08:俺と彼女とコンビニ





 ビールが飲みたい。


 響花と交代で風呂に入り、タオルを首に引っ掻けながら冷蔵庫の中身を見て唐突にそう思った。


 目の前の箱にはビールはない。発泡酒もない。というかお酒なんて料理酒くらいしかこの家にはない。


 酒が弱いから普段飲まないが、唐突に飲みたくなるときがある。だいたいはこうやって風呂上がりに喉に炭酸の刺激を入れたくなったときや肉体労働をした後だ。


 他は仕事でどうしてもむしゃくしゃしたとき。


 今日は前者の理由だが……ひとたび飲みたくなると、どうにも落ち着かない。


 冷蔵庫のドアを閉めて、一人考える。


 どうする? 買いに行くか? しかしそこまでするほど飲みたいような、そうでもないような……。


 優柔不断だなと肩を落とす。


「光太郎さん、何してるの?」

 

 くつろいでスマホを弄っていた響花がどうしたの? と言うようにこちらを見ていた。


「コンビニ行くか考えている」


「行こ!」


「──んん?」


 ぼうっと答えたら響花が即答していた。一瞬思考が追い付かずフリーズしかけるが、次の瞬間には、ああコンビニ行くかという思考に切り替わる。背中を押されたというより、突き飛ばされた気分だ。


「って、ああ! コンビニに行く服がない!」


「別にパジャマでよくね?」


「よくないー!」


 わたわたと慌てる響花を横目に財布と家の鍵を手に取る。


「着替えるから玄関で待ってて」


「へいへい」


 玄関まで行って何か手元が寂しいことに気づく。


 ああ、携帯がない。


「すまん、携帯忘れてた」


 部屋に戻るとTシャツ姿の響花が丁度制服のスカートを穿こうとしているところだった。


「ちょ──っ!」


「あー、悪い悪い」


 真っ赤になって硬直する響花になるべく視線を向けないようにしながら、テーブルの上にある携帯を取って玄関に戻る。


 Tシャツの裾で殆ど見えなかったが、ピンクのシンプルなものだった。


 程なく響花が自分の財布と携帯を持ってこっちに来た。真っ赤になった頬を膨らませ俺を睨み付けている。


「待っててって言ったじゃん! バカ! アホ!」


「すまん。でも初日に下着姿晒しておいて今さら気にする必要あるか?」


「ありますぅ!!」


 その日の事を思い出したのだろうか、響花は頬どころか耳まで真っ赤になって叫ぶ。流石に声がでかい。今はもう夜だ。


 その口を手のひらで塞ぐ。


「むぐっ!?」


「声抑えろ。近所迷惑」


「~~~~~っ! ばか!」


 それでも小声でしっかりと罵倒されてしまった。

 





 夜の住宅街は街灯が等間隔にポツポツと並び、夜を少しだけ和らげていた。いくつかの家は二階に明かりが点っており、まだそこまで遅い時間じゃないことを告げている。


 目指すコンビニは駅前にあるのとは別で、丁度自宅を中心として駅とは反対側にあるコンビニだ。徒歩十分ぐらいで、徒歩十五分の駅側に行くより多少近い。


 時おり吹く夜風が心地良いと感じた。


 その風の流れを追うように後ろを振り返る。


 三歩後ろを着いてきている響花と目が合い──しかし、直ぐにプイッと目を逸らされてしまった。


「まだ怒ってんのか?」


「とーぜんでしょ。女の子の下着は安くないんですー」


 のわりには付いてくるんだなと思った。


 響花は白いTシャツに制服のプリーツスカートを着て、黒い髪をポニーテールに纏めている。髪は下ろしている姿しか見てないので、ポニテ姿はなんだか新鮮だ。


 態度では怒っていますという雰囲気を出してはいるが、もうたいして怒っていないのではないだろうか。本当に怒ってるなら多分付いて来なかったと思う。


「で、何が欲しいんだ?」


 大方ついてきたのは何か食べたかったんだろう。


 後ろを向きながら聞くと響花は、待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑う。


「アイス! ダッツね!」


「こいつ……ここぞとばかりに高いヤツを……仕方ねぇな。わかったよ」


「やた」


 さっきの膨れっ面はなんだったのか途端に笑顔になる。現金な奴だ。


 ポニテを靡かせながら彼女は三歩踏み込んで俺の隣に並んだ。


「ほら、前みてないとぶつかっちゃうよ?」


「んな子供じゃないんだから──痛ってぇ!」


 電柱に肩をぶつけた。


「ダッサー」


 反論できない。実際俺も自分でそう思った。


 忠告はされていたし完全に不注意だった。


「人の不幸を笑うんじゃありません」


 ニマニマしている響花に釘を指す。


「はーい。でも意外。光太郎さんそういうドジっぽいことするのって」


「お前さんが思ってるほどしっかりしてねぇよ」


 そんな話をしているうちにコンビニが見えてきた。駐車場には車はなく、店内にも人影はない。夜のコンビニはいつもしんっと静まり返っていて、コンビニの灯りが温かくも冷たくもなく出迎えてくれる。


