09:俺と彼女とハンバーグ





 学校帰りにスーパーに立ち寄り食材を買っていく。豚と牛の合挽き肉と玉ねぎ、パン粉、牛乳……。卵と塩、コショウは家にある。あっ、後ケチャップも買わなきゃ。


 付け合わせは──サラダにしよう。レタスとキュウリと、プチトマト。お味噌汁用に豆腐も、っと。


 今日のご飯は、光太郎さんのリクエストがあった通りハンバーグだ。材料はレシピのページを写メってたので大丈夫。


 ハンバーグなんて肉と玉ねぎ混ぜて作るだけでしょと思っていたが、案外手順が多くてビックリする。


 いや、昨日の料理? もそんな考えだったから失敗したのだろうな、と反省する。


 会計を終え、帰路につく。


 ええっと、スーパーからだとどこをどう行くんだっけ? まだ周辺の地理に明るくないせいでどこをどう進めば良いのかわからなくなる。


 ここら辺地元じゃないしなぁ……と地図アプリを開いて、光太郎さんの家までのルートをアプリでナビゲートしてもらう。少し方向音痴ぎみでもこれならなんとかなる。ビバ文明の利器。


 しかし、ナビを開始した途端にL○NEのメッセージが飛んできて邪魔をする。


 学校の友達からだ。説明が面倒くさいのでA子ちゃんとしよう。


『A子:いつもと帰る電車違くない?』


『きょーか:気のせいじゃない?』


『A子:ホームの反対側に居たら流石に気付くっしょ』


『きょーか:てへ(スタンプ)』


 追求は避けられそうにないと思い、なんと返そうか悩んでいるともう一つL○NEが飛んできた。光太郎さんからだ。


『光太郎:すまん。今日は9時前ぐらいになる。多分』


『きょーか:はーい』


『きょーか:多分?』


『光太郎:仕事が終わるかわからん』


『光太郎:だがなるべく早く帰る。帰れるはずだ』


『きょーか:ファイト!(スタンプ)』


『光太郎:ありがとう』


 こうして毎日、いついつぐらいに帰るってやりとりをしていると、なんか夫婦みたいだなぁと思わなくはない。


 でも悪くはないなぁと、ついつい口許が緩んでしまうのを自覚する。


 ああ、そうだ、A子のL○NE返しておかないと。


『きょーか:ちょっと用事があっただけだよ』


『A子:男か!?』


 一瞬、言ってしまうか悩んだが、後々の追求が面倒くさいことに気がつきはぐらかすことに決めた。


『きょーか:ちょっと欲しいものがあっただけでーす』


『A子:ホントですか(スタンプ』


『きょーか:マジです(スタンプ』


 たぶん、暫く学校を休んでたから気にしてくれているんだろうな、と思う。


 ありがたいと思うと同時に、嘘ついたことに少し罪悪感を感じる。


 いつか時が来たら本当の事を話そう。


 A子からの返信がないことを確認し、私は画面をL○NEからマップアプリに切り替える。


 通行人と車に気を付けながら、マップと道を交互に見ながら住宅街を歩く。


 西に傾き色合いを変える町並みを眺めると、見覚えのある道に入った。ここからはナビがなくても大丈夫だろう。


 まだまだ光太郎さんが帰ってくるまで時間がある。


 帰ったら部屋の掃除を軽くして、お風呂洗って、昨日汚してしまったキッチンもちょっと掃除しよう。


 鼻唄混じりにアパートの階段を登って、ふと気がつく。


 光太郎さんの部屋の掃除とかそんなに苦ではない。むしろちょっと楽しい。


 合鍵で部屋の鍵を明け、最近ようやく知らない家の匂いではなく、光太郎さんの家の匂いと認識し始めた香りを突っ切って部屋のカーテンを開く。


 薄暗かった部屋が少し明るくなった。


 そこから部屋を眺める。


 家出する前は家事なんて好きじゃなかったのに。


 でも今は、誰かが帰ってくる場所を綺麗にしておきたいって気持ちが芽生えている。

 

 私はこんな献身的な性格だっただろうか、と疑問に思うがそれに答えてくれるものはいない。


 あ、そうだ、と私はスマホを取り出した。


 友達グループに意気揚々とメッセージを送る。


『きょーか:凄いことに気がついた!私って献身的かも!』


『A子:は?』


『B子:ha?』


『C子:あるあねーよ』


 秒で否定された。なんなん。こいつらなんなん。


『きょーか:ふぁっきゅー(スタンプ)』


 口をへの時に曲げ、私はスマホを放り出す。


 私は掃除しようと掃除機を取り出した。

 



