね」


 今度はこちらがじろりと睨むと、上司は窓の外を見て俺の視線をかわしていた。


 その後は煩い上司を家まで送り届けて、解散だ。車は自分の車なので、そのまま家路につく。


 途中コンビニで晩飯を買っていって、家に着く頃にはちょうど日がくれたところだった。


 アパートの階段を上って、何かを期待するかのように通路の奥を見て、そんなわけないかと息を吐く。何時かのように俺の部屋の前でうずくまっている少女はいない。


 部屋の鍵を開け、家の中にはいる。


「ただいま」


 そう言った俺の言葉に返すものはなく、ただ言葉だけが部屋の暗闇の中に飲まれていった。


 部屋の明かりをつけ、ベッドを背にしたいつもの定位置に座り、温めたコンビニ弁当を食べる。


「…………美味くないな」


 コンビニ弁当とはこんなに味気ないものだっただろうか。


 ふと、床に視線を向けるといつか買ったレシピ本が置いてあった。


「あいつ、忘れやがって」


 とは言ったものの、これは彼女のものだろうか。それとも俺のものだろうか。


 ……わからない。


 わからないことと言えば響花のことだ。


 響花の家出の理由がわからない。彼女から話を聞いたわけではないが、この三週間弱一緒に過ごしていて思い当たる節がないのだ。


 家出であれば普通は親と喧嘩でもしたのだろうと考える。


 しかし、彼女から出る響花の両親の話に全く棘はなかった。理由が喧嘩であれば、彼女の口から親に対する不満が出てきてもおかしくはない。けれど、彼女は一度も親に対する愚痴や怒りを口にはしなかったし、むしろ親への言及は穏やかで、関係は良好に思えた。


 学校の事も不可解だ。彼女は家出中なのに学校に行っていたらしい。


 家出であれば学校側にも連絡がいっていたはずだ。


 そんな状態で学校に行けば、すぐに学校から親へ連絡されて、連れ戻されていたことだろう。少なくとも、俺が学校の先生ならそうする。


 それに、だ。


 響花はスマホで誰かとL○NEはしていても通話は一度もしなかった。もちろん、俺が会社に行っている間に電話していたのかもしれないが、夜の間も、休日も一度もなかった。


 普通、家出中で携帯が繋がっていれば、電話のひとつやふたつかけるものではないのか。


 失敗したな……。


 最初の時点でもう少し踏み込んでおくべきだったと、今さらながらに思う。


 が、本当に今さらだ。どうせ居なくなるものだと思って踏み込まなかったのは誰なのか。


 ……居なくなってから踏み込もうなんて虫の良い話だな。自分の愚かさかげんに嫌気が差す。


 ごろりと床に敷いたマットレスに横になる。


 別にベッドが空いているのだから使えばいいのだが、何となくそんな気にはなれなかった。


 さて……どうするかな。


 と思っても、俺の腹はだいたい決まっていた。


 明日、会いに行くか。


 この三週間弱その身を預かっていた者として、家出の理由くらい聞く権利はあるのではないか。そう思った。


 L○NEで聞く手もあったが、何となく誤魔化されそうな気がして、そんな気にはなれなかった。


 直接会って話したかったのだ。




※  ※  ※




 私は自分の家のベッドに寝転がりながら、スマホの画面を睨んでいた。


 開いたチャットのお送り先は光太郎さんであり、しかし、なんとメッセージを送ればいいのか迷って何も書けないでいる。


 別にとりとめのない世間話でもすればいいのだけれど、何を話しても虫が良すぎる気がした。


 何やってるんだろ、私……。


 スマホを枕元に置き、天井を見上げる。部屋の中はしんと静まり返っており、外からは遠くで走る車の音と、電車の音くらいしか聞こえてこない。


 ベッドの下を覗いても、そこにはピンク色のラグが敷いてあるだけで誰もいない。


 もう一度スマホを手に取る。


 光太郎さんはお仕事大丈夫だったのだろうか。もしダメだったらどうしよう。そんな不安がよぎり、結局聞く勇気すら出てこない。


 ため息をついて、枕に顔を埋めた。長らく使ってなかった枕はなんだか埃っぽい気がした。


 軽く咳き込みながら、目をつむる。


 明日は聞く勇気が出てくるだろうか、と思いながら。





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