「ところで光太郎さんは何を買いに来たの?」


 籠を持ってコンビニの奥に進みながら響花が問うてくる。俺は無言で飲料コーナーに進み、目的のモノを手に取って響花に見せた。赤いパッケージに麒麟が描かれたものだ。


「えー? お酒ー?」


「飲みたくなったんだよ」


 本当はスーパーなドライにしたかったが、どこかのお嬢様がダッツ食べたいとか言うのでこちらにした。とはいえこれも負けないくらい好きだから問題はない。


「ビールって苦いだけなんでしょ? どうしてそいうの飲むの?」


 これ発泡酒なんだが、まあ違いなんてわからんよな。


「喉ごし」


「それだけ?」


「後はまあ……これを飲んだらもう一日が終わったーって感じがするからかね。今日も一日お疲れさまーって感じで、オフになるスイッチというか、解放感というか」


「うーん、わかるようなわかんないような」


「労働するようになればわかるようになるさ。多分な」


「ふーん?」


 それに、と俺はつまみコーナーを眺めながら付け足す。


「酒を呑みたい理由なんて人それぞれ。正解なんて千差万別。もし唯一答えがあるとすれば──」


 つまみに迷い、一旦言葉を切る。


 ……柿ピーにするか。


「あるとすれば?」


 彼女が上目遣いに答えを催促してきた。少し含みを持たせた言い方過ぎただろうか。


「飲みたくなったから。それだけ」







 響花がアイスを選びに行き、俺はレジに向かおうととしてふとあることを思い出して本棚に寄った。


 目的のものは直ぐに見つかった。レシピ本だ。パラパラと捲ってみると、だし巻き玉子やハンバーグなど極々普通の料理が載っている。


 レシピなんて今時ネットを見れば直ぐに見つかるが、逆に検索結果が多すぎてどれを見れば良いのか、どれが一番ポピュラーな作り方なのか迷うことがある。アレンジされていることも多いから、こういう基本的なレシピ本は良いのかもしれない。


 その本を籠に突っ込みレジに向かう。


 バイトと思われる兄ちゃんに籠を渡すとすかさず脇から手が伸びてきてアイスが割り込んできた。


「すいません。これもお願いします」


「…………」


 店員が無言でダッツのバーコードを読み取る。


 隣を見ると響花がにへらと笑っていた。本当に高いやつ買ってくるヤツがあるか。


 程なく会計を終えてコンビニを後にする。


「おじさん、アイス、アイス」


 返事も待たずに響花が俺の持っているビニール袋を漁り始める。お行儀が悪い。ついでに歩きにくい。


「光太郎さん、この本なに?」


 アイスとスプーンだけ取り出し、スプーンで袋を指差しながら聞いてくる。


「ん? ああ……」


「もしかして、エッチな本?」


「────はぁ」


 自然とため息が漏れた。この子はやっぱりアホの子なんだと思う。


「あー、なにその、こいつアホだな。疲れたな。面倒臭いな。相手したくないなって感じのため息!」


 よく分かっているじゃあないか。


「もうコンビニでエロ本置いてねぇよ」


「えっ、そうなの!?」


「俺が買ったのはコレ。レシピ本」


 袋から取りだし突きつけて見せてあげる。


「レシ、ピ……」


 その顔がみるみるうちに真っ赤になって行くのが街灯の下でもはっきりとわかった。


「こ、光太郎さん……そ、その本……」


 なんだこの反応は。そんな変な本を買った覚えは無いぞ。


 手首を返して響花に見せた本のタイトルを見てみる。

 

 

 ≪♡新妻のための旦那さんを喜ばせるラブラブレシピ集♡≫


 

 ふむ。


「作ってくれラブラブ料理」


「だ、誰が作るか!」


 耳まで真っ赤にしてそっぽを向かれてしまった。


 そっぽを向きながらもアイスを食べる手は止めないらしい。


 コンビニからの帰り道を並んで歩く。


「…………」


 アイスを食べながら響花は恨みがましい目でチラチラと俺を見てくる。


「そんな睨みながらアイス食っても美味くないだろ」


「それとコレとは別問題ですー」


 別問題なのか。


 少しからかいすぎただろうか。


 俺はレシピ本の表紙をまじまじと見る。中身はちゃんとしたレシピだったし表紙の文字さえ気にしなければ問題はなさそうだが。


「光太郎さんは……」


「ん?」


「何が食べたい?」


 アイスをつついてた手を止めると、上目遣いに響花は様子をうかがうように聞いてきた。


「そうだな……」


 レシピ本に目を向け考える。


 揚げ物は……まだ難易度が高いか。炒め物は素さえ買ってきてしまえば楽だが成長が感じられないだろうか。焼き物は焼くだけだが初心者でもやり切った感があるのは──。


「……ハンバーグかな」


「光太郎さん、案外子供っぽい?」


 俺の一瞬の熟慮を子供っぽいで片付けられてしまった。


 まあ、いい。


「男は何時まで経っても肉が好きなんだよ」


 油が多すぎると胃もたれしてくるけど、とはあえて言葉にしなかった。肉を食うという数少ない楽しみを、胃もたれなんてもので否定されたくはないというおっさんの虚栄心だ。


「んー……わかった。明日はハンバーグね! 任せて!」


 気合いを入れるように響花はグッと力こぶを作った。


 

 

 

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る