※  ※  ※




 こんなところで良いか。


 メールを送り終え、俺はグッと一つ伸びをする。少し内容的に雑だったかもしれないが、いつまでも見直してても仕事は進まない。


 時計を見れば八時を過ぎたところで、この時間なら予告してた時間に間に合うだろう。


「すいません。お先失礼します」


「おう、お疲れ」


 パソコンの電源を落とし、上司に挨拶して会社を出る。


 当然ながら八時も回れば、あたりは暗い。


 でも東京の夜は、暗さなんか感じさせないほど様々な明かりで、夜でも眩しいぐらい明るい。それはどれだけ夜遅くに会社を出てもそうだ。


 上京したてはそんな事にいちいち驚いてたなと思う。


 しかし、同じ夜でもその違いに意外に思うくらいの事はある。


 例えば街を歩く人の数や雰囲気が、八時と十時とでは全然違ってたり、電車も当たり前だが八時の方が混んでいたり、だ。


 この時間だと塾帰りか、部活帰りかはわからないが、高校生の姿もそれなりに見かける。


 電車に乗ってつり輪に掴まり、流れ行く東京の景色を見ながら、あいつきょうかはどうしているかなと考えてしまっていた。




※  ※  ※




 こんなところかな。


 手を洗い、タオルでぬぐって、開きっぱなしだったレシピ本を閉じる。


 私は制服にエプロン姿でキッチンに立っていた。勿論、お料理のためである。部屋の掃除をした後、取りかかったら案外時間がかかってしまった。


 目の前のボウルの中にはハンバーグの種が完成している。後は焼くだけだ。


 そうだよね? と私はちょっと不安になってレシピ本を再度開いて確認する。ふむふむ、焼く前に凹みを作って火の通りを良くすればいいんだ。


 その下の項目にも目を通して──私は口の端を曲げて辟易する。ええ、これやるの?

 

 料理は愛情とは言うものの、この行為ある無しで味なんて変わったりしないよねと思う。


 でも昨日結構酷いものを食べさせてしまったからなぁ……。


 まあどうせ味もなにも変わらないし、ちょっとだけやってみても良いかもしれない。


 誰が見てるわけでもないのに、ちょっと恥ずかしさを覚えながらも私は手でハートマークを作る。


「あ、アイラブ──」


 ガチャ


「ただい──」


「ズッキュン!」


 私がハートマークをハンバーグの種に発射するのと、光太郎さんが玄関のドアを開けるのは同時だった。


「……………」


「………………………………………………おかえり」


 時が──止まる。


 バタンと玄関のドアが閉まる音だけが二人の間に響いた。


 光太郎さんの「何やってるんだこいつバカなのか」という視線が痛い。私の頬がどんどん熱を帯びていくのが自分でもわかる。


 私は耐えきれずに顔を隠してその場にうずくまった。


「な、長島?」


「うるさい。黙って。ご飯用意するから。風呂入って。今すぐ。なう。ごー」


「あ、ああ…………」


 唸るような低音の声に何かを察したのか、光太郎さんは素直に従ってくれた。


 暫くして脱衣所のドアが閉まる。その音を合図に私はとうとう声をあげた。


「見られたああああああ!」


「お、俺は何も見てない! 聞いてない!」


 脱衣所のドアの向こうからちょっと焦った声が聞こえる。


「もうお嫁に行けないいいぃ!」


「大袈裟だろ……未来の旦那さんにやってみろよ。きっとウケてくれるぞ」


「うるさいバカァ!」


「すいませんでした……」


 お風呂場のドアが閉まる音は何時もより、そっとしていて小さかった気がした。




※  ※  ※




 風呂から上がると、肉が焼ける良い匂いがした。


 キッチンではフライパンを手に、ハンバーグをひっくり返している響花の姿がある。


「うまくできそうか?」


「うん……多分。あと少し焼けば良いのかな」


「何かやることあるか?」


「うん……じゃあ冷蔵庫にサラダあるから持ってって。後、炊飯器とお茶碗」


「あいよ」


 冷蔵庫からラップに包まれたサラダの皿とドレッシングを持っていき、テーブルの中央に置く。引き返して茶碗と箸と炊飯器を持って、俺は定位置に腰を下ろした。


 テレビをつけてバラエティ番組にチャンネルを合わせていると響花が味噌汁を持ってきた。


 そういえばなんで制服姿なんだろうと思ったが、そもそもそれ以外に外に出掛ける服が無いんだったと思い当たる。昨日のようにTシャツとスカートでも良いのかもしれないが、買い物に出掛ける以上、少しはまともな格好をしたいのだろうと、勝手に納得する。


「はーいできましたぁ。今盛り付けするからもうちょっと待ってね」


「ああ。ありがとう」


 目の前に味噌汁が置かれる。


 そして──、


「どうぞ…………」


 そっとハンバーグが乗った皿が差し出された。


 グルメ漫画とかじゃないから料理が光ったり、皿からレーザーが出るわけではない。しかし、香る肉の匂いとうっすらとある焦げ目、楕円型にしっかりと整った形、表面から溢れ出る肉汁はザ・ハンバーグという感じで安心感と共に食欲がそそる。


 昨日の煮魚? とはうって変わってきちんとした料理に見える。


 ただ──ひとつ気がかりなところがあるとすれば──、


「なあ、長島……」


「…………なんでしょう、光太郎さん」


 エプロンを脱いで畳みながら、頬を赤く染めた響花が俺の視線から逃げるように顔を逸らした。


「なんでハート?」


 ハンバーグの中央にケチャップで描かれたハートマーク。なんだろう。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。いや顔を真っ赤にしている響花はもっと恥ずかしそうだ。


 ハンバーグにケチャップはオーソドックスだ。デミグラスソースでも大根おろしでも俺は全然構わない。チーズも良いだろう。でも形をハートにする意味がわからない。


 こほんと響花がわざとらしく咳払いをして俺に向き直った。


「えっとね……ありがとうって伝えたかったの」


「?」


 首をかしげる。


「レシピ本。その……嬉しかったから。表紙のタイトルはアレだったけど」


 ああ……。


「こっちこそありがとう。ご飯作ってくれるの、その……なんだ。助かる」


 なんだか礼を言うのがだんだん恥ずかしくなって、体の奥の方から熱くなってくるのを感じる。少し暑く感じるのは風呂上がりだからか、恥ずかしくなったからか。


 いい大人なはずなんだが、社交辞令以外でこうやってストレートに好意を伝えるのも、伝えられるのも、なんというか慣れていない。


 なんだかんだ、母親以外でこうして家庭的な料理を作ってくれるのは、響花が初めてだ。


 ちらりと横目で響花を見れば耳まで真っ赤にして俯いていた……が、口許がニヤついていて何となく嬉しさがにじみ出ているようだった。


 しかし響花は気をとりなすように首を振ると、


「ほ、ほら! 冷めちゃうから食べよ!」


 箸を俺に押し付ける。それを受けとり、俺はハンバーグと対面する。


 箸を差し入れると、ちゃんと中まで熱が通っており生の部分はない。肉汁がちゃんと滲み出てきて、俺が昔自分で作ったものより余程ちゃんとしているかもしれない。


 一口サイズに切り分け、口に運ぶ。


「…………ど、どう?」


 ゴクリと喉をならして響花が俺の一挙一動を見守っていた。ガン見されながら租借し、味わい、飲み下す。


「──美味い!」


 口の端が自然と持ち上がった。


 玉ねぎのほんのりとした甘味と、肉の確かな旨味、ほどよい塩気が俺の胃袋を掴んだ。


 安堵したのか、長い息と共に響花が肩の力を抜く。


「うん。これは美味い」


 二口目を放り込み、ご飯をかきこむ。美味い肉はご飯が進む。


 響花も箸を取り自らが作ったハンバーグを口に運ぶ。そのとたん、響花は安堵の表情で更に脱力した。


「よかったぁ……ちゃんとした味がするぅ」


 若干涙目になりながら響花がハンバーグとご飯を交互に食べ進めていく。


「ああ、ちゃんと出来るじゃないか」


「先人の知恵って大事だねー」


「まさか昨日のアレからここまで美味しいものが出てくるとはなぁ」


「あはは、ごめんね……ところでさ、光太郎さん」


「…………なんだ?」


「なんでハートの部分だけ残してるの……?」


 俺の箸は見事にハートで作られたケチャップの部分だけ避けて進んでいた。


「あー、いや……なんというか」


 少し言い淀み、


「可愛らしすぎて食えない」


「見てるこっちが恥ずかしいから食べてぇ!」


 可愛いハートのケチャップは、残念なことに響花の箸で潰されてしまった。

 

 

 

 

 